特集 人生を変えたネパールコーヒー@


人生は、時として自分の意思とは別に思いもよらない方向にいくことがある。若い時に感じたこと、様々な体験を経て感じること、その全ての想いを包み込みながら新しい展開に出会うことがある。それは、大げさに言えば、時代が私たちを必要としている方向へ舵取りしているかのようだ。大自然、宇宙の中での一瞬の出来事、それは小さいけれども一人一人に与えられた大切な人生のドラマだ。フェアトレードという活動も、その「時の目」から覗いたらどう見えるのだろう。現在から過去へタイム・トラベルをしてみることにしよう。

ネパールは、その変化に富む気候と地形により、
品質の良いコーヒー、紅茶、スパイス、果物などの
生産に大変適しています。
それらの農産物は、通常、遠く離れた小さな農家で
自然に従った農法で作られています。

ネパールで初めてコーヒーが栽培されたのは1944年頃のこと。インドから持ち込まれたアラビカ種の種を、ルンビニ地方のグルミ地区で、2〜3人の農夫が植えたのが始まりです。今でも、その木は、村の中で大切にされています(写真左上参照)。その後、何年かして、グルミ地区農業開発銀行の融資を受け、コーヒーの苗場が作られ、広く栽培されるようになりました。最近では、ネパールの各地で栽培されるようになり、パルパ、バグルン、ゴルカ、チトワン、ジャパ、イラム、ミャグディなど15カ所以上になっています。
ネパリ・バザーロがお付き合いしているグルミ、アルガカンチ地区では、コーヒーは余った土地を利用しての換金作物として広がってきました。大変奥地で、化学肥料は使用していません。殆どの農民は、牛糞を肥料としています。また、政府もコーヒー生産を推奨したので、今では質の高いコーヒーが採れるようになりました。約7年前に、ネパリ・バザーロがグルミを訪れ、購入協定を結びましたが、その頃は市場がなく、農民は木を切らねばならない状態でした。いまでは継続的にコーヒーを売り収入を得ることができます。日本では県レベルの広大な範囲に電話はわずか1本。その地域の特性を活かすために、有機(自然農法)栽培をその特長として進めています。政情不安が続く中、その原因の一つ、アウトカースト(身分制度で低い、経済的にも困窮している人々)を考慮し、常にそのような人々を巻き込むようにこの活動は続けられています。

持続可能な社会と地域の自立を求めて

フェアトレード組織であるネパリ・バザーロは、何年もの間、生産者グループから、手工芸品、紅茶、コーヒーを直接購入し続けています。そのネパリ・バザーロの努力は、農村部の雇用創出というだけでなく、ヒマラヤの環境を守るという意味でも大変に意義あることです。
 もし、ネパールの産物が適切な市場に提供できるのであれば、貧しさはそれほど問題にはならないでしょう。外国からの援助は、このネパールではあまり効果が得られていません。厳しくいえば、適切な支援が農村部にまでは及んでいないからです。輸出可能な産物を作る農村部の小さな生産者の市場を広げることは、経済的にも、社会的、文化的向上にも繋がります。ネパールの基本的な要求は、援助ではなく貿易です。
 これら小さな生産者の作った新鮮でエキゾチックな嗜好品を飲んで、彼らの生活の維持と美しいヒマラヤの環境を保護し、作り手と使い手が共に喜び合える関係にありたいものです。電話もわずかで連絡を取ることすら難しいこの地で生きる人々が自然農法に従って作る作物。それは、天の恵みといえるでしょう。
 遠く離れた農家を一軒、一軒。山、また山を歩きながら集められるコーヒー。汗水流しながら訪ね歩き、交渉し、時には生産調整を行いながら続けているこの地道な作業は、きっと明るい将来を築くにちがいありません。

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