ケーキに入っている玉子のお話
文・土屋 春代

ネパールコーヒーの輸入を始めた1994年秋。販路開拓で名古屋へ行き、自然食品店や共同購入会に取り扱いのお願いをして歩きました。その時あるお店で仕入先の生産者紹介として手書きイラストが入った養鶏農家のニュースレターをいただきました。それを読んでこれほどこだわった卵があるのかと驚くとともに、大変なご苦労に心を打たれました。
 障がい者地域作業所の仕事をより広げるために、クッキーとは違う新たなお菓子作りを企画し、2006年秋「コーヒーのケーキ」発売を目指し試作にとりかかった時、予定した素材に卵は入っていませんでした。
 これまでの紅茶クッキーもコーヒークッキーも「アレルギーの人も食べられる卵なしのお菓子を」という主要取引先の要望と、製作を依頼した作業所がその条件でとてもおいしいクッキーを作ってくれたことから、一般市場にはほとんど無い、卵アレルギーの人も安心して食べられるおいしいクッキーが実現しました。でも“卵無し”を強調する気になれなかったのは、卵が悪者扱いされ、誠実な養鶏農家を苦しめたくないという想いがあったからです。その想いは養鶏農家の苦闘といえる取り組みを知っていたからでした。
 「コーヒーのケーキ」の試作は卵無しでスタートしましたが、作業所の懸命な努力にもかかわらず、なかなかおいしいと思えるケーキができませんでした。やはりおいしくなくては広がりません。ついに卵を加える決心をしました。使うなら安全で安心して食べられる卵にしたいと平飼いの卵を求めていた時、不思議なご縁で「とりのさと農園」を知ることになりました。電話やメールでやりとりする内、以前名古屋を営業していた時に読んだニュースレターの養鶏農家かもしれないと感じ始めました。訪問してお話するとやはりその農家でした。コーヒーの輸入開始直後の営業で知り、そのコーヒーを使ったケーキに卵を入れて作ろうとした時、再び出会い、つながりました。出会いの種が蒔かれて芽を出すまで12年。地中で眠りながらも生き続けていたのです。
 とりのさと農園を経営される橋本昌康さん、裕子さんはご自分たちの卵を“玉子”と書かれます。食べる人の健康を思い、一日も休まず丹精を込めているお二人の姿に、この字がふさわしいと納得します。

橋本昌康さん
 会社勤めをしながら、水俣病患者支援、反公害運動などの市民活動をしていた昌康さんは、26年前の35歳の時に脱サラして有機農業を始めました。情報がまだほとんどない時代、全て自分で調べ試行錯誤の連続でした。最初は養鶏だけでしたが溜まる鶏糞の利用もあり5年後に野菜作りも始めました。規模を大きくすると野菜も卵もこだわりが薄れ、機械化し工業製品のようになってしまうのが嫌と規模を広げず、夫婦ふたりで有機だけにこだわった農業を守るため懸命の努力をし、激しい労働を続けてきました。特化した国を対象とし、生産者に近い立場で活動する小規模なフェアトレード団体がたくさんあればよいと願うネパリ・バザーロと共通する価値観をそこに見ました。
 「まじめな農家が存続するにはいいものだけ作っていればいいというのではなく、流通まで考えてコーディネートする人が必要。農業も今後はネットワークが大事。いろいろな人とつながり新しい可能性を見出さないと」と、有機農業の将来を心配する昌康さん。「生でおいしく食べられるこんないい玉子がケーキになっちゃうのはもったいないね」と笑いながら、「でも、こういう提案はうれしいけどね」と目を細めます。


 餌にもこだわり、添加物や薬品が入らないよう自家調合でトウモロコシ、地ビールの絞りカス(大麦麦芽)や畑の野菜、野山の草々を入れ、毎日欠かさずたっぷり与えています。黄身着色のための飼料は与えないので濃い黄色ではなく、季節や畑の自然を反映したレモン色の卵です。通常の平飼いよりも密集していない鶏舎をゆったりと歩きながらマイペースで卵を産む鶏たち。野犬に襲われないように、夜は鶏舎の止まり木に乗って寝ます。自分の体重の30分の1の重さの卵をほとんど毎日産み続けるのはどれほど大変か。その貴重な完全栄養食品である卵を私たちは分けていただいています。このように質のよい元気な卵は私たちの栄養となり健康を守ります。一日も家を空けずに世話をする昌康さんに鶏たちも信頼して卵をゆだねているようです。



橋本裕子さん
 「人は人に支えられて生きているし、水も空気も天からの授かりもの。口にするものをほんの少し作ったからと云って自給自足とはおこがましい」と、謙虚な裕子さん。必要な卵の量が間に合うか心配して問うと「多分大丈夫だと思います。でもまだ鶏に相談していませんけれど」との予想外の返事にお腹を抱えて笑い、裕子さんが大好きになりました。仕事で忙しい今の生活も「本格的な農業より、農的くらしをしたかったのに。医者の不養生、大工の仮住まい、有機農家の野菜不足」と笑い飛ばす豪傑です。


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