ミティーラ・アートの世界

◆ジャナカプールの伝説とミティーラアート
ネパールがたくさんの小国に分かれていた頃、タライにMaithili(マイティリ、特に絵を指す場合はミティーラと呼ぶ)という王国があっ た。ジャナクという王が支配していた時、王女シータがラムという神様に嫁ぎ大変に栄え、ジャナカプールと呼ばれるようになったという ヒンズー伝説の町である。伝統的な土壁の家は、竹で枠組みを作り、わらを混ぜた土で塗り固めてある。白く乾いたその壁に象や鳥、人な ど、独特の絵ミティーラアートが描かれている。単純な線で伸びやかにアウトラインを引き、陰影をつけず鮮やかに彩色して行く。代々、 母親から娘に伝えられ、神々や動物、結婚式のような華やかな祝い事などを家の外壁や内壁に幸せを祈って描き継いできた。

◆JWDC(Janakpur Women's Development Center)の果たしてきた役割
ジャナカプールの女性達が受け継いできたアートを商品化し、少しでも彼女らの収入を確保しようと1989年JWDCが設立された。アメリカ、 カナダ、日本等外国からの援助も多く、今ではメンバー80人が絵を描いたり、Tシャツやクロスにプリントしたり、茶碗やカップなどの焼き物を作ったりと働いている。センターでは毎朝9:30から1時間、識字教育や一般教育、経理やマーケティング等色々な研修をして資質の向上を図っている。センターで 働く女性の子どもは身なりもよく、学校にも行き、きちんとしているのが印象的。 カーストによる差別は地方ではまだまだ根強いが、ここでは一緒に食事をしたり、仕事の相談をしたり、賑やかに、時には喧嘩をしなが ら共に働いている。

◆印象に残る2人の女性
  設立以来のメンバー、アヌラギ・ デビさん(60才)はセンターで働く前と今との違いをこう語る。 「以前はサリーで顔を隠して暮らし 、自分の足元の小さい地面しか見えなかった。今では前を見て周囲の風景が全部見える。仲間と一緒に、時には1人でさえ旅もできる。作 品を作ることも、マーケティングもならった。自分の収入を得て、自信も持てた。どう生きていけばよいかもわかった。」
 
縫製担当のプレム・ミスラさん(30才)は12才で結婚、4年後に夫が死亡し、以来実家で暮らす。壁も床も泥で塗り固めた家の中はよく整 頓され清潔で涼しそうに見えた。台所兼作業場にプレムさんのミシンが置かれ、きちんとたたまれた縫いかけの服が側にあった。立場のと ても弱い未亡人の彼女が、仕事を持ち収入を得て家族の中にしっかり位置を占めて暮らしていることがうかがわれる。背をスッと伸ばして 歩く彼女がとても頼もしく見える。

 ジャナカプールにも最近いくつかの小さなグループができ、女性達の社会進出、組織化が始まっている。1989年設立以来辞めた女性は3 人しかいないそうだが、そのうちの1人が別グループを作るなどセンターの果たした役割は大きい。何十年も時間の止まったような町だが 、緩やかに、着実に女性達から町は変わって行こうとしている。
      
  *ジャナカプール…タライ(インドとの国境に近い平野部分の総称)の東に位置する小さな町

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