愛と希望のビシュヌホーム



(聞き手)Q:ネパリ・バザーロ代表 土屋春代
(話し手)A:モーニング・スター・チルドレンズホーム経営 ビシュヌ・パラジュリ

ネパリ・バザーロがビシュヌさんに出会ったのは今から14年前。その当時ビシュヌさんと妻のムナさんは、小さな部屋を借りて、身寄りのない9人の子どもたちを引き取り、家族同様に暮らしていました。しかし生活は貧しく、教科書を買うのも大変だという状況を知り、小額ながら生活費の支援を始めました。それ以来ずっとお付き合いを続けてきたビシュヌさんに、いろいろとお話を伺いました。

Q:いつ頃からこの活動を始められたのですか?

A:24年前のまだ私が学生だった頃、ストリートチルドレンがポケットに手を突っ込みながらふてくされた顔で歩き、道路で寝起きして、道端に落ちているものを食べているのを見て、「一体この社会は何なんだろう…」と思い、心の中で激しく泣きました。子どもたちの気持ちを知りたくて、問いかけてみましたが、何も答えてはくれませんでした。それでも私は本当のことが知りたくて、3ヶ月間みんなと同じような生活をしました。道路で寝起きして、爪も切らず、水浴びもしなかったので、体中の皮膚がぼろぼろになり、痒くてたまらなくなりました。でもそうしているうちに、子どもたちがだんだん心を開いてくれるようになり、友達になることができました。
 それから子どもたちと関わり続けて10年程たった頃、わずか2歳半のストリートチルドレンの女の子に出会いました。こんな小さな子どもを誰が捨てたのだろうかと、妻のムナとともに大変心を痛め、そしてこれはもう自分たちがやるしかないと思い、その女の子を含めて4人の子どもたちを引き取って、「モーニング・スター・チルドレンズホーム」を始めました。1989年のことです。その女の子には、幸せになって欲しいという願いを込めて、「シャンティ(平和)」と名付けました。

Q:その当時、どのように生活をしていたのですか?大変ではありませんでしたか?

A:その頃私は数学の教師をしていました。ある日、子どもたちと散歩に行った帰り、家には食料がなかったのでバザールに寄って、何か買って帰ろうかと話をしていたのですが、それをすっかり忘れて家に帰って来てしまいました。そうしたら、何と家の玄関の前に、5キロの豆と、10キロの米と青菜と塩が置いてありました。未だにそれが誰のおかげだったのか分かりませんが、6人に増えていた子どもたちを育てるのは大変だと知っていた誰かが助けてくれたのでしょう。
 今は子どもが56人います。お金はあればあるだけ使ってしまうので、何に使うかを決めてやりくりしています。電気代や電話代などは節約しますが、子どもたちのために、食事だけはしっかり与えます。買い物には大きな子どもたちを連れて、安い卸売市場に毎週一回行きます。300キロの豆、15キロのチキン、50キロの砂糖やたくさんの野菜などを買い込みます。ワゴン車が食糧で一杯になるので、何かレストランでもしているのかと思われているようです。他には教育費や薬代、文房具などにお金がかかりますが、全て子どもたちのためにしかお金は使いません。それは、私たちにとって子どもたちの幸せが何よりも一番うれしいからです。

Q:今までどのような子どもたちを育ててこられたのですか?

A:まだホームを始めたばかりの頃、お寺に生後7ヶ月くらいの赤ちゃんが、関節を折られて捨てられていました。私が駆けつけると、側には犬がいて、人だかりができていました。その子どもは健常児ではなく、母親が殺そうとして、赤ちゃんを捨てて帰ったのです。すぐに引き取って手当てをしましたが、あまりにもダメージが大きく、3ヶ月と15日で亡くなってしまいました。これまでに亡くなった子どもはこの子1人だけなのですが、この子の分まで他の子をたくさん、たくさん愛することを妻と誓い合いました。
 子どもたち56人は皆、何らかの問題を抱えた子どもたちです。本当に小さな体で、多くの困難を背負った子どもたちが生活をしています。社会問題によって生命が脅かされた子どもたち、重い病の子ども、家庭問題を抱えている子どもなど、問題は様々ですが、彼らに罪がないことは確かです。苦労がないとは言えませんが、立ち直るのに1年以上はかかると言われた子どもが、愛情を注ぐことによってとても早く立ち直っていく様子や、子どもたちが立派に成長していく姿を見ると、全ての苦労が報われます。就学率の低いネパールですが、ここに来た子どもたちには最低でも10年生(高卒程度)までの教育は受けさせています。これは私たちの一番の誇りです。

Q:ホームの他にも子どもたちに関わる活動はされているのですか?

