シンポジウム「手仕事がつなぐ飛騨高山とネパール」


パネリスト

瀬戸山えい子
(飛騨高山テディベアエコビレッジ館長、インターナショナル旅籠「力車イン」代表)

佃真弓
(森林たくみ塾特別講師)

中畑朋子
(染織作家、アトリエ月の舟主宰)


コーディネーター

土屋春代
(ネパリ・バザーロ代表)


「たまたま」の出会いから
土屋春代(以下土屋):人との出会いは不思議で面白い。出会いがすべてともいえます。私と、高山の女性たちとの出会いをご紹介します。

瀬戸山えい子(以下瀬戸山):12年前の衝撃的な出会いでした。東京から地元高山に戻って、力車インを始めてしばらくした頃、春代さんが泊まってくれました。「ネパールのコーヒーを売っている」とフロントで話しているのが耳に入り、興味を惹かれて詳細を聞きました。インドを訪れ、人の不条理にカルチャーショックを受けていた直後、新聞で紹介されていて心に残っていたネパリ・バザーロ(以下ネパリ)の方だと気づき、偶然の出会いに驚きました。春代さんは金沢の販売に行く途中にたまたま力車インに泊まってくれたのですが、私はもっと詳しく知りたくて、翌日には金沢まで行ってしまいました。ぜひ私も協力したいと思い、力車インのラウンジを「ネパールのいちば」と題した販売会場に提供することとなりました。商品はとても魅力的でしたが、セーターに穴が開いていて困ったこともありました。今は、すっかり技術が上がり感心しています。最初に会った時に「なぜネパールか」と尋ねたら、急いでいたからでしょうが「たまたまネパール」と言われたのですが、私はそれに納得。世界中に大変な国がたくさんありますが、すべてと関わることはできず、どことつながるかは「たまたま」。見て見ぬ振りができなくなって、困難を克服してきたのだと思います。

土屋:発足当時の商品は怖くて見られません。商品は今ひとつだけど、活動に共感するから寄付のつもりで買うという人もいました。でも、それでは長続きしません。品質向上が形となって現れだしたのは設立後10年以上経ってから。これまで買い支えてくださった皆さんに本当に感謝します。

佃真弓(以下佃):初期の商品は見たくないとのことですが、今着ているのはその頃買った服です。ある日、瀬戸山さんから「この日空いている?」と「ネパールのいちば」に誘われました。飛騨で友人の誘いを断ったら恐ろしい(笑)。行ってみると高山にはない変わった服があって買い求め、お手伝いもしました。この服もちゃんと穴が開いていますが、着心地がよく10年以上着ています。その後、バザーの度に訪ねていましたが、深く話し込むことはないまま10数年。それが去年、また瀬戸山さんから突然の誘い。行ってみると、そこに春代さんがいて「かご編みをされていますよね。ネパールに行っていただけません?」と言われ、「ネパールってどこ?」と思いながら、引き受けてしまいました。その後に「ネパールは今危険だけど大丈夫ですか?」と聞かれたのですが、引き受けちゃったので行くことにしました。良い出会いに感謝しています。
 ネパールでは、トゥリさんにかご編みを指導しました。彼は10歳頃からずーっと竹を編んで家族を支えてきました。いきなり知らない日本人女性が来て、あれこれ言い始めても聞く気はありません。私を無視して編むので、手本と同じ形になりません。横で私が編んでみせると、ようやく関心を持ってくれました。女性からものを教わるなんて、トゥリさんには抵抗が強かったのですが、仕事が必要という責任感もあり、自分から質問までしてくれるようになり、かご編みを習得しました。
 ネパールに行くと、あちこちの団体が商品開発の必要性を抱えているのが伝わってきます。シャム・バダンさんの工房では、セージのほうきやセラピーバスケット(癒しのかご)を指導しました。経験のある女性たちでしたが、最初に作ったセラピーバスケットはどうみても癒されないかごで、このプロジェクトは頓挫するかと思いました。けれど、彼女たちは一日中根気強く編み続け、何日か経ってきちんと癒されるかごになりました。ネパールに同行したことが、本当の意味でのネパリとの出会いだったと思います。

