対談2006年7月30日

フェアな社会に向けて ビジネスを通して社会を変える

ネパリ・バザーロは、1992年の設立以来、様々な人との出会いがありました。語り合い、意気投合し、刺激し合い、時に活動を共にしてきました。そうした人と人との結びつきが活動の原動力となり、幅を広げてきました。私たちの目指すフェアトレードが、社会のあり方、自身の生き方全体を問うからこそ、異なる分野で活動している人とも同じ想いをもつことができるのだと思います。
このような多くの人々とのつながりを、代表の土屋春代との対談で皆様にご紹介していきたいと思います。2回目のゲストは、ビジネスを通して環境問題に取り組まれている、実業家の瀬戸山えい子さんです。



ゲスト 
瀬戸山えい子

「飛騨高山テディベアエコビレッジ」館長
インターナショナル旅籠「力車イン」代表
多感な時期にアメリカ文化に触れ影響される。が、1988年にインドを旅して混沌と不条理を目の当たりにして以来、西洋的価値観からの転倒が始まる。1994年東京から高山にUターンし旅人の視点から「力車イン」を設立。その後1999年に、環境をテーマにした「テディベアエコビレッジ」を、日本で最初に大型店舗からフロン製品を一斉撤去した岡田氏と共に立ち上げる。




土屋春代 (ネパリ・バザーロ代表)
中学時代に知ったネパールの子どもたちの厳しい状況と、その20数年後に聞いた状況がほとんど変わっていないことに強い衝撃を受け、教育支援活動を始める。しかし横たわる深刻な貧困問題に直面し、仕事の機会創出のため1992年ネパリ・バザーロを設立した。


1994年、ネパリ・バザーロがネパールコーヒーの輸入を始めた年、飛騨高山で運命の出会いがありました。


土屋春代(以下土屋):1994年はコーヒーを扱い始めたばかりで、できたてのパッケージを持って全国を売り歩いていました。その途中で、たまたま人に紹介された「力車イン」さんに泊まりました。帰り際、受付の人と話していた時、「ネパリ・バザーロ」と言った途端、奥からえい子さんがだーっと走り寄って来られましたね。

瀬戸山えい子(以下瀬戸山):ちょうど新聞で春代さんの記事を見て関心を持っていて、ぜひお目にかかりたいと思っていたら、その方が突然目の前に現れたのですから。衝撃的でしたよ。

土屋:その年の秋から年に一度、6年間継続して、「力車イン」さんのラウンジで『ネパールのいちば』という展示販売会をさせて頂きました。1994年はえい子さんが高山に移って来られたばかりだったのにも関わらず、たくさんの方がいらしてくださいました。

瀬戸山:知り合いに「とにかく来て!」とお願いしたら大勢来てくれて、かなり買って頂きましたね。初めて物販をしたのですが、お客様の反応がダイレクトに伝わってきて、興奮しました。

土屋:その頃はスタッフも一人で、ひたすらイベントを企画したり、各地のお祭りに出店していました。

瀬戸山:今のネパリからは考えられないですが、当時は本当に行商でしたね。安房峠という落っこちそうなほど細い道を、たくさんの商品を車に積んで来ていましたね。このラウンジが商品でいっぱいになっていました。 

土屋:今までえい子さんたちにきちんと活動について伝えたことはありませんでした。その当時は、家族や周りの人でさえも活動を理解しきれなかったのに、えい子さんたちは、なぜ私を応援してくださったのですか?

