輝く女性たち
〜表彰式の様子より〜


 ネパリ・バザーロは、日本で求められる品質にかなう商品が作れるように、生産者には厳しく注意をします。しかし、厳しいだけではやる気につながらないため、努力すれば評価されることを知って欲しくて、頑張っている女性たちを表彰することにしました。努力は報われるということが分かると、他の女性たちも、より積極的に仕事へ取り組むようになることでしょう。次のチャンスは絶対に自分がつかもうと、切磋琢磨しながら頑張ってくれることを期待します。
 事前に団体の代表の方々とは打ち合わせをしましたが、現場の女性たちには秘密です。女性たちの反応が楽しみで、ドキドキしながら当日を迎えました。会場が緊張感に包まれた頃、いよいよ表彰の趣旨、優秀な女性たちの発表です。1位の方には、何と日本研修のチャンスが与えられます。名前を呼ばれた女性たちは、突然のことに驚き、喜びに溢れていました。

女性たちの経済的、社会的に厳しい状況を目の当たりにしたサラダ・ラジカルニカルさんが、女性たちの就業の支援をしたいと強く思い、1993年に設立しました。たった2人で始めましたが、高い品質レベルと信頼できる真面目な仕事振りでオーダーが増え、今では約50名のスタッフを抱えるまでに成長しました。服の縫製や、新しい織りなどに意欲的に挑戦し、製品の幅を広げています。

2007年6月19日(火) マハグティ
Mahaguthi
若き日をマハトマ・ガンディーと過ごしたネパール人、トゥルシ・メハール氏が女性たちの経済状態を引き上げようと1972年に厳しい状況の女性とその子どもたちのための避難所を開き、機織りや糸紡ぎ、縫製などの指導を行ってきました。そこで織った布を、マーケティングのNGO、マハグティのワークショップで服に仕立て、販売しています。また、ネパール国内各地に様々な商品の生産者も抱えています。

縫製部門 1位
サヌ・マイヤ・マハラジャンさん
マハグティで仕事を始めてまだ3年ですが、積極的で理解が早く、
どんどん成長し、今はサンプルも縫っています。
表彰された時は、うれし涙を必死にこらえていました。


2位
ケマル・ケシャリ・パラジャパティさん
縫製主任のチャンドリカさんを少しでも支えられるよう、
サヌさんとも協力して今まで以上に頑張ると、頼もしく答えてくれました。


3位
シャンティ・アワルさん(写真右)
品質ワークショップの時も、積極的に発言をしていました。
まさか自分が選ばれるとは想像していなかったので、とても驚いていました。


表彰式の前に、品質ワークショップを開催しました。
一枚一枚服を見せて、どこに気をつければもっと高い品質の服に仕上がるか説明しました。


2007年6月20日(水) コットンクラフト
Cotton Craft
女性たちの経済的、社会的に厳しい状況を目の当たりにしたサラダ・ラジカルニカルさんが、女性たちの就業の支援をしたいと強く思い、1993年に設立しました。たった2人で始めましたが、高い品質レベルと信頼できる真面目な仕事振りでオーダーが増え、今では約50名のスタッフを抱えるまでに成長しました。服の縫製や、新しい織りなどに意欲的に挑戦し、製品の幅を広げています。


裁断部門 1位
マンジュ・マハラジャンさん
チャコで印を布に書き込まず、一枚一枚型紙を当てて、はさみで裁断します。
その正確で丁寧で、きびきびとした手つきには見惚れてしまいます。


織り部門 1位
ナカリ・マハラジャンさん
いつも黙々と布を織っています。新しい織りもすぐに覚えます。
これからも、もっといい仕事をしたいと意気込みます。


縫製部門 1位
アヌー・ソバ・シュレスタさん
どうやったらきれいに、早く縫うことができるか、常に考えながら仕事をしています。
縫製主任のベティ・マハラジャンさんと一緒に、現場の女性たちを指導しています。