A:ストリートチルドレンの多いタメルに、子どもたちのための小さなカウンセリングルームを開き、そこで今まで1500人の子どもたちと関わってきました。読み書きを教えたり、軽い病気の子どもには薬をあげたりしていて、子どもの居場所を作っています。 
 また、刑務所内でのボランティアもしています。現在ネパール国内で、13歳から20歳の子どもたち100人程が刑務所に入っています。その罪のほとんどが、盗みや人殺しやドラッグです。昔はボランティアが入ることができず、「お前の親を殺せば入れるぞ」と言われましたが、今は入れます。2、3ヶ月に1度訪れては、カウンセリングをしたり、読み書きを教えたりしながら、彼らの心の声を聞いています。たとえ一度罪を犯してしまった子どもであっても、彼らが社会に復帰することができるよう、私は力になりたいと思っています。

Q:本当に素晴らしい活動で、ビシュヌさんは子どものことを誰よりも考えているのが分かりますが、子どもたちにとって今のネパールの社会はどうでしょうか?

A:この国と子どもたちの将来を考えたとき、一番の問題は教育の崩壊です。各地で学校が長期間閉鎖され、子どもたちは学校に行きたくても行けない状態です。また、親が教育を受けていないため、教育の大切さを知りません。さらにネパールの伝統的な習慣に縛られていて、今でも80%の女性は夫が食べ終えるまで、食事には手をつけません。またトップカーストのバウンの習慣では、妻は朝は何も食べず、どんなに酒乱の夫であっても、起きたら夫の両足を洗って、その水を夫が天国に行けるように願いながら飲み干します。今でも村に行くと、教育を受けていない女性はその習慣を守っていて、教育を受けている女性であっても守っている人もいます。また、ティージという女性のお祭りでは、前夜にたくさん食べて、その後3日間何も食べずに夫のために祈ります。こういった健康を害するような伝統が、死に追いやるケースも少なくありません。女性が教育を得る機会を作ること、またその教育の内容も実社会で役立つことを教えるように変えることが必要だと思います。

Q:本当にそうですね。それではビシュヌさんの今後の夢を教えて下さい。

A:今ネパール全土では、親がいない子が3500人います。ただ、これは施設に入っている子どもたちの数を調査したものなので、実際にはもっともっと多いはずです。そのような子どもたちの居場所となるホームを、ネパールにあと4ヶ所作ることが私の夢です。特にインドに売られていく女の子は多く、彼女たちは年をとったり、エイズにかかってしまったりすると村に追い帰されてしまいますが、それ以外では二度と村に帰れることはありません。このような状態を食い止めて、彼女たちを救出するためにホームを作りたいと思います。いつになるか、どうしたらいいのかまだ分からないのですが、絶対に実現したいと思います。

Q・・最後にメッセージをお願いします。

A・・今のネパールには、十分な仕事がありません。学校を卒業しても、仕事がなければ自立して生きていくことができません。子どもたちの将来を考えると、私はそのことが心配で仕方ありませんが、ネパリ・バザーロは、フェアトレードによってネパールにたくさんの仕事を作ってくれています。それは、今ネパールにとって一番必要なことです。ネパールのために頑張ってくれて、本当にうれしいです。                       

Q:ありがとうございます。私たちも、ビシュヌさんの活動を心から応援しています。


ホームを訪ねて  高橋 百合香

 私たちは、夕方6時頃ホームを訪ねました。子どもたちはどこにいるのかと探していると、「しーーーっ」と言う声。見ると、子どもたちが全員集まってお祈りをしていました。その後はみんなで夕食の時間ですが、その間を見計らって、日本から持ってきた手作りのバースデイ・カードを子どもたちに配りました。小さい子どもたちは、自分の番がくるととてもうれしそうに受け取ります。中学生くらいの子どもたちは少し恥ずかしそうでしたが、後でこっそりと、「この人のこと知っている?本当に、本当にありがとうって伝えてね」と言われました。自分の年齢や誕生日や両親のことを良く知らない子どもたちにとって、バースデイ・カードをもらうというのは今までになかったことで、本当にうれしいことなのだと実感しました。夜は明かりを小さくして、みんなで輪になって勉強していました。この子どもたちの将来が、どうか明るいものであって欲しいと願わずにはいられませんでした。

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