ネパール訪問記
子どもたちの笑い声、神々のささやき、三人四脚の旅〜前編


2006年8月に開かれたIFAT(注1)の地域会議に同行していただいた新垣誠さん。11月のネパール出張にも同行されました。
初めてのネパールで、いきなり環境の厳しい遠隔地の村を訪ねるという貴重な経験をされました。
どんな体験をされ、何を感じられたのか今回と次回に分けて綴っていただきます。  



沖縄キリスト教学院大学助教授 新垣誠

「だいじょうぶ?」片言の英語で、青年たちは何度も聞いてきた。引きつり笑いで返しながらも、右膝には激痛が走る。運動不足と急斜面の山道が、古傷を呼び覚ます。
 その日、最後に訪れた天空の村の小学校では、四百人の子どもたちから花のシャワーを浴びた。ネパリ・バザーロ(以下ネパリ)が、七年に渡って実施している奨学金で学校に通う子どもたちからの歓迎の嵐だ。ネパールの識字率は四八・八%(注2)ほどで、多くの子どもたちは初等教育さえ受けていない。いや、受けられない。家族は年間二千円にも満たない教育費を払う余裕がなく、生活のためにと子どもたちを働かせる。教育を受けない子どもに将来仕事はほとんどなく、貧困の悪循環へと陥っていく。ネパリの活動は、村人の経済的自立を生み出すだけでなく、奨学金を支援することで貧困の悪循環を断ち切る試みでもある。

    

 ネパールの子どもたちの神々しい笑顔に、「童神(わらびがみ)」という沖縄の子守唄を思い出す。その姿に神の恵みを見、その笑い声に神々の輝きを感じるのは、沖縄でもネパールでも一緒だ。神に最も近い存在の子どもは、邪念に揉まれ、神から遠ざかり大人へと成長していく。だから私たちは子どもの心を取り戻すべく祈るのだ、とヒンドゥー教徒の友人は説いた。かつてマハトマ・ガンディーは、社会の底辺にあり、最も弱い立場の不可触民をハリジャン(神の子)と呼んだ。また、イエス・キリストは最も弱く貧しき人々を祝福し、マザー・テレサは捨てられ死んで行く街角の人にイエスの姿を見た。神の子たちとどう向き合っていくか。社会の最も弱い立場の人々とどう向き合っていくか。それは多くの宗教家や偉人のみならず、様々な人々が生涯取り組んできた悠久のテーマなのだ。
 ネパリの活動も、そのテーマに真っ向から立ち向かう。現在ネパリが取引をしているカンチャンジャンガ紅茶農園で働く多くの人々は、土地を持たないが故に貧しかった流浪の民だ。その人々に雇用と教育の機会を提供し、共に生きる社会を目指す。人類の共生という、何人ものいにしえ人が試みてきた、その壮大な挑戦の歴史的延長にネパリの活動もあるのだ。
 奨学金を受けている小学校を訪れる度に、盛大な歓迎を受ける。学校だけでなく、地域全体がネパリの活動に感謝していることがよく伝わってくる。ただの同行者なのに、私の首にも花輪が盛られていく。もしかしたら、いい気になっていたのか。大切なゲストとしてもてなされることにおごりを感じたのか。その日最後に訪れた学校からの帰り道、天罰は下った。
 下り坂で昔痛めた右膝に激痛が走る。かばっていたら左膝まで痛みだす始末だ。数分で歩けなくなり、途方に暮れてしまった。午後六時過ぎ。文明の助けの届かぬ山路で夜のとばりは降りてくる。「だいじょうぶ?」と青年二人が声をかけてきた。先ほど訪れた小学校の卒業生が、私たちを見送りに来てくれていた。
 少しずつ歩調を合わせ、難しいタイミングを取りながら、三人四脚の急坂下りが始まった。彼らの心臓の音が聞こえる。細く険しい道で組んだ肩が何度もぶつかり、三人とも汗びっしょりだ。一時間かけてやっとジープの待つ山道に辿り着いた。何度も感謝の気持ちを込めて合掌する。慣れない山道で、無力さに打ちのめされ、惨めに立ち尽くす自分。激痛に顔を歪めながらも、助け合うことや共に生きることの意味を考え続けた下りの一時間だった。ネパール青年の肩に救われながら、全身で感じた三人四脚の感覚。共に歩調を合わせて歩いて行く感覚。
 以来、その感覚は、何度も想起された。なぜならば現地ネパールでのネパリの活動がまさに、その共に歩む感覚そのものなのだ。先進国の思い込みと都合で一方的に行われる「国際協力事業」があまりにも多い中、ネパリのスタッフは生産者とぶつかり合いながらも、とことん話し合うことを止めない。「共に生きる」ということ。人間のその本来の姿が、ネパリの活動にはある。

(注1)IFAT(The International Fair Trade Association)は、公正な貿易の普及を目指す世界中の組織の連合体。途上国の立場の弱い人々の自立と生活環境の改善を目標に1989年に結成され、欧米や日本のフェアトレード組織と、アジア、アフリカ、中南米の生産者組織が情報や意見を交換する場ともなっている。日本の2団体を含め60カ国以上、約300団体が加盟。
(注2)ユネスコ統計2004年より引用。
      
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