2位 
サハナ・サキャさん
仕事を始めた6年前は、ほとんど縫製をしたことがなかったのですが、
コットンクラフトでトレーニングを受け、今はサンプルを縫うまでに成長しました。


3位
ナラヤニ・マハラジャンさん
誰もが認める努力家です。耳が聞こえず、話すこともできないのですが、
皆とは手話で仕事の話をし、普段の会話も楽しんでいます。



「今まで10年以上春代さんと一緒に仕事をしてきましたが、表彰式なんて初めてですね」と、
サラダさんは喜びと緊張と興奮が入り混じった表情でした。



表彰式に立ち会って
技術スタッフ 一条浩美




 2007年6月、私は2回目のネパール訪問をしました。初めてネパールを訪れた2005年9月の時より、服作りの工程をじっくり見る事ができました。お直しを通して今まで感じてきたことをお話したいと思います。
私がネパリ・バザーロ(以下ネパリ)でお直しを始めた2001年頃は、ミシンの縫い目のほつれやネームラベルの付け直しがとてもたくさんありました。その原因は返し縫いをしていない事がほとんどでした。その事を伝えると、次からの入荷商品はほつれが少なくなりました。でもまた、その次の入荷の時は返し縫いをしていないというようなやりとりを何度も繰り返していました。返し縫いが定着するまでは長くかかりました。衣類を縫製している、どこの生産者でもこのようなお直しが多くあるのは何故だろうと考えていました。
 ネパールで使用している道具の中で日本と違う物がたくさんあります。ミシンは、日本のような電動ミシンではありません。ネパールのミシンはほとんどが足踏み式です。それを、一人ひとりが上手にリズム良く動かしています。私が、初めてネパールのミシンをマヌシ(48頁参照)で動かした時は、スタート時がとても重たくて、縫い始めるまでが大変でした。リズムに乗っても返し縫いをするタイミングが難しく、今まで何度も返し縫いをするように指摘してきましたが、これでは慣れるまで大変だったのでは、と思いました。
 ネパリの衣類のデザインはトップスでもボトムスでもゆったりとしたデザインのものを基本としていました。これは、体のラインに合わせたデザインは布の地の目が正しくないと左右対称にすることが難しいこと、襟つけや袖付けは、カーブが急になると綺麗に丸くふんわりと縫うことが難しい、などの理由でした。トップスはボタンホールを作らないデザインにしたり、ボトムスは裾のラインを斜めにして綺麗に仕上がるデザインにしていました。開発の段階でネパリの服作りは生産者の側に無理の無いように考えられてきました。
 ネパールでは停電が多く、水もたくさんは使えません。縫製や染め、織りなど手作りをする環境が整っていない中で日本の品質に見合うようにと、作る人たちは本当によくがんばってきました。今では、アイテム数も増え、難しいデザインの服も出来るようになってきました。年々品質は良くなってきて、はじめの頃のようなお直しは少なくなっています。
 今回、マハグティとコットンクラフトで、今までのネパリの服作りにおいて、織り、裁断、縫製のそれぞれの部門の中から、特に優秀だった女性たちを選んで感謝状を贈りました。表彰式が始まって、名前を呼ばれる時の会場は緊張感でいっぱいでした。選ばれた方は、皆さん声にならない喜びのようで、見ている私にも緊張が伝わってきました。毎日仕事をする上で、頑張って努力をすれば、認められるという目標があれば、取り組み方も変わってくると思います。このような、表彰式に立ち会う事ができて、とても嬉しく思います。そしてこれからも、生産者の皆さんと一緒に、より良い商品作りを目指していきたいと思います。

一条浩美:2001年8月、手仕事が好きだった彼女は修理を担当するパートタイマーとしてネパリに入社。技術向上を目指し積極的に研鑽を積み、現在、技術スタッフとして修理部門の指導をする傍ら、生産者に渡すセカンドサンプルの服も縫い、学んだ手編みの技術を活かし、ニットのパタンナーとしても大活躍中。多くの生産者の品質向上までの道のりを陰で支えてきた。

戻り