特集 SPECIAL ISSUE
私らしく
クリスマスとお正月


冷たい木枯らし。秋も深まる頃。
街はクリスマスやお正月のかざりつけに彩られます。
華やかな街を通りぬけながら、時の速さを感じます。
往く年と迎える年。
カレンダーの最後の一枚を見ながら
どう過ごそうかと考えます。

おおぜいのにぎやかな時間も好きだけれど
ひとりで静かに過ごすひとときもいいものです。
そして、ゆっくり今年を振りかえりましょう。
たくさんの出会いがあったこの年を。
今年一番のお気に入りの服。
友人に作り、ほめてもらったカレー。
お世話になった方にプレゼントしたクッキーとコーヒー。
それらを作った人たちのことを知りました。
気に入ったものを買うことで誰かの支えになれると知りました。
作っている人たちは遠くに住んでいるけれど
みんなで一緒に生きているのですね。

たくさんの人と気づかぬうちにつながっていると知った今。
多くの人に守られていると感じた今。
温かく安らかな気持ちで過ごせるクリスマスとお正月は
きっとこれまで以上に心に残る日となるでしょう。

お世話になったたくさんの人に感謝をしつつ
少しでも誰かのお役に立てたことに感謝して。
私らしく今年を送り、新しい年を迎えます。
「ありがとう」の言葉とともに・・・ 


 特集1 私らしく
ひとりでゆったりクリスマス


特集2 私らしく
みんなで過ごすクリスマス


特集3 私らしく
食品もこだわって選びます。
体に入るものだから
食品はこだわって選びます。
新鮮な素材を使って
美味しいことはもちろん
作っている人の健康も守り
顔が見えていることが
私の選ぶポイントです。

ネパリ・バザーロの紅茶が作られているカンチャンジャンガ紅茶農園は、首都カトマンズから遠く離れた、東ネパールのパンチタールという地域にあります。インドのダージリン、ネパールのイラム地域のさらに北側にあり、美味しい紅茶ができる地域です。カルダモン、シナモン、ジンジャー、ベイリーフなどのスパイスも栽培されています。
 この農園は1984年に100を超える農家が協力して協同組合組織を作り、農家の人々自身の力により始められました。空気と水が新鮮な、海抜2000m前後の山間部で、傾斜が60度もある土地を活用し、生活改善に役立てています。さらに有機農業の実践により、土壌が肥沃になり、退化が抑えられ、紅茶の木で地滑りを未然に防いでもいます。養分の供給は、周辺の田畑で生産される堆肥、緑肥を基本にしています。虫の駆除には、野生のイラクサから取れる液体などを利用して、無理のない形で防虫効果を出しています。紅茶工場では約50人、紅茶農園では約200人の人々が働き、茶摘みの季節にはさらに多くの人々が働いています。また、生活道路を確保し、教育支援をおこない、ソフトローンなどいくつかの福祉プログラムも実施しており、地域の生活水準向上にも大きく貢献しています。最近では、マーケットにつながっていなかった紅茶農園周辺の農家が栽培しているスパイスの販路拡大や有機証明取得への基盤整備をネパリ・バザーロと協力して進めています。また、県立神奈川総合高校のワンコインコンサートの皆さんと一緒に、紅茶農園の子どもたち(約170人)に奨学金を出しています。

ネパリ・バザーロのスパイスは、ネパール東部のフィディム、西部のグルミ、アルガカンチの村々など、町から遠くて生活が厳しい、しかし自然が豊かな地域で栽培されています。スパイスは再生産植物(NTFP*)の一種で、荒地でも栽培でき、成長も早いため、環境にやさしい植物です。わずかな土地しか持たない生産者にとって、スパイスは貴重な収入源になる可能性を秘めています。紅茶、コーヒーで身につけた技術を柱に、私たちと現地の協同組合が協力し、農家を一軒一軒歩き回り、少量ずつ集めています。
 村で収穫されたスパイスは、首都カトマンズにあるスパイシー・ホーム・スパイシーズ(SHS)という工房に運ばれます。SHSは、シターラ・ラジバンダリさんが女性の仕事創りを目指して立ち上げた小さな工房です。そこでは、厳しい経済状態にある女性たちがスパイスを粉末にし、新鮮なうちに一つひとつ小袋にパッキングをして、日本に出荷しています。日本に到着後、近隣の障がい者地域作業所で箱詰めを行い、製品の完成です。
私たちが美味しく安全なスパイスを使うことが、遠隔地に住む立場の弱い生産者の自立に役立っているとは、何て嬉しいことでしょう。スパイスの新鮮な香りが、私たちを明るい未来に導いてくれているようです。(*)Non Timber Forest Product

