ネパリ・バザーロ 飛騨高山ツアー
「手仕事がつなぐ飛騨高山とネパール」
2006年5月27日(土)〜29日(月)

 ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)は、毎年5月頃に、スタッフ、ボランティア、小売店の方々でツアーを組んで、各地を訪れ、お店の方と交流をはかったり、セミナーなどのイベントを開いたりしています。今回は、ネパリ・バザーロとは古くから関係の深い高山に伺い、ワークショップや講演のイベントを行い、お店を訪問させていただきました。
 今回の参加者は35名。名古屋や沖縄からの現地合流もあり、これまでで一番大人数のツアーとなりました。

森林たくみ塾を訪ねて

 高山に到着して最初に訪れた森林たくみ塾は、木工技術を始め「木」を総合的に学ぶ学校です。特別講師を務める佃真弓さんは2005年12月、かご編みの技術指導のためにネパリスタッフと共にネパールを訪れ、トゥリさんバスケットなどのヒット商品を文字通り編み出してくださった方です。森林たくみ塾理事長の佃正壽さんからお話を伺いました。
 「森林たくみ塾では、授業料をとらず、学びながら作った作品を売って運営費に充てています。生活費は自分でまかなうことになるので、2年間の生活資金の工面も本人にとっては重要な問題です。応募が大勢いるので選考で決めていますが、本当に『仕事として』木工をやりたいのか、やれるのかを面接を通じてじっくり問いかけて決めています。6、7割は仕事を辞めての転職希望者です。これまで160名が卒業し、その8、9割は木工関係の仕事に従事しています。
 日本は国土の約7割が森林です。たくみ塾がある清見村は9割もの森林率です。日照時間などの問題で稲作は難しく、木工は重要な地場産業です。戦後、日本は復興のために多くの木を植えましたが、その手入れをする人はもう70代を越え、引き継ぐ人もなく荒廃してしまいました。杉などの人工林は間引きをせずに放置すると、栄養と日光が不足し、もやしのような状態になって倒れてしまいます。植えるだけでなく、木を切り消費することが森を育てることになるのです。森林保護を訴える人は木を切ることに否定的になりがちですが、手を加えないと森は育ちません」
 佃さんは木を加工する立場で、森林の専門家ではありませんが、木を活用することで森と深くつながっていることを実感し、木を扱う自分たちに何ができるのか、地元だけでなく地球上の森林が良い状態になることを考え、行動しているのです。グループの中核となるオークヴィレッジにも伺いました。循環型社会を目指す想いが、ショールームの商品や博物館の展示一つひとつから伝わってきました。

フェアトレード1日学校

 ネパリ・バザーロは世界フェアトレード月間である5月に毎年イベントを開催しています。今年は地元横浜を離れ、ものづくりの伝統が息づく高山での開催となりました。
 28日午前中は手作りの楽しさと難しさを実感していただくためにワークショップを行いました。ネパールでの技術指導に協力をいただいた佃さんにかご編みを、中畑朋子さんには卓上織り機を使った手織りを教えていただきました。森林たくみ塾の方々は木の枝で作るピーピー笛とブーブー笛を、ネパリのスタッフはネパールのロクタを使った紙漉きを担当しました。また、ネパリのボランティアがネパールの「ミロバラン」と、高山で有名な「イチイ」を煮出した植物染料を準備し、絞り染めも楽しんでいただきました。開始時間前から参加者が受付に並び、それぞれの会場は時間いっぱい大賑わいでした。織りや染めの工程に感心する方、長い籐の扱いに苦労しながら完成させたまぁるい「かご」を両手で大事に持ち帰る方、童心に帰って工作を楽しむ方、親子で会話を弾ませて紙を漉く方・・・主催者側も幸せ気分のひと時でした。
 午後の講演にも100名ほどの参加があり、会場が埋め尽くされました。基調講演とシンポジウムでお話いただいた4名の方々は、高山で精力的に活躍なさっていると同時に、ネパリ・バザーロを長年にわたり応援してくださっています。素材を熟知し技を磨いて製品を作る職人への尊敬の念、勝ち負けや競争ではなく誰もが幸せになれる経済の流れが存在すること、今目の前にある仕事が世界や将来につながっていることの重みが語られました。フェアトレードやネパールの生産者のことだけではなく、生活に根ざして育んできた日本人の生活の知恵を私たちが見失いつつあるということについても考えさせられる貴重なお話でした。
 講演の最後には、ネパリが研修のためネパールから招いている生産者団体マハグティのアニタさん、チャンドリカさんからもお話を伺いました。マハグティでは、困難な状況にある女性たちが多く働いています。夫に捨てられ、子どもと共に行き場を失った女性たちは、多くの場合何の技術も持たないので、マハグティで一から仕事を覚えて自立を目指します。病気の時には、マハグティが医療費の支援をし、体調に合わせた仕事を提供しています。アニタさんはマハグティで働き始めて9年になり、商品の工程管理の仕事をしています。チャンドリカさんは14年前に母親をなくし、経済的に困窮してマハグティの縫製部門で働き始めました。仕事振りが認められ、今は約40人の縫製部門の人たちを指導しています。教育を受けずにきた女性たちに、国際レベルの縫製技術を教え、品質の高い商品を作っていくことは簡単なことではありません。現在のネパールは経済的危機にあり、女性だけでなく男性も職を失い厳しい状況にあります。少しでも技術を向上させ、マーケットを広げることで女性たちの生活を改善していきたい、と熱い想いを語ってくれました。
 講演の終了後は、今回のツアーに同行してくださったパンチャ・ラマさん率いるチョウタリ・バンドが演奏を聴かせてくださいました。ネパリのDVDにオリジナル曲を提供してくださっているパンチャさんたちの素晴らしい音楽に、皆が立ち上がって踊り、会場は大変な盛り上がりとなりました。
 その後の交流会には、高山の方々も含めて総勢50名ほどが集まり、語り合いながら高山の郷土料理を楽しみました。 分野の異なる大勢の方たちとつながりながら、高山でこうした大きなイベントが成功できたことに、人と人との出会いのもつ力が感じられました。宿に入ってからも興奮冷めやらず、明け方まで語り合った人たちもいたようです。

高山のお店訪問

 最終日の29日、最初に伺ったのは、基調講演をしてくださった岡田さんの飛騨産業でした。広い工場内も案内していただきました。木が切られ、曲げられ、磨かれ、塗られて少しずつ家具ができあがっていきます。その工程も目を見張るものがありましたが、何より印象に残ったのは、そこで働く一人ひとりが、技術者として尊重され、誇りを持って製作に取り組み、出来上がった製品に責任と愛情を持ち続けているということでした。大きな機械を導入していても、機械が人に取って代わるのではなく、あくまで技術を備えた「人」が必要に応じて機械を使いこなしているのだとお話されていた初日の佃正壽さんの言葉を改めて思い出しました。効率よく作業ができるように仕事場を整えること、注意しあって小さな事故を防ぐことで大きな事故を回避すること。工場内のあちこちに見受けられる掲示物や道具置き場の工夫などに、常に一歩上の仕事を目指す姿勢がうかがえました。
 その後はグループに分かれて、市街のフェアトレードショップなどを訪問しました。大勢で作り上げた高山ツアー。迎えてくださった高山の皆様、遠くから参加してくださった皆様のおかげで、いっそう充実した3日間となりました。ありがとうございました。

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