対談 魚谷早苗/土屋春代 2005年8月13日
フェアな社会に向けて 福祉的視点から見るフェアトレード

ネパリ・バザーロは、1992年の設立以来、様々な人との出会いがありました。異なる分野の人々とも、その想いに共通点を見つけることが多く、語り合い、意気投合し、刺激し合い、時に活動を共にしてきました。そうした人と人との結びつきがネパリ・バザーロの原動力となり、活動の幅を広げてきたともいえます。ネパリ・バザーロの目指すフェアトレードが、社会のあり方、自身の生き方全体を問うからこそ、異なる分野で活動している人とも同じ想いをもつことができるのだと思います。
 このような多くの人々とのつながりを、ネパリ・バザーロ代表の土屋春代との対談で皆様にご紹介していきたいと思います。活動報告だけでは伝わりきらないネパリ・バザーロの想いや目指すもの、そして、ネパリ・バザーロがここまで成長してきた経緯がお伝えできるのではないかと思います。
 初回は、ネパリ・バザーロ創設以来、ずっとボランティアとして関わっている魚谷早苗との対談をご紹介します。福祉と、ネパリ・バザーロのフェアトレード。一見、別分野のようでいて、実は非常につながり合う部分が多いのです。



 フェアトレードと福祉の共通点と自立

土屋春代:ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)設立当初からネパールの人達だけではなく、日本の中でもなかなか仕事が得られない社会的弱者とどう関わるかということを考えていました。設立前に主催していた勉強会から一緒だった早苗さんが障害者に関わる仕事をしていたのも運命的な出会いと勝手に考えていました。早苗さんから伺う仕事の話とか、連れていってもらった職場の障害者施設も非常にインパクトがあって、地域作業所と仕事をしたいという想いを具体化する時に力になったと思います。ネパリが持っている福祉的な側面をずっと支えたその協力は非常に大きいと思います。ネパリも13年経ってネパールの人達にも、作業所の人達にも継続して仕事が出せるようになりました。福祉とフェアトレードはとても共通点が多いですね。今回の対談では、どういう点で福祉とフェアトレードがつながっているのか、掘り下げていきたいと思います。

魚谷早苗:いろんな形でネパリに関わってきていますが、自分の仕事で悩んでいること、例えば障害者の立場、仕事のやり方、有給のスタッフとボランティアの関係など多くの部分で、ものすごくリンクするところがあって、そこに自分は興味があって続けてきたのだと思います。障害のある人って目が見えないとか、足が不自由とかそういう一般から見ると違う部分がありますよね。その違いだけで今の彼らの社会的な不利益が生まれている訳ではなくて、障害者ではない人々のために作られた社会が、そうした配慮のない環境であるために、どんどん二次的三次的に不利益を被っていますよね。入ってくる情報もすごく限られ、発信する手だても制限されることで、またさらに不利になっていく。ネパールの人達が山に囲まれて地理的に不利だとかいろいろあるけど、それだけで最貧国と云われるようになったのかというとそうではなくて、他のアジアの国々もそうだけど、いろいろな世界の動きの中でそうなっていった。ネパールは自然が豊かな国だし、決して他の土地よりも、もともとが貧しいわけではない。それがどんどんひずみの中で広がっていっているというのが、最初に感じた共通点です。
 強者が弱者を不条理な立場に追い込んでいるということは、福祉とフェアトレードは共通しますね。そして、それを変えていくために自立が課題だなって思います。

土屋:ネパリも寄付ではなく仕事を創ることで自立を応援しています。自立っていうと最初からなんでも自分でやれみたいな風潮があるけれど、いきなりは無理で、自力でやれる所まで持っていくことが自立への支援だと思います。
 フェアトレードは仕事創りによる自立支援なのですが、その仕事の仕方、関わり方によっては援助とたいして変わらなくなることがあります。相手を甘やかしてしまうと他と付き合えなくなるので、厳しく対処しなくてはと自分を戒めながらやっています。でも時々こんなえらそうな事を考えていいのか、相手の自立のためにこうすべきだとか決める権利があるのかと、自分の立場に辟易としたり、怖いなと思う時があります。傲慢にならないようにと自戒を込めて、時々冷静に自分を振り返るようにしています。良かれと思ってやっているけれど押し付けるのではなく、向こうが必要としていることをやらねば。

魚谷:自分の足で立ちたいと思わないことには絶対無理だし、どっちか片方が頑張ったってできるものではないですよね。自立といってもすぐには実現できないほどのひずみを作ってきてしまったのですから、相手を努力が足りないなどと責めることもできないし、むしろ支援者側が意識改革して変わっていかないと進んでいけませんね。

