ネパール訪問記


2006年8月に開かれたIFAT(注)の地域会議に同行していただいた新垣誠さん。
11月のネパール出張にも同行されました。
初めてのネパールで、いきなり環境の厳しい遠隔地の村を訪ねた体験を春カタログでご紹介しました。
今回は、別の角度から訪問を振り返っていただきました。  

      
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沖縄キリスト教学院大学准教授(専門:平和学)  新垣誠


 二〇〇六年十一月二十一日、ネパール政府と反政府勢力マオイストは、無期限停戦と和平を誓う「包括和平協定」に調印した。その歴史的瞬間に、首都カトマンズに居合わせた私は、狂宴の騒ぎを期待した。十年続いた内乱に収束の兆しが見えたのだ。これほど喜ばしいことはない。

 しかし私の期待とは裏腹に、街は静寂を保っていた。観光客の集まるタメルの街では、店頭に幾つかのキャンドルが並べられ、調印式をトップで伝えた新聞が売り切れた程度だった。人々は、あまりにも長すぎた悲劇に疲弊していたのかもしれない。もしかしたら、これから訪れる問題解決の道のりが、決して平坦なものではないことを知っての静観だったのかもしれない。

 多民族からなるネパール社会の統合の象徴として続いてきた王制。しかし王室とその取巻きだけが利権を握り、農村との貧富の差は限りなく広がっていった。そんな貧しい農民の代弁者として立ち上がったのがマオイストだ。

 「国を守るためだ」とマオイストを制圧する国軍。「民衆の闘いだ」と反政府ゲリラ活動を展開するマオイスト。どのような大義名分を掲げようと、銃弾が人の命を奪っていくことに変わりはない。国軍の愛国的精神もマオイストの革命のスローガンも、今は火薬にまみれた血生臭い匂い。武力による闘争は、いつの時代も愛する者の命を奪い、生活を奪い、人間の尊厳を奪っていく。人々は政治的スローガンに翻弄され、若者は貧困から抜け出すために銃をとる。しかしその結果、また新たな貧困と絶望が作り出されていく。

 貧困は、武力では解決しない。

 人間性を奪いながら進められる強引な武力闘争でもなく、生活を置き去りにしていく急激な変革でもない、地道ながら確実な方法。一番弱い立場にいる女性や子どもを踏み台に達成される強権政治ではない、生活の中の変化。人々が愛と尊厳に満たされながら、人らしく生きる方法。虐げられた女性や低カーストの人々が、自信を持ち自立するための、心の革命。それが、ネパールで私が見たネパリ・バザーロ(以下ネパリ)の仕事だった。ネパリの意識は、積み上げられた土嚢の隙間をくぐり抜け、硝煙で曇った空気をかき分け、最も貧しい人々へと向かう。ネパリの活動は、湧き出る泉のように、底辺から命をつなぎとめ、静かに生活を育み続ける。疲弊したネパールにおいて、武力に訴えることなく貧困問題の解決を目指すネパリの存在は、大きい。

 そんなネパリの活動を心から歓迎し、協働するネパールの人々。その人々との強い信頼関係が、ネパリ商品の高い品質とオリジナリティを支えている。手に取る度に温かさが伝わるネパリの商品。今回の旅で、その商品の持つ魅力の訳が見えてきた。

 「バト、ハラヨ(道に迷いました)」このネパール語を、私は一生忘れないだろう。カンチャンジャンガ紅茶農園に帰る途中、山中で皆とはぐれ道に迷った私とウシャさん(67頁参照)。陽が落ちて肌寒くなる中で、さまよいながら色んなことを話した。フェアトレードのこと、ネパリとの仕事のこと、ネパールで女性として生きること、政治のこと、世界のこと、神のこと、人生のこと。それはまるでこの混迷する世の中を、生きるべき道を探しながら二人で歩いているようだった。バト、ハラヨ。紅茶農園への帰り道は、相変わらず見えなかったが、私たちは同じ人生の道を歩いている気がした。

 ネパールの女性のために日々働くウシャさん。女性や子どもへ向ける彼女の愛情は、静かな朝日のように、深く、温かい。女性の自立を目指して様々な活動をする中、ネパリの土屋春代さんと出会い、紙布の服を共同開発し、その工房では女性たちが元気に働いている。しかし、彼女が歩くその道は、決して平坦ではない。身分の低いカーストの女性を雇用し、女性である彼女が起業家として活躍することは、保守的なカトマンズの社会では、必ずしも望まれることではないのだ。義兄の家族と同居しながら家の離れで工房を運営していた彼女は、親戚の冷たい視線もあってか、最近新しい場所に工房を移した。

 王宮から数十メートルしか離れていないウシャさんの自宅。王宮へと迫るマオイストの行進は、幾度となく彼女と家族の生命を脅かしてきた。もしも国軍とマオイストの衝突が起ったら、確実に巻き添いとなる距離なのだ。またマオイストは「身の安全の保証金」と称して、一般の市民から「寄付金」を巻き上げる。彼女の家庭も例外ではない。

 身の危険や社会の偏見など、幾つもの逆境と奮闘しながら、ウシャさんは紙布の服を仕上げていく。その情熱に応えるべく、ネパリのスタッフが懸命に汗を流す。フェアトレードというカッコイイ言葉では語り尽くせない、激しい人間のドラマが、そこにはあった。

 帰路につく日、トリブバン空港は、遅延した飛行機待ちの客でごった返していた。今から豊かな日本へと帰って行く私に、国軍やマオイストを断罪する資格は無いな、と思った。日本国民として、私はこの国の人々に対して中立でも無縁でもありえない。道に迷っている場合でもない。自分自身の抱える責任が、改めて身に沁みた。幸いにも、今回の旅で出会ったネパリの活動は、私が今後ネパールとの関わりを考える上での、確かな道しるべとなった。人々との出会いが、心の中で静かに脈打っている。私とネパールとの新しい関係が、今始まった。 

(注)IFAT(The International Fair Trade Association)は、公正な貿易の普及を目指す世界中の組織の連合体。途上国の立場の弱い人々の自立と生活環境の改善を目標に1989年に結成され、欧米や日本のフェアトレード組織と、アジア、アフリカ、中南米の生産者組織が情報や意見を交換する場ともなっている。日本の2団体を含め60カ国以上、約300団体が加盟。

   


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