スミットラさん研修成果

2004年9月末から10月末までの1ヶ月間、日本で研修を受けたマハグティのデザイナー、スミットラさん。果たしてその成果は・・・?帰国後の活躍をお伝えします。



「最近、品質管理セクションを立ち上げました!今後、このようなことは絶対にないと思います。案内しますので、ぜひ見て下さい」
 2005年3月、私達がマハグティを訪れ、いつものように、デザイナーであるスミットラさん、工程管理責任者のアニタさん、営業担当のソナリさん、縫製部門責任者のチャンドリカさんと共に、最近の様子やオーダーの状況について話をし、日本から持ってきた不良のサンプルを見せていた時のことでした。話を聞くと、2004年の9月末から10月末までの約40日間、日本でネパリ・バザーロの研修を受けたスミットラさんが、品質管理の重要性を強く感じ、帰国後、新しい品質管理セクションを立ち上げたそうです。マハグティはネパールで最も古いNGO団体ですが、その中で新しいことを始めるというのは、とても大変で、熱意のいることです。その話を聞いて、私達はとてもうれしくなりました。
 案内された品質管理セクションでは、スシーラさんとソバさんという2人の女性が商品に囲まれ、黙々と検品をしていました。小さな紙に何かを書き込んでいたので見てみると、そこには日付、検品者、不良ポイントなどが記入してありました。作った人にフィードバックをするために、不良の商品にはこのカードを付けるのだと言います。実はこのカード、ネパリ・バザーロが日本で検品する時に使っているカードと同じでした。デザイナーでありながら、研修の多くの時間をネパリ・バザーロの事務所で、スタッフと一緒に検品したり、ほつれを直すなどの作業をして過ごしたスミットラさん。その中で必要と感じたことは全て活かそうと、マハグティで実行していました。日本で研修を受ける前は、私達がネパールまで足を運び、不良のサンプルを見せ、繰り返し、繰り返し日本の品質管理の厳しさを話しても、少しのことで大げさだと感じていたスミットラさんが、日本に来て、ようやくその重要性に気が付き、それを実行していました。
 その後、オーダーしていた新しいサンプルの服を見せてもらいましたが、初めて見る洗練された美しい風合いの布に、思わず目を奪われました。なんと、スミットラさんが試行錯誤して、新しく織った布だそうです。スミットラさんは、日本で染織作家の大塚瑠美さんに、3日間食事の時間もとれないほど、つきっきりで織りの指導を受けました。さらに日本のマーケットを見ることによって、日本人の好みを知りました。今までは、手織りの風合いを活かした布をこちらがいくら希望しても、手織りで機械織りのような均一な布しか織ってくれませんでした。しかし、ようやく日本のマーケットを知って、こちらが要求する布が作れるようになったのです。これから、マハグティで作る服の幅が一気に広がりそうです。
 研修を行って本当に良かったという気持ちでその日の仕事を終え、ホテルに戻ると、日本にいるスタッフから一通のメールが来ていました。そのメールは、私達をさらに喜ばせてくれました。
「今日、ついにアイピロー病院がなくなりました!不良のアイピローを入れていたダンボールは必要なくなりました。ぜひ、スミットラさんに伝えてください」
 実はマハグティのアシュラムで作られている大人気のアイピローは、大変手がかかる商品でもあったのです。出荷する時、私達は全ての商品を検針機にかけ、中に金属片などが入っていないかを確認します。その際、アイピローはかなりの割合で反応していました。そのアイピローは、「アイピロー病院」と呼ばれるダンボール箱に入れられ、私達スタッフが一つずつ縫い目をほどき、中に入っている亜麻の種を全部出し、中身を確認して、そして再び縫い合わせます。そのほとんどが、小さな異物にすぎないことが多いのですが、それでも私達は不安になるので、全部出して確認します。以前ネパールでその話をし、検針機の必要性を訴え、わざわざ日本から重い検針機を、大変苦労して持って行ったことがあります。しかし、マハグティではその必要性を理解できず、十分に活用していませんでした。研修では、絶対にスミットラさんにその必要性を肌で感じてもらおうと、一日中アイピローを直してもらったこともありました。また、商品からたった一本の針が出てきただけで、その生産者の信用は全くなくなり、今後の仕事もなくすことなどを話しました。