 ソーシャルワークとコミュニケーション

魚谷:ネパールでの活動の成果は、お金がもらえたとか、学校に行けたとか、そういうレベルではなくて、家庭や社会も変える、ものすごい力になっていますよね。

土屋:生き方が変わった人も大勢いますね。一人が変わると必ず周りに波及しますから影響が大きい。障害者問題もそうですが、障害のあるその人が変わるだけではなくその周りが影響を受けて変わる、そして社会も変わると思います。
 ネパリがずっと心がけているのは固有名詞で付き合うということ。生産者とか障害者とか一般名詞ではなく、カンチさんとか、クリシュナさんとか。だから働いている人達の自宅まで何度も何度も行きます。そこまで行って、彼らの生活が本当に変わったことを自分の目で確かめなかったらやってこられませんでした。
 ネパリを続けるには経営能力もすごく要求されるけれどソーシャルワーカーとしての理念がないと本当のターゲットの人達まで辿り着けないのだなって気がします。専門の写真やデザインでカタログ制作など強力な支えになっている娘が、以前仕事を引き継いでくれそうな時期があって、ネパールで実際の仕事を教えようとしましたが逃げられちゃいました。その時の彼女の言葉が「私はソーシャルワーカーにはなれない」って。
 日本の中だけで回すビジネスも大変だと思うけれどネパールのような情報がなかなか入らない、世界のマーケットから見放されたような社会的に未発達なところで日本のマーケットに合わせた仕事をするには言葉よりも文化的障害や意識の障害など想像を超えるたくさんの問題があって、ビジネスの観点だけでは乗り越えられないですね。なんでこんな所でこんなことをしているんだろうと立ちすくんでしまう。誰が私達のターゲットでその人達にどうあってほしいのかって云うビジョンの明確さと、絶対あきらめないぞという執念深さが必要です。

魚谷:本当に必要な支援を見つけていくには、付き合いの長さではなく、相手一人ひとりのことを知ろうとする姿勢が求められますよね。

土屋:2004年春に開催した「フェアトレードと暴力」というセミナーで伝えたかった事は、他人に対する無関心が紛争などの暴力を放置しているということ。愛の反対は憎しみではなくて無関心というマザーテレサの言葉にもあるように、他人に対しての無関心からいろんな問題が起きている。無関心で冷たい社会でなければ多少ハンデがあっても自分らしく生きていける。寄り添ってくれる人がいれば辛いことも乗り越えられる。ネパールの人達も情勢が混乱して行き場がなく、たいした資源もないから国際社会からも見捨てられている。でも、誰かが気にかけている、応援しているということが伝われば頑張れるんじゃないかと思います。

魚谷:重度の障害のある方も、コミュニケーションがすごく限られるけれど、周りの人が微妙な動きから気持ちを読み取り、それに応えていくうちに、コミュニケーションの幅が少しずつ広がっていきます。周りの読み取る力が大事です。弱者と呼ばれていた人が黙っていて従順そうに見えても、実は言っても聞いてくれないからあきらめてしまっただけということもあります。

土屋:関心を寄せ、聞いてくれる人がいれば可能性が開けますね。人間の能力はすごいなとビシュヌさん(注1)の所に来た4、5歳の女の子を見て感じました。その子の母親は見えない、聞こえない、話せないという障害がある売春婦。生まれてからずっと母親の側でじっとしていた子を村の人が同情してビシュヌさんの所へ連れてきたけれど、母親の語りかけがなかったから話せない、目も機能に問題はないが、見えない。人間は目や耳があれば自然に見える、言葉を話せるのではないと知ってすごくびっくりしました。ビシュヌさんが愛情を注いで懸命に世話をして、話せて歩けて、見えるようになりました。たくさん話しかけないとコミュニケーション能力だって育たない。「コミュニケーションがヘタね」ではなく、引っ張り出さないといけないし、そうして接する事によってこちらも成長します。

魚谷:そうですね。伝える能力も、聞き取る能力も鍛えない事には伸びません。

土屋:聞いているつもりでも実は自分の聞きたいようにしか聞いてない事だってありますね。ほんとに相手がなにを言いたいのか、それを理解するには努力が要ります。洞察力、想像力、判断力が必要でコミュニケーション能力もないと相手が心を開いてくれない。それは言葉だけではないですが。

