コーヒー生産者の待ちに待った日本訪問  文・丑久保完二

ネパリ・バザーロの中で、一番財政を圧迫し続けたコーヒー輸入とそのフィールドワーク。そもそもグルミは遠方で、通信手段も整備されていないため、連絡を取るのも大変。そのような中、10年の歳月をかけて、皮むき機の設置、有機証明に向けたトレーニング、更なる収入向上を目指し、スパイスの有機栽培に向けた取り組みなども実施してきました。
 思えば、お互いが何を考えているのか、信頼し合うにはかなりの時間がかかったように思います。首都カトマンズに住む生産者との意思疎通も結構大変。ビジネスという厳しさが故に落ち込むこともしばしばでした。それでも、ここまでやってこられたのは、声援を日本から送ってくれるスタッフ、ボランティアの皆さん、そして、私達の商品を買い支えてくれた消費者の皆様あってこそでした。一年、そしてまた一年、年を重ねるたびに、生産者との信頼が深まったのも重要な要素となり、現在の結果に繋がっています。
 その生産者の方が、長い取引の年月を経て日本に来たわけですから、それはそれは感慨無量でした。現地でこの活動を支えている多くの人々を全員呼ぶわけにもいかないので、この活動の鍵を握った人ということで人選し、お二人を招待することになりました。
 一人は、カンチャンジャンガ紅茶農園のディリー・バスコタさん。紅茶の生産者が何故という方もいることでしょう。彼は、私達がコーヒーの情報収集で苦労していたことを知り、同じ農業関係者の立場から知り得る限りの情報を提供してくれました。また、遠方の連絡の橋渡しなどもしてくれたことは、とても大きい貢献でした。遠く離れたコーヒー生産者との連絡を取るために、私達もカトマンズに事務所を設け対応に努めましたが、ディリーさんはコーヒー生産者からみても、同じ農業関係で信頼できる存在でした。もう一人は、グルミ協同組合のパルシュラム・アチャルヤさん。コーヒー生産者の地元にある協同組合で、道なき道を歩き回り、このコーヒー活動を支えて来た一番の立役者です。お会いした当時は、英語がまったくできず、私もネパール語ができなかったので、お手洗いに行くのさえ苦労したものです。意思疎通ができるように私はネパール語、彼は英語の勉強をしてきました。今はほとんどネパール語で話をします。
 いよいよ、私達の秋のセミナー、ネパール・デイに合わせて来日。滞在は約一週間。成田空港で出迎えた彼らの表情は、バンコクからの夜行便で早朝に到着したにも拘らず元気、元気。「ナマステ!」「ナマステ!」とお決まりの挨拶も早々に、待機した車に乗り込みました。「日本に来た感想は?」「素晴らしい!」以後、何を見ても「素晴らしい!」の一週間になりました。観光で来たわけではないので、できるだけコーヒーに関わるところに行きたい、その市場を広げるために自分は来ているという自覚が笑顔の中にもしっかり感じられました。そうは言っても、お決まりの横浜ランドマークタワーにお連れし、更にネパールには海がないので、江ノ島、鎌倉周辺へ。私の好きな「銭洗い弁天」に行ったときは、大雨。傘を忘れ雨に濡れながらもしっかり手持ちのお金を洗い、「お金に不自由しませんように!」と願いを込めて祈りました。ここは以前、イギリスのフェアトレード銀行の方もお連れした場所。「こんな場所があれば私達はいらないね?」と冗談を話すその顔を思い出し、何かおかしさが込み上げてきました。
 今回は、セミナーでファッションショーも行うということで、ディリーさん、パルシュラムさんにも参加してもらいました。このセミナーや日々の仕事でボランティア、スタッフ一人ひとりが真剣に、ネパールの人々の生活向上に向けて努力している姿に接して、今まで以上に理解を深めて頂きました。短期間の日本の滞在では優雅な一面しか視野に入らない傾向の中、とても嬉しく思います。
 商談にも参加して、現在進めているスパイスの取り組み紹介とマーケティングもしてもらいました。欧州連合EUで最もホットな課題「生産者と顔の見える関係構築と食の安全」を正に実践していることを理解できれば、消費者と生産者、双方にとって、そして、これからの地球環境にとっても、大変メリットがあります。
 短い滞在でしたが、多くのことを実感してもらい、また、関わった人々にとっても刺激となった一週間。最後に日本を去るときのパルシュラムさんの一言。「私はやっぱり故郷に住み、仕事するのが幸せです」と聞き、彼に初めて同行し、村の山頂の質素な宿で夢を語り合った時のこと、「僕は村で生き、その地域のために仕事をしていきたい」と言ったその言葉が今も生きていることを知り、嬉しく思いました。当時、彼は新婚1年目。今は3児の父。村に行くと、あの頃の痩せて夢多きを語った青年達も丸みを帯びてきましたが、彼らのその変わらない姿勢に拍手を送りたいと思います。

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