ネパリの服作りを支える生産者

目覚しく成長する「コットンクラフト」 文:土屋春代

コットンクラフトを設立したサラダ・ラジカルニカルさんは、夫の転勤に伴い長年山岳地帯に暮らし、女性たちの経済的、社会的に厳しい状況を目の当たりにしてきました。そして、女性たちの就業の支援をしたいと強く思うようになり、カトマンズに隣接するパタン市に戻ってきた1993年に、木綿やヘンプ(大麻)素材の小物を作る小さな工房を始めました。女性起業家たちが後進の指導や産業育成を目指して組織する、ネパール女性起業家協会(WEAN)を知り、技術向上や事業に関する知識などを学び、品質向上にも努めましたが、販路がなかなか見つかりませんでした。


 コットンクラフトは、 95年にネパリ・バザーロと出会い、サラダさんがデザインしたバッグが大ヒットして以来、順調に成長してきました。 98年にサラダさんが日本での研修を受けてからは、小物作りだけではなく、服の縫製や織りにも挑戦し、製品の幅を広げることができました。それによって初歩の技術の人から、熟練してもっと高度な技術を身に付けられる可能性のある人まで、その段階に応じた仕事ができるようになりました。
 ネパリ・バザーロは年2回、カッティングや縫製の技術指導を続け、働く女性たちがどこでも通用するプロとしての技術や意識を持てるように応援しています。
         
コットンクラフトで働く女性たち
ベティー・ダンゴルさん(36 歳)パタン市 
 縫製を担当するベティーさんは義父、義母、8年生(13 歳)の息子と暮らしています。
 ベティーさんは8年生まで教育を受け、 歳の時、縫製トレーニングセンターで、7ヶ月間の技術指導を受けました。その後まもなく結婚したので仕事には就きませんでした。
  20歳で結婚した当時は、どこへ行くにも夫と一緒で、仲良く幸せに暮らしていましたが、4年前、突然夫は、他の女性と暮らすために家を出てしまいました。電力公社の役員付きドライバーをしている夫は、家を出てから一切の経済的サポートはしてくれません。以前は働かず家にいてほしいと言った夫が、今は妻に自分で働いて食べていくよう要求します。経済的ゆとりのない実家に戻っても居場所はなく、嫁ぎ先からの支援もなくなります。
 取り残され、収入のあてもなく途方に暮れていたベティーさんに、友人がコットンクラフトを紹介しました。仕事に就けたことがうれしく、ベティーさんは懸命に働きました。夫の両親も、他の女性と家を出た息子の仕打ちにとても腹を立て、ベティーさんを家に留め、彼女が仕事をしている間は、学校から帰った孫の食事の面倒をみるなど世話をしてくれます。義父母の協力があるのでベティーさんは残業することもでき、生活を賄えるだけの収入を得ています。実力をつけたベティーさんは、人が増えた最近、サラダさんの片腕として認められ、縫製部門の主任に任命されました。
 つい最近、夫は新しい妻を連れて家に戻りたいと言いだしました。それをきっぱり断ることができたのも、自分で働き収入を得て生活しているからです。「仕事がなかったらどうなっていたか分からない。自分で働いているから嫌なことは嫌と言える」とベティーさんは言います。「もっともっと技術を磨き、人に頼らず生きていけるようになりたい」と、ネパリのトレーニングに意欲的に取り組むベティーさんは、一度学んだことはしっかり身につける頼もしい存在です。
         
スリジャナ・マハルジャンさん( 20歳)
 スリジャナさんは父母、兄家族(妻と息子)、3人の姉、弟とパタン郊外の村で暮らしています。
 5歳の時に高熱が出た後遺症で耳が聞こえなくなり話すことができなくなりました。
 VDC(ビレッジデベロップメントセンター)がこの村から3人の聾唖者を1年間の手話トレーニングに行かせてくれた時、スリジャナさんはそのひとりとしてトレーニングを受け、家族や仲間と手話で意思疎通ができるようになりました。
 その後 96年にVDCから再び推薦を受けたスリジャナさんは、(財)ハンディキャップアソシエーションが聾唖者のために行う収入プロジェクトの1年間のトレーニングに参加しました。各人の興味に応じて用意された様々なトレーニング内容の中から、縫製コースを選びました。それまで障害があるからと家の中で何もさせられることのなかったスリジャナさんが、同様の障害のある人たちと共に1年間寄宿舎に住み、生活全般に亘って訓練を受け、自分のことは自分で何でもできるようになりました。毎月最終金曜日に家に帰るのですが、帰宅の度に成長するスリジャナさんに家族はとても驚いたそうです。トレーニング後はしばらく家にいましたが、 99年にハンディキャップヘルピングファンド財団の支援で再び半年間の縫製トレーニングを受け、2年前からコットンクラフトで働くようになりました。
 コットンクラフトの仲間たちも簡単な手話を覚えて仕事の相談にのってくれます。新しく入った人にスリジャナさんが厳しく指導しているところも見ました。誇りをもってテキパキと働く姿は眩しく輝いて見えます。ネパリ・バザーロの半年に1度のトレーニングをとても楽しみに待ちわびていて、他の人に教えている時でも、常にスリジャナさんのキラキラと強い光を放つ瞳がじっと見ているのを感じます。


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