中畑朋子(以下中畑):初めて春代さんに会ったのは2004年9月、ネパールで。4月から12月までJICAの短期専門家としてシルク製品の開発指導に派遣されていました。糸はできてきましたが、売れる商品となるとデザイン、技術共に困難。ネパリのカタログを見て、ネパールでこんなに素敵なものを作っていることに驚いて春代さんに連絡を取り、9月にお会いできました。そして去年、高山で再会した時、「ネパールへ行っていただけますか?」と、控えめに、でも断れない口調で言われました。そして、2005年末にネパールへ。ネパールでは、3ヶ所の工房で違う種類の織りを指導しました。10日間の短い滞在で織り上がるところまでを確認しないといけないので苦労しました。90センチの織り幅だとたて糸は1300本。順調に進んでいると思っても、通し方など間違いに気付けば一からやり直し。彼女たちもショックを受け、なんでこんな大変なことを、という気持ちが顔に表れていました。でも、織り始めてみると、初めて見たデザインに嬉しそうで、こちらまで嬉しくなりました。

土屋:わずか10日間で指導するという無茶なことをお願いしてしまいましたが、本当に素晴らしい商品ができあがりました。

中畑:彼らは、きちんと作ればネパリが買ってくれると信頼して仕事をしています。いい仕事をすれば収入になると理解しているので飲み込みが早く、できないと困るという切実感もありました。

土屋:マーケットにつながらない技術支援は、せっかく習っても無駄になり、無意味。生産者も必死ですが、良いものを作ってもらわないとネパリ・バザーロ自身も食べていけないから、私たちも必死です。

ネパールとの「縁」
土屋:たまたまの出会いからネパールとつながり、今後の展開についてもお話を。

瀬戸山:ネパールには高校生の時から行ってみたいと思っていましたが、まだ行ったことがありません。しかし、非常に親近感があり、テレビで映像が出ると知っている人が出ているような気になります。近いうちにぜひ行ってみたい。こうしてネパールと縁ができ、毎日継続して使えるものを提案していきたいと思います。コーヒーも継続しやすい商品。力車インの宿泊客は9割が外国人ですが、以前泊まった時に美味しかったからとわざわざコーヒーを買いに立ち寄ってくれる人もいて感動しました。このコーヒーを扱って良かったと思います。

佃:私は、早く自分が必要でなくなるようにと思います。いつまでも私が指導はできません。編む技術はどこの国も一緒。生活の中で、日常のものが入れられるように工夫して作ってきたのがかご編み。彼らは、教育がないから手仕事しかない、機械が買えないから手作りしかないと思いがち。そうではなくて、自分の2本の手で新しいものを創り出す素晴しさ、技術への誇りに気付くよう協力したいと思っています。

中畑:ネパール人自身が新しいものを知りたい、作りたいという気持ちになってほしい。たまたま私は日本に生まれ、織りを知っていたからネパールに行けました。彼らも織りの技術を習得することで可能性を広げてほしい。それまでは小さく少しずつ協力していきたい。支援できることを幸せに思います。
土屋:ネパール人自らというのはまったくその通りですが、カースト制や、100年に渡るラナ家の愚民政策がわずか60年前まで続いていたという負の遺産により、彼らは自信を奪われてきました。そんな彼らに自力だけで乗り越えろというのは酷で、協力が必要です。製品も、いきなり世界のトップレベルを求めるのは無理で、ステップバイステップで作っていくしかありません。たまたまご縁があって出会えた、こうした素晴らしい方たちのご協力をいただいて、さらに魅力ある商品づくりに取り組み、ネパールの人々の生活向上と、私たちにとっても暮らしやすい社会創りを目指していきたいと思います。

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