 その甲斐あって、スミットラさんの研修の5ヶ月後、ついにアイピロー病院がなくなったのです。これは、研修の大きな成果です。数日後、私達は再びマハグティを訪れ、スミットラさんにその話を伝えました。スミットラさんは頬を高潮させ、私達と抱き合って喜びました。そしてスミットラさんは、
「本当に、私に研修の機会を与えてくださって、ありがとうございました。帰国後、私は縫製部門の女性達と、その他の商品の生産者達を集め、それぞれの商品の不良率をデータで示し、日本の品質の厳しさを話しました。今まで、ネパリ・バザーロから何度も日本の品質の厳しさを聞いてはいましたが、その必要性が理解できていなかったので、恥ずかしいことに、他のみんなに伝えてきませんでした。今回は、日本のマーケットを見て、その必要性をようやく実感できたので、みんなに伝えました。今後は毎月1回のペースで、品質改善ワークショップを行っていくつもりです。
 そこで、お願いがあります。来週予定している次の会で、ネパリ・バザーロから直接、日本の品質管理の厳しさを話してくれませんか?」
と、提案してきました。それを聞き、私達は即座に引き受けることにしました。
 2005年3月18日。突然降り始めた雨にも拘らず、マハグティに大勢の生産者達が集まってきました。めったにないことなので、何が始まるのだろうかと、みんな期待しているようでした。簡単に引き受けてしまった私達も、まさかこんなに大勢の人々が集まってくれるとは思っていなかったので、緊張が募ります。大きな責任とプレッシャーを感じつつ、オリエンテーションは始まりました。
 まず初めに、マハグティで作られた洋服は、とても着心地が良く、日本のお客様に大変気に入られているということを伝えました。彼女達は洋服を着る習慣がほとんどないので、自分達が作っている洋服の着心地の良さを知りません。彼女達の仕事は、誇れる仕事だということ、自信を持って欲しいことを伝えました。そして、私達が日本で行ったファッションショーのビデオを見せると、自分達が作った洋服がおしゃれに着こなされている様子に、みな感激していました。その後、いよいよ日本で不良とされた商品を見せ、日本の品質の厳しさを伝えました。少しのほつれ、織りむらなどであっても、日本では不良と判断されてしまうことがあります。ほんの少しの不注意によって、糸紡ぎ、染め、織りなどの、多くの人の手がかかった、長い、長いプロセスを台無しにしてしまうことになります。彼女達は、毎日プロとして仕事をしているので、その技術のレベルはかなり高いものがあります。それを活かすため、細心の注意を払って仕事をして欲しいと伝えました。 
 最後に、マハグティ代表のスニールさんが、みんなでもっともっと努力して、より品質の高い商品を作っていこうと生産者達に呼びかけると、みんな大きく頷き、熱気に包まれながら、オリエンテーションは終了しました。
 スミットラさんの研修の成果が本当に表れるのは、きっとこれからです。私達も、ネパールの生産者達と一緒になって、頑張っていきたいと思います。



Mahaguthi

 ネパリ・バザーロ設立以来、共に仕事をしてきたマハグティは、ネパールでもっとも古いNGO団体。若き日をマハトマ・ガンディーと共に過ごしたネパール人、トゥルシ・メハール氏はその影響から、1927年、貧しい女性の経済状態を引き上げようとマハグティを設立しました。さらに1972年、夫に捨てられ生活手段をなくした女性や寡婦など、最も厳しい状況下の女性とその子どもたちの避難所として、トゥルシ・メハール・アシュラムを開きました。そこでは、技術を身につけ仕事を持つことが他者の支配から逃れ、自立する道であるというガンディーの思想のもと、機織や糸紡ぎの技術指導が行われており、その販路開拓とアシュラムの資金作りを目指して、1984年マーケティングのNGOマハグティを誕生させました。マハグティでは、アシュラムや他の訓練施設で技術を習得した30人以上の女性達がきびきびと楽しそうに仕事をしています。

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