瀬戸山:春代さんの想いに共感したからです。そして、共感した私に、多くの人が共感してくれ、そこから共感の連鎖が生まれました。人の役に立ちたいと思っている人はたくさんいますが、みんなどうすればいいのか分からないのです。サポートしたいという気持ちがあって、それが、お買い物でできる、ということは魅力的だと思います(笑)。私たち応援する側も、続けることが何より大切だと思って、どうすれば継続できるのか考えていましたが、「ネパールのいちば」ができなくなった時、コーヒーだけはずっと続けようと心に決めました。でもそれは、すごくおいしいから。それが一番の理由です。テディベア・リトルカフェも、力車インも、おいしいネパリコーヒーをずっと出し続けていますよ。

出会いから12年がたちました。ビジネスとしてのフェアトレードが、ようやく理解されるようになってきました。


瀬戸山:この12年間は大きいですね。当時は、記事にも「慈善バザー」とか、「チャリティー」とか書かれました。ニュアンスの違いを訂正しても、記者の人も分かってくれない時代でした。

土屋:フェアトレードが理解されてきたのもやっとここ最近です。以前はビジネスとつくと営利活動で、私利私欲のためと思われる方もいらっしゃいました。

瀬戸山:ビジネスそのものが悪いわけではありませんよね。

土屋:まっとうなビジネスで得た利益を社会に還元するのは立派なこと。それがなかったら社会的弱者をどうやって守るの?病院や学校、道路はどうやって作るの?一方からしか物事を見られない人がたくさんいます。お金に罪があるのではなく、得た利益をどうやって社会に配分するかが大切です。私は、お金の本当の価値を知り、お金に振り回されていない人にすごく惹かれます。

瀬戸山:今の売上げはどのくらいなのですか?

土屋:2億を超えています。

瀬戸山:すごい!本当に素晴らしいことだと思います。ここで「ネパールのいちば」をやっていたときは、まだ自転車操業で、春代さんも自腹をきっていた頃ですよね。ネパールに多大な貢献をされていますね。

土屋:その当時はコーヒーの輸入を始めたばかりで、いくら働いてもお金にならず、収入がありませんでした。ネパールの対日輸出額はあまりに小さいので自慢になりませんが、今では衣類、雑貨、食品すべて合わせて、ネパールの対日輸出の5%を占めています。もちろん、きちんと税金も払っています。遠い外国の支援だけではなく、税金を払って地域社会にも貢献しているというのは誇りです。

瀬戸山:私も「力車イン」を始めたばかりの頃は、全部投資して、全然お金がありませんでした(笑)。

土屋:でも今や、素晴らしい実業家ですね。「力車イン」をされながら、「テディベアミュージアム」の館長で、「リトルベア・カフェ」も経営されていて。

瀬戸山:いえいえ、実業家なんてとんでもない。とにかく原点があるからです。何もかも自分でやるという時代があったからです。何時から何時までやっても終わりがない仕事ですし、スタッフが一人しかいない時代もありました。NGOやソーシャルワークというと、お給料をあまり支払われないイメージがあるのですが、春代さんはきちんとされていて、さすがですね。

土屋:頑張っているスタッフに、少しでも多く分配したいと思っています。後は、いかに次の経営陣を育てるかです。今、必死でプレッシャーをかけているところです。

瀬戸山:以前、夫(注1)の「東京ゴミ袋」という本の取材に付き合って「夢の島」(注2)に行ったのですが、そこでは、新品の洋服がどんどん捨てられていました。大きな矛盾を感じますが、フェアトレードは矛盾がなくていいですね。若い人たちは、そんな職場で働けてうらやましいです。

土屋:今の社会は「理想ばかり言っていても食べてはいけない」と大人が勝手に決めつけ、若者から夢を奪っているような気がします。2006年5月の高山のイベントでは、えい子さんや岡田贊三さん(注3)の話を聞いた人たちはみな、フェアトレード以外のビジネスでも、「矛盾なく生きられる」ということを感じてくれました。

この活動を通して、たくさんの出会いがありました。そして、大切なことを学びました。


瀬戸山:人の役に立ちたいという気持ちは誰にだってあります。ただ、貧しくてかわいそう、というのは思い上がりだと思います。人の役に立つとはどういうことか、私は常に問いかけています。目の前に困っている人がいるからといって、すぐに「はいどうぞ」というのは、本当の意味でその人のためになるんでしょうか。