 自己決定と周囲の支え

土屋:最近、母の最期を自宅で看取り、様々なことを感じました。訪問看護師や医師をまとめる窓口になってくださったケアマネージャーは看護師としての専門知識や経験がありながら、こうしたらああしたらとか一切先におっしゃらない。私がこうしたいと希望を言うとたちどころにその体制を整えてくださる。そういうところが有難かったですね。いろんな情報をくれるけれど押し付けない。選択しなければならないことがたくさんあっても経験がなく、どうしたら母に一番良いかと迷いに迷って時間が経っていく。忙しいところ付き合わせてしまい申し訳ないと焦るけれど、気が済むまで迷いなさいという無言のメッセージを感じました。往診専門の医師も「誰だって迷いますよ。どれを選んでも迷いはついて来るし、悔いはついて来る」と結論を急かせずじっくり待ってくださった。あの人達の受け止め方ってすごいなって思いました。フォローする側に包み込むような対応が必要だなって。どの道を選んでも迷うと言われた事でひとつ安心があったし、玄関を出る時にケアマネージャーが「あなたの選択は正しいと私は思います」って言ってくださった。他の道を選んでも彼女はそう言われたかもしれないけれど、すごく支えになった。
 ネパリでの経験は、ほんとうに私を強くたくましくしてくれました。親がアルツハイマーになるともっと取り乱して大変らしい。多分ネパリの仕事でたくさんの困難を乗り越えてきたからか、6年前母がそう診断された時も冷静でいられました。今回入院した時も母の尊厳を一番先に考えて、どうしたらそれが保たれるかなって。病院ではどうしてもみんな上から見下ろす形になるし、食事を拒むので、介助の人が口に持って行って無理に入れる。最初は我慢していても最後本気で怒り出してしまうのですが、意志が伝わらない。側にいられない時に病院のベッドで母がひとり息をひきとってしまうのが余りにも切なく、自宅で看取ろうと思いました。退院の日「これから家に帰ろうね」と言ったらそれまで表情が変わらなかった母が、わーっと体を震わせて喜びました。こんなに帰りたかったんだと知ってうれしかった。

魚谷:本当に帰れるとは信じていなかった、余計な期待をしちゃいけないというのもあったんでしょうね。

土屋:でも退院祝いをした後、深夜、咳で苦しみ眠れない母のそばにいた時に「私は何にもできない。こんなに何もできない私が何で引き取ったんだろう」と自分を責めましたが、手を握ったまま夜が明けた頃にはこれでよかったんだ、母もそう思ってくれているだろうと思えてきました。傍に付いていることしかできないけれど、離れず看取ろうと。たぶんネパリで活動していなかったら、最期までその人らしくあるという尊厳についてそこまで考えなかったと思います。人間で一番大切なのは尊厳だとつくづく思いました。弱者は社会的に創られると云うことと符合すると思うのですが、病院での母はとても無力に見えましたが、家に帰ってからは母が中心でした。感謝の言葉しか口にせず穏やかに逝った母の最期の10日間から生きることや死について私と家族はたくさんのことを教えられました。病人や自分で意思を伝えられない人、障害のある人もその人らしさが発揮でき輝ける場があると思います。人は皆必ず何か素晴らしいものを持っていて、他の人に影響を与えうるはずだから、そういう場を創りたい。そういう受け皿としての社会創りをしたいですね。
フェアトレードが少しずつ日本で理解され売上げが伸びお客様が増えてもマーケットの主流にはなれませんが、影響力は大きくなっていくと思います。一般の企業も少しはそういうことも考えなくては、という方向になっていったらいいなと。

 社会を変える

魚谷:フェアトレードとか福祉を仕事にしている人は、単なるきっかけとか橋渡しに過ぎないと思います。弱い立場に追い込まれてしまった人々に対して、関係者の努力だけで変わるものではなくて、その人達が声をあげ、橋渡しすることで社会全体が変わる。フェアトレードをやっている人が「立派なお仕事しているんですね」と他人事のように言われているようではだめですよね。

土屋:がんばってますねとか、奇特な人ですねとか言われているうちは、まだまだですね。当たり前になってほしいですね。障害者福祉を考える時に言われるノーマライゼーション、それも当たり前ってことでしょ。誰もが社会に当たり前の存在として生きられる。それが国境を越えて世界全体になればいいんだけど。
 最近、福祉も自立を目指しビジネスに挑戦するところが出てきましたが、フェアトレードと共通しているのは、商品の質の追求が不可欠だということです。「かたくりの里」さん(注2)と紅茶クッキーを製品化する時、ネパールの生産者と同じだと感じたことがあります。ビジネス分野は社会的弱者にもチャンスがあります。そして、成功した時、周囲への好影響は本当に大きなものがあります。まさに“社会を変える”力があると。

