紙布との出会い
2006年春に発売した紙布への想いをお二人に綴っていただきました。




ネパールの紙布から生まれた服

スピリチュアルカフェ
フェアトレード&エコショップ 風の里 
高江洲 あやの 
http://sky.geocities.jp/kazeno_sato

 この春、ネパールの紙布から生まれた服が、世界に先がけ日本で発売されました。新たなものを生み出す苦悩は、当事者たちにしか解らないものでしょうが、たくさんの人たちの手を通して丁重に仕上げられた服には、身にまとったときしっかりと伝わってくるものがあります。
 紙布には、何か不思議な力が秘められているようで、「あたたかい気」に包みこまれるような感じがします。それは、身に着けてくれる人の幸いを願い、より良い製品を作ろうと懸命に働いている人々の感謝が込められているからではないかと思います。
 この紙布を手にした時、紙を漉く人々に想いをはせ、手よりで糸車をまわしている人の笑顔を思い浮かべ、草木染めをしている光景や、小ぢんまりとした部屋に響く足踏みミシンの音などが、まるで映画を観ているように目の前にはっきりと現れて、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。
 2004年の9月、初めて訪れたネパール。ウシャさんと土屋春代さんの会話の様子は、言葉は理解できませんでしたが、厳しい生みの苦しみが漂っているようで、静かに透明人間のように座っているだけの私でした。
 また、仕事部屋の方ではマンマヤさんが、細長く切られた紙を懸命に紡いでいましたが、糸車が少し回ったかと思うとプツリ、またちょっと回ってプツリと切れてしまいます。
 それでもニコニコしながら何度も、何度もやり続けている様子を、やはり何も言えずただ黙って見詰めていました。
 それが、サンプルを作るための糸作りの段階で、布にするにはまだまだ太く、強度、デザイン、価格の問題にしてもあまりにも課題が多すぎて、これらの難問を本当にクリアしていけるのか、揺れ動いた時期であったということを、ずいぶん後になって知りました。
 2005年の10月末、沖縄で素材展が開催された後、布になる前の糸の状態で1巻き購入させていただきました。届いた糸は、それはそれは細くしなやかな糸になっていて、手にしたとき思わず涙がこぼれました。どれほどの努力が積み重ねられたのかは想像もつきませんが、仕事を持つ重み、働くことへの切実さは、計り知れないものがあるとつくづく思いました。
 私たちの住む社会では、買い物は不可欠ですが、価格のみで比較し安さを追い求めがちな選択基準や、商品に対する価値観を見直してみる必要があるのではないかと感じるこのごろです。
 たとえば、ヨーロッパの有名ブランド品は、職人たちの手作りによる丹精こめたクオリティの高い製品だからこそ、高価な価値を認められてきたわけです。
 しかし、最近では、賃金の安いアジアなどの下請け企業に、過酷を極めた労働条件で、衣料品などを作らせているにもかかわらず、高額な値段で販売されているようです。
 同じ人間の労力にもかかわらず、欧米とアジアではなぜ、これほどまでに差があっても当然とされるのでしょうか。アジアの人々は、欧米の人々に比較して技術や能力が劣るというのでしょうか。意欲や向上心が欠落しているというのでしょうか。今、彼らに必要なのは充分に学ぶ機会と、必要な情報を得ることではないでしょうか。
 どこの国で生産されたものであろうと、労力、製品の品質や価値が正当に、そして対等に評価されるようになれば、貧困問題を解決していく手がかりのひとつになるはずです。
 春代さんは、そのことにいち早く気づかれた方だと思います。「お金は使ってしまえば減ってしまう。でも、技術は伝えていけば、どんどん広がって、減ることはないでしょう」その言葉は、生産者の方々を日本に招き、長期滞在プログラムを組み、必要な技術研修を行い、マーケティングの現状をじかに観てもらうなど、見えない財産をしっかりと手渡す努力で実践されています。それが製品の品質向上につながり、着心地の良い服となっているわけです。つくる人、着る人、地球にも優しい暮らしは、質を高めて量を減らす。質の良いものを長く大切に着る。そんな何気ないところから始まるのではないでしょうか。


ロクタの紙布から教えていただいたこと        

GAIA お茶の水店 
久保田繭美 
http://www.gaia-ochanomizu.co.jp

              
 衣服素材としての紙との出会いは20年位前のことです。弟がバイク関係の景品で手にいれた紙製のジャンパーを着てみたところ、かなり軽く薄いものでしたが、とても暖かくてびっくりしました(多分、紙布というよりは紙子(*)で、ビニールコーティングされたものだったと思います)。汚れてきた頃、また簡単に手に入る気がして処分してしまいましたが、それから同様のものは全く見つからず、後悔しました。以来、バイクが趣味という人に会うたびに尋ねていますがなかなか見つかりません。それでもある時おもしろいことを聞きました。バイクに乗るとき新聞紙を2つに折り曲げ、胸板をカバーするようにズボンに差し込む、ただそれだけでかなりの寒さに耐えられる。上着を重ねるよりよほど暖かいそうです。紙という素材に敬意と興味を持ちました。
 2006年2月の展示会で紙布と出会い、私はいろいろな発見をさせていただきました。もともと私は素材がその特徴を無理なく発揮している様子や、自然に土に還ったり、次の世代に受け継がれる循環的なしくみが好きで、それが今の仕事につながっているのかなと思います。楽しいこと、すばらしいなと思えることがあると、早く多くの方に伝えたくてたまらなくなります。紙布もそうです。その軽さ、水に通すほど増す、あたたかな風合いの魅力とともに、製品として誕生するまでに関わった方の心に感動しました。日本の昔の技を参考にされたとはいえ、実際には現地のロクタ紙を現地の方たちに加工してもらう…。事業として成功の保証もない手探りの紙布の開発。それを乗り越えられたのは、土屋さんら日本の方たちとネパールの皆さんのお互いの信頼と、熱意あってこそだと思います。またそれぞれの役割や持ち味を生かし、互いにより良い方向へ向かおうとする姿が、植物の成長のようで素敵だなあ、と。今の日本では、ネパールの貧困をそう簡単には理解できないのかもしれません。技術指導にあたられた大塚さんのエピソードが印象的でした。ご自分で細く撚りをかける実験をしてみて、あまりの大変さに技術を伝える際に申し訳ないような気持ちでいっぱいだったとか。でも実際手本を見せるとネパールの女性たちは目をかがやかせて喜んだといいます。そこには自分の技術の向上への期待とともに、これから先、ネパールの人の仕事がもっと増えるかもしれない…という希望があったのだと思います。
 そんな今の日本では考えもつかない発想に私は驚きました。ネパールの仕事のない現状を、そこで少しだけリアルに感じることができました。またそこから、私達の豊かさ、貧しさについて思いをはせました。物質的に豊かで、いろいろな違いが少ないというのは恵まれてもいますが、アイデンティティの持ち方、向上心、自他への興味、他者や未来を想う想像力などが、希薄になってしまうのかもしれません。このようなことを考えるきっかけをネパリ・バザーロさんの紙布との出会いからいただきました。本当に感謝いたします。丁寧な取り組み方や姿勢から、勉強になることが多く、これからもいろいろな試みを楽しみにしています。今回紙布のカーディガンを1着、清水の舞台から飛んで(笑)購入しました。着ては洗い、サンプルとして売り場に吊し、また着て…を繰り返し、ご来店いただいたお客様に紙布の素晴らしさを、手に取って知っていただけるようにしていきたいと思っています。

(*)和紙をよく揉んで柔らかくして仕立てた衣。織物ではない。


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