2006年2月19日 地球市民かながわプラザでネパリ・バザーロの公開セミナーを開催しました。
「現地の状況と紙布開発、フェアトレードがもたらすもの」

今回は、5年越しで開発を続けてきた紙布を中心にネパリ・バザーロの活動をご紹介しました。これまでの紙布開発の経緯や現地での様子をお伝えする映像「紙の布に希望を託して」に続いて、ネパールからの紙布の生産者ウシャ・ゴンガルさんとマンマヤ・マハラジャンさん、そして開発にご協力頂いた大塚瑠美さんのお話を伺いました。

ウシャ・ゴンガル(ヤングワオ代表)
 日本の皆様にこうしてお話をする機会を得て、大変嬉しく思います。
 私はネパール南部のヘタウダ近郊の村で生まれ育ち、村の女性達のことを見てきました。19歳で結婚して、首都カトマンズに移り住み、街の女性達の暮らしを知るにつれ、村の女性達の生活の厳しさをよりいっそう実感するようになりました。2人の息子を産み、しばらくは家事や家族の世話に専念していました。しかし、8年後仕事に就こうとしたところ、どこにも相手にされず、自分の力のなさを知りました。まず勉強をしなければと大学へ通い始めました。村の女性達や自分自身への想いから女性学を専攻し、奨学金を得てドイツに2年間留学でき、ネパールの女性達のための仕事をしたいと思うようになりました。
 その後、女性を支援するNGOの代表を経て、WEANコープ(*)の事務局長となりビジネスの面から女性に関わるようになりました。そこで春代さんに出会いました。ネパリ・バザーロと仕事をする機会を得て、ネパリ・バザーロが単なる貿易ではなく、ネパールの女性達のことを親身に考え、モチベーションを高め、生産団体のシステム改善にも力を注いでくれていることが分かりました。こんな団体は他に類をみません。自分もネパリ・バザーロのように、直接、生活の困難な女性達のために経済的支援をしたいという意欲が沸き、ヤングワオを設立しました。
 春代さんから、ロクタ紙の布の企画を聞いたときにはとても嬉しく思いました。2001年から研究を始め、2003年に本格的な紙布作りを開始しました。できるだけ天然素材をと思い、草木染めを考えました。この仕事は、服を作る女性達だけでなく、村で紙を作る人達の収入向上にもなります。
 今回日本に招いて頂き、ネパリ・バザーロの活動を間近に見て、その仕事の大きさを実感しました。紙布がここまで来られたのは、ネパリ・バザーロの忍耐のおかげです。そして、私と一緒に頑張ってくれたマンマヤを始めとするヤングワオのみんなのおかげです。紙布を通して、ネパールの女性達一人ひとりの向上を願っています。

マンマヤ・マハラジャン(ヤングワオ)
 私は、両親と二人の弟と暮らしています。小さな畑があるだけで、現金収入はなく苦しい生活でした。ヤングワオで働いて2年になりますが、安定した収入があり、家族の助けになれてとても嬉しく思っています。紙布の仕事は、ウシャさんの自宅のリビングから始まりました。最初は紙で糸を紡ぐのが上手くできず、辛くて、毎日帰る時に「明日もこの仕事をするの?」とウシャさんに聞いていました。紡ぐのが上手くなってくるとだんだん楽しくなって、紡いだ糸が布になり、服になったのを見た時は本当に嬉しかったです。もっともっと良い糸が紡げるように考えながら仕事をしています。誰もしていないこの仕事に就いていることを誇りに思います。


大塚瑠美(染織作家)
 8年ほど前に福島県昭和村の織りの作家からネパールのアローを教えられ、詳しく知りたいと思いネパリ・バザーロを訪ねたのが出会いでした。その後、紙布開発の協力を春代さんから相談されましたが、3年で形にするなどとても無理だと思い、返答に迷いました。
 日本の紙布は資料も少なく、工程の微妙なところは「伝え技術」なので苦労しました。紙布の紙糸の太さも様々ありますが、春代さんから「夏服で」と言われ、それには細い紙糸が必要でした。更に撚りを強くかけて織った紙布を水につけるとちりめん状になり、肌に触れる面が少なくべとつかず夏服に向きます。けれど、薄い紙で紡いだ切れそうなほどの細い糸にさらに強い撚りをかけるのは、常に指先に神経を集中しなければならず、少しやっただけでも疲れ果ててしまう大変な作業です。マンマヤさんも、上手く紡げるようになるまでは本当に辛かったと思います。
 ネパールの生産者が作りやすいように糸を太くしてはどうかと春代さんに提案しましたが、楽にするのはいつでもできるが、難しくすることはできないので、細い糸でやって欲しいと言われました。実際ネパールへ行ってみると、ウシャさん達は情報がほとんどない中で悩み苦しんでいて、投げかけられる質問は本気で取り組んできた人のものでした。彼女達の真剣さに触れ、これはできると感じました。糸作り、織り、染め、裁断、縫製・・・それぞれの段階で誰もが必死でやっています。真剣ですが、誇りと希望が感じられ、その顔は楽しそうです。
 私のような技術側の人間だけではこのレベルの紙布は無理だと諦めていたでしょうし、技術の大変さを知らない人が想いだけで商品開発をしても駄目だったと思います。範囲を越えた発想で進んだ事とネパール側の真剣な仕事ぶりがあって、この成功につながったのです。
 江戸後期の資料によると、強撚で織った夏用の紙布は長く着ているうちに肌に馴染み柔らかくなり、心地よい肌着になったそうです。手間がかかって高価だからといって時々しか着ないのではなく、日常に着るからこそ、肌着になるほど柔らかく変化するのです。ネパールの人達が真剣に取り組んだおかげで、私達はこうした心地よさを体験できるのです。
 ネパリ・バザーロの紙布は3年でできたとは思えないほどレベルの高いものです。今後も改善を重ねて良いものを作っていきたいと思います。このセミナーのために久しぶりに春代さんやウシャさん達に会え、昨日からまた品質向上のやりとりが始まっています。

土屋春代(ネパリ・バザーロ代表)
 ロクタ紙の販路を広げるのは、とても大変です。従来のカレンダーやレターセットだけでは限りがあります。壁紙の提案もしました。ロクタ紙の生産者団体「ネパール・ウーマン・クラフト」の代表シャンティさんを日本に招いてプロモーションもしました。シックハウス症候群などの問題が話題になっている中、不純物を含まないロクタ紙は住む人の健康にも良く、注目されましたが、それでも継続的にオーダーが出せるほどではありませんでした。紙にまつわる資料をいろいろと調べているうちに、紙布の文化を知りました。紙の布で衣類を展開できれば、継続的に販売ができます。これしかない、と思いました。
 最終目的は、紙布がネパリ・バザーロの商品にとどまらず、ネパールの産業になることです。まだまだ課題はたくさんあります。

(*)ネパール女性起業家協会。WEANの姉妹組織で、女性生産者の協同組合

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