土屋: できることと、やっていいことは違います。相手のことを親身になって考えたら、何をするのが一番適切か、きちんと考えなければなりません。聞いた話ですが、ある日本人がとても親切なネパール人の世話になり、誠実で真面目なその人を金銭的に支援し、日本にも招いたりしたそうです。すると、それまでは勤勉だった彼がだんだん働かなくなり、家でお酒を飲んだり、暴力をふるったりするようになったそうです。

瀬戸山:支援って何だろうと、いつも考えます。だからこそ、フェアトレードの商品を買うことで、生産者の生活が成り立つことは、すごいと思います。でも、「商品力」がないと物は売れません。そのためには、言いたくないことも、言わないといけない時があります。自分は何て生意気なんだろうと思って落ち込んだりしますが、中途半端な気持ちで仕入れをしても、結局人に販売する時に、相手に押し付けてしまうことになりかねません。きちんと言わないと、生産者とお客様を裏切っちゃう。

土屋:誰だってきついことは言いたくないですが、言わなければ、長い目でみたら仇になってしまうこともあります。

瀬戸山:レッグウォーマーも最初穴があいていたけれど、今は品質がとても向上しましたね。

土屋:ありがとうございます。以前セーターも太い毛糸で編んでいたのでとても重く、もっと細い毛糸で編むように、何度も何度もしつこく言いました。生産者は新しいことになかなか挑戦したがりませんでしたが、言わなければならないと思って諦めませんでした。ついに細い毛糸で編むようになり、他の国にもたくさん売れるようになりました。

瀬戸山:ネパールの生産者も、きっと自信がついたことでしょう。かご作家の佃真弓さんは、2005年末にかご編みのトレーニングをした際、最初はなかなかうまくいかなくて、どうなることかと思ったそうですが、一回分かったら早かったと言っていましたよ。

土屋:それは、教育の土台が日本とは全く違うからです。直角とか平行とか、教育を受ける機会のなかった人たちは簡単に理解することができません。一つひとつ、手取り足取り、丁寧にゆっくり時間をかけて説明していかなければなりません。ネパールでは教育が大切にされなかった、むしろ権力を握ったものが自分に都合のよい民衆にするため、教育を阻んできた歴史があります。ようやく政府も教育に力を入れる必要を感じてきた矢先に、長く抑圧されてきた人々による武力闘争が始まり、地方では政府の学校が破壊されたり、教師が殺されたりしました。そして、教育の権利を奪われるだけでなく、無理矢理兵士にさせられる子たちもいました。

瀬戸山:世界中にそのような人が多くいると思うと胸が痛みます。一部の人が自分の利益を守るために、その他大勢の人権が奪われているなんて・・・。

土屋:自分や自分の一族のみが富や権力を得ることができて、何がいいのでしょうか?

瀬戸山:人間の心の中には、もともと素晴らしい天使と、恐ろしい魔物が潜んでいると思います。でも、それを克服するのが教育じゃないでしょうか。していいことと、してはいけないこと、社会をより良くする方法を教えるのが教育です。もちろん自分自身も、もっと教育していかないといけないと思っていますが(笑)。

土屋:以前ネパールの女性に、「教育は毒だ」と言った日本の若者がいました。高等教育を受け、留学の経験もありながら、「教育なんて受けない方がいい。お金なんてない方がいい」と言いました。彼女は、「お金で買えるミニマムの幸せというものがあります。日本人には分からないかもしれませんね」と、後でぽつりとつぶやきました。食べるものがなかったり、病気になっても病院には行けず、薬も買えなかったり、たとえ薬が手に入っても、それを飲むための清潔な水がないような状況では、ミニマムの幸せも満たせません。日本の状況とは全然違います。

瀬戸山:学歴ではなく、物を読んだり書いたり、という基本的な教育があれば・・・。何が必要かを考えて、自分の力で生きていくための教育ですね。

土屋:その通りです。自分自身で選択するのは自由ですが、それしか選択肢がないというのは残酷なことだと思います。豊かさの指標は多様な選択肢があることだと思います。自分は好きな道を選んでおいて、他人の選択の自由を認めないのは傲慢です。