魚谷:質の追求の重要性と、多少のことは大目に見てもらいたいと甘えてしまう危険性は、福祉とフェアトレードに共通しているかもしれません。いい仕事しているのだからとか、今の彼らの能力ではこれが限界だからとか。かといって、ただ売れるものを障害のある方々に作ってもらおうとしても、やはり限界があり、内容、役割分担、スピードなど、それに携わる一人ひとりの状況や特性を見極めたうえでないと決められませんし、それを見極めるだけの専門性や見ようとする心がないといけないという点も共通します。

土屋:そうですね。そうやって作る人にも配慮したものは商品としてもバランスがとれている。フェアトレードも生産者にとっていいことは買う私達にとってもいい。それはしみじみ思います。食べるものはおいしいし、着るものは着心地がいい。

魚谷:どこかのかわいそうな人のためにやっているのではなくて、まともな暮らし、まともな社会にしていこうと思ったら自然と障害のある人もネパールの人も生きやすくなるのですね。

土屋:みんなが意識を変える。まず気づいた人が何かをやって。その時楽しそうとか、いきいきしているとかいいモデルにならないとね。悲壮感漂わせてやっていると誰も付いてこない。

魚谷:実際、スタッフが時間的にも内容的にも辛い仕事をしていても楽しいっていうのは、それだけ得るもの、返ってくるものが多いのだと思います。

土屋:よくここまできたなと思います。作業所や生産者、お店との付き合いには一貫してポリシーがあるけれど、手間がかかる。それをスタッフがよくやってくれていると感謝しています。ボランティアの人達の支えも大きいと思います。ネパリが有給スタッフだけでなく、ボランティアの人達もこれだけ真剣に関わっていることは、信頼度が高まるし活動もより透明になる。最近は若いボランティアの人がとても増えて皆やる気がすごい。ここまできたのもずっと組織を支えてきた早苗さんの存在が大きいと思います。料理教室や他のイベントができるのも、ボランティアあってのことだし。それによってネパリの幅も広がっています。長年の早苗さんの貢献に感謝しないといけない。

魚谷:社会全体の様々な場面で、いろんな人が入ってこられるっていうのも重要ですよね。波及するものが大きい。各地で買ってくれている人とか、お店の人とか、ネパリのネットワークってすごいじゃないですか。

土屋:志ネットみたいなね。共通する想いがあって仲間意識ができて。

魚谷:根っこの考え方が同じだからこそできることですね。

土屋:それを最近はDNAと称して、DNAを受け継いでほしいと言っているの。

魚谷:やっぱり価値観が一緒だから。ボランティアにとっても同じ人の中にいる心地よさみたいなものがありますよね。

土屋:どういう社会を創りたいかという想いが根本にあるから、フェアトレードからこんなにいろんな所に広がってすごいですね。

魚谷:フェアトレードからというよりも、元々下地があって、春代さんがたまたま手段として選んだのがフェアトレードだったんですよね。

土屋:だから福祉ともずっとつながってきたし、フェアトレードという言葉にはこだわっていない。ネパリは、フェアトレードをやろうとして始めたのではなく、手段が結果的にフェアトレードだった。他の国で市民活動から行き着いたその歴史を私は短期間に一人の中で経験したような気持ちです。だからすごくフェアトレードが生まれた経緯も納得できる。

魚谷:先駆的なことをする人は、制度から入らない。制度がないところから、やるしかないって始めていますね。

土屋:行動するうちに認められて、制度が整ってくる。あとからの人がやり易くなる。どんな社会にしたいか、どんな社会を次の世代に受け継いでほしいかというビジョンやメッセージを持って、社会が変わるのを待つのではなく、社会を変えていかないと。



魚谷早苗(写真左)
ネパリ・バザーロボランティアスタッフ
ネパリ・バザーロの母体となるNGOベルダレルネーヨの創立当初からのボランティアメンバー。本業は、障害者施設職員を経て、現在は障害者支援ケースワーカー。

土屋春代(写真右)
ネパリ・バザーロ代表
中学時代に知ったネパールの子どもたちの厳しい状況と、その20数年後に聞いた状況が殆ど変わっていないことに強い衝撃を受け、教育支援活動を始めた。しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、仕事の機会創出のため1992年ネパリ・バザーロを設立した。

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