ネパールで初めてコーヒーが栽培されたのは1944年頃のこと。インドから持ち込まれたアラビカ種の種を、ルンビニ地方のグルミ地区で、2〜3人の農夫が植えたのが始まりです。今でも、その木は、村の中で大切にされています。
 1994年、ネパリ・バザーロがグルミ、アルガカンチ地区を訪れ、購入協定を結びましたが、その頃は市場がなく、農民は木を切らねばならない状態でした。大変奥地で、反政府の過激武装集団の拠点、ロルパの手前の地域です。それだけ生活も厳しいところです。グルミ協同組合の中心的存在のパルシュラムさんは、車も入れない細い道や、雨が降れば川に変身する危険な道を行き、山の中に散在する家々を一軒一軒訪ね歩き、農民のコーヒーを集め、市場への橋渡しに努めてきました。コーヒーを村から町まで運ぶにも大変な危険や困難が伴っています。
 今では継続的にコーヒーを売り、収入を得ることができるようになりました。日本では県レベルの広大な範囲に電話はわずか1台。化学肥料は使用せず、牛糞を肥料としています。その地域の特性を活かすために、有機栽培(自然農法)をその特長として進め、2006年3月には、ようやく有機証明取得にこぎつけました。これまでに蓄えた技術やノウハウを使い、安全で新鮮なスパイスの栽培も進めています。最近では、韓国にもこのコーヒーが輸出されるようになりました。
 政情不安が続く中、その原因の一つ、アウトカースト(身分が低く、経済的にも困窮している人々)を考慮し、常にそのような人々を巻き込むようにこの活動は続けられています。
 

特集4 私らしく
ネパールの生産者から日本の皆様へ。
ネパールとつながる 私たちの暮らし

高い技術と丁寧な仕事
コットンクラフト
1993年に、代表のサラダ・ラジカルニカルさんが始めた小さな工房です。今では30人ほどの女性たちが働き、小物だけでなく、服の縫製や新しい織りにもどんどん挑戦しています。とても丁寧な仕事ぶりで、製品の幅を広げています。

この道40年の洋銀細工職人サヌ・バイさん
15歳の時から父親について洋銀細工を学び始め、もう40年になるサヌ・バイさん。スプーンやフォークを、一つひとつ型を取るところから作っているので、1日50本しか作れません。息子や親戚6人で仕事をしています。

木彫りのスタンプ職人 
シディマンさん
木切れを木槌の代わりにして、傘の骨などで作った刀でスタンプの柄を器用に彫っていくシディマンさん。難しいものでは1日5個くらいしか彫れない、とても細かい仕事です。家族を支える彼にとって、とても貴重な仕事です。

フェルト商品から服作りまで
ミランガーメント
「ミランガーメント」は、代表のシャラダ・リジャルさんと共に、女性を中心とした40人ほどのスタッフが働く活気に溢れた工房です。ヘンプコットンなどの素材を活かした服や、カラフルでかわいいフェルトの商品などを作っています。


家族を支える竹かご職人
トゥリ・バハドゥールさん
トゥリ・バハドゥールさんは、カトマンズから車で約1時間の山村に5人の家族と暮らしています。トゥリさんは父親から教わり、竹かごを作り始めました。一本の竹が素敵なかごに生まれ変わる過程には、職人の技と苦労があります。

伝統を受け継ぐミティーラアート   
ジャナカプール・  
アート&クラフト
1994年に、代表のアジツさんが設立した、ジャナカプールに昔から伝わるミティーラアートを製品化している工房です。厳しい生活状況で収入が必要な女性たちに絵のトレーニングを行い、得意分野で力を発揮できるよう気を配っています。

常に底辺の女性と共に
マハグティ
1927年に設立された、ネパールでもっとも古いNGO団体。1972年に厳しい状況の女性とその子どもたちの避難所を開き、機織りや糸紡ぎ、縫製などの指導を行ってきました。その販路開拓と資金作りのためのマーケティングNGOが「マハグティ」です。

女性の自立を願って 
ネパール・ウーマン・クラフト
1997年に、代表のシャンティ・チャダさんが、女性の自立を願って設立しました。カトマンズ郊外ゴカルナと、遠方の極西ネパールのバジュラで生産された紙を、カレンダーや便箋など様々な形にデザインし、販売しています。

草木染めと絞りが得意
マヌシ
代表のパドマサナ・サキャさんが、女性たちの仕事創りのため、1991年に設立したNGOです。20人ほどの女性たちが、主に草木絞り染めの製品を生産・販売しています。各地で厳しい状況の女性たちへのトレーニングも行っています。

アイディア溢れるハンディクラフト 
ネパール・ノットクラフト・センター
代表のシャム・バダンさんが、1984年に起ち上げた工房では、明るい雰囲気の中、ネパール初のまくらめ編みや、リサイクルウッド、とうもろこしの皮から作った商品など、アイディア溢れるハンディクラフトが作られています。

特集5 私らしく
お正月のおせち


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