瀬戸山:私は、人が自由でいるのを見るのが好きです。そして、自分自身も自由でいないと人の自由は分かりにくいですね。

土屋:私もそうです!!だからこそ、自立してほしいと思います。人として生まれたからには、誰にも抑圧されずに生きてほしいと思います。

瀬戸山:でも、決して一人ではなくて、誰かがあなたのことを気にかけているんだよ、ということを、厳しい環境で生きている子どもたちに伝えたいです。

土屋:人に気にかけられている、祈られているというのは、人を元気にします。自分の命は自分のものだけではないということを知ります。「人間の大地」(注4)という本に、ある難民キャンプで、もう助からないと医者にも見放された幼児を、外国から来たボランティアの青年が二日間抱きかかえ祈り続けたところ、その子に生きる力が蘇ったという実話があります。それを読んだ時、涙が止まりませんでした。家族や友達など、近い人だけを思いやるのは人間のエゴに過ぎません。遠くの人を思いやる気持ちというのは、人間にしかありません。

明日で丸14年が終わります。1992年にネパリを創設して、2006年8月1日から15年目に入ります。


瀬戸山:1998年頃、「やめたいと思う時はありませんか?」と春代さんに聞いたら、「何度もありますよ。ネパールから日本へ帰る時、飛行機が落ちてくれないかと、どれだけ祈ったことか」とつぶやかれましたよね。それまでそんな話はしたことがなかったので、辛さや大変さは知りませんでした。しかし、やはり相当な覚悟が必要で、本当に大変なんだと実感しましたよ。フェアトレードをやりたいという人には、その話をして、簡単にはやらない方がいい、と言っています。思いつきでやってしまっても、生産者は期待しますから、それだけ強い想いがないと続けていけませんね。

土屋:始めた頃はあまりにしんどく、続けていける自信がありませんでした。でもネパールの状況を知ってやめることはできず、精一杯できるだけのことをしたら後は天に委ねようと思いました。そして、飛行機は落ちず、ここぞという時はいつも誰かが現れ助けられました。いつもどこに進むべきか明確に見えますし、不思議です。

瀬戸山:存続する意味があれば、必ずどこかから、素晴らしい助けが現れると思います。

土屋:数年前までスタッフが定着せず辞めていった時、もう続かないからたたもうかと副代表の完二さんと話していた時も「人事を尽くして天命をまつ」覚悟を決め、余計なことは心配しないことにしました。

瀬戸山:私も同じです。物事は、自分でやっているようで、実はやってないんですよね。私たちは神様に導かれるままに動いているみたいで・・・。だから、「よくそんなにやってるね」と言われますが、「頑張って自分でやっている」という意識ではなく、導かれるままに身を置いているだけなのです。いつか必要とされなくなったら、それは時代の変わり目として受け止めます。
 なぜネパリをここまで応援し続けてきたのかって、その理念というものを自分の中で探そうとしたんだけど、なかなか見つからないんです(笑)。やっぱり楽しかったから、好きだったから、春代さんに共感し続けているから。

土屋:この仕事をして一番うれしいことは出会いに恵まれていることです。自分に正直で、自分を大切にする人、他の人にも手を差し伸べる心の余裕をもった、強くやさしい方たちと出会えて元気、勇気をいただきます。心と心が響きあうたくさんの出会いがあったから、私ひとりでは決して成し得ないことがかたちになり、ここまでくることができました。
 ビジネスという現実的な力を武器に、誰もが安心して暮せる社会創りを目指しましょう!


(注1)瀬戸山玄(せとやまふかし)。ノンフィクション作家。写真家。主な著書に「里海に暮らす」「野菜の時代‐東京オーガニック伝」など。

(注2)1958年に東京都江東区に作られたゴミの埋め立て処分場。かつては「ゴミ捨て場」の代名詞でもあった。

(注3)飛騨産業株式会社代表取締役社長。ネパリ・バザーロの初期の頃からの応援者。

(注4)犬養道子著。中央公論社。1983年発行。難民問題、南北問題について鋭く言及した本。傍観することは加害者と同様であると、行動を促す迫力ある書。






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