台湾に広がるフェアトレード
台湾の方々にとって、「仕事を通じて社会貢献ができる」という概念は、
大きな衝撃だったようです。
台湾初のフェアトレードセミナーの様子をご報告します。
文:丑久保完二


セミナーは大盛況でした。


 2007年11月29日、台湾初のフェアトレードセミナーが首都、台北で開かれました。テーマは、「共に生きる社会を目指して」。パート1は、ネパリ・バザーロ代表の土屋春代が、ネパールとの出会い、生き方に苦しんだ30代、ネパールの現実とフェアトレード会社を起ち上げるまでの経緯と想い、軌道に乗せるまでの困難、そして、フェアトレードは何故必要かをお話しました。
 パート2は、紙布のDVDを北京語の字幕付で観て頂きました。映像の力はとても大きく、パート1のお話を一層深く理解していただけたようです。パート3は私が、フェアトレードの世界的な流れ、フェアトレードが占める市場規模を映像を交えながらお話し、消費者は世界を変える力があることを訴えました。更に、生産者への具体的効果をお話して、質疑に入りました。
 2週間前に企画し、準備や広報の時間が不足していたにもかかわらず多くの人が集まり、80人定員の会場は立ち見がでる程。夜7時に始まったセミナーは経験したことがないほどの質問攻めで、会場を閉める9時半になっても終了できませんでした。「仕事を通じて社会貢献ができる」という概念、言葉がとても新鮮な衝撃だったようです。
 フェアトレードという名の占領の危険性は?・・・様々な質問に対して一人の人間の挑戦してきた道を丁寧に話すなかで、次第にその疑問が解かれていきました。多くの質問に全て答える時間はありませんでしたが、国を超え、垣根をなくして地球人として行動していこう、という盛り上がりのなかで、セミナーを無事終えることができました。
 このセミナーを開くきっかけを作ってくれた、台湾唯一のフェアトレードの店「EARTH TREE(コラム参照)」に感謝したいと思います。「EARTH TREE」は、カンチャンジャンガ紅茶農園の奨学金の第二段階(注)にも協力しています。
 このセミナーの前に「有機誌」の取材を受け、その記者はセミナーにも参加しましたが、他にも幾つかの出版系、テレビ通販系の参加もありました。セミナー実施後、「商業周刊」「時事周刊」の取材も受けました。発行部数16万部を誇る「時事周刊」の女性記者は、香港からこの取材に直行されたほど。自然にやさしく、且つ、継続性のあるこの仕組みに、将来への大きな可能性を感じ取っているようでした。

(注)県立神奈川総合高校と協力して紅茶農園の子どもたち全員が教育を受けられるように始めた教育支援で、高校を修了した女性たちの看護学校などへの進学をサポートするプログラム。

 
買い物で世界を変える
台湾初のフェアトレードショップ
EARTHTREE


世界各国で作られたフェアトレード商品で、店内は溢れています。


 王靖宜(ワン・ジンイ)さん。台湾で初めてのフェアトレードの店「EARTH TREE」を経営。幼い頃から社会正義に興味があり、それがこの店を始める動機になった。同級生で弁当を持参できない子が数多くいた時代、幼いながらもその状況に心を痛めたことに由来している。
 その後、受験競争の嵐のなかに巻き込まれ、大人になった時、多くの若者が抱くように、自国より発展した国をみたいと漠然と思うようになり、機会を得て米国で4年暮らす。豊かな国の暮らしは、どこもそう変わるものではないことを悟る一方で、台湾にもいまだに貧しい家庭があり、大きな格差があることに気づいていく。格差を埋めるには教育が役立つと思い、帰国後、得意な英語を教えるボランティアを始め、フェアトレードの店を開くまで続けた。その間、フィリピン、インド、ケニア、ブータンなど発展途上国に行く機会を得た。ネパール行きの計画も立てたが、現地の政情不安で実現しなかった。
 訪問した国の中には、自分が幼い頃感じたような状況がまだまだ多くあることに衝撃を受け、もっと積極的に貢献できることがないかと感じるようになった。ある日、日本人の知り合いがすてきなスカートを履いていて、それがフェアトレードの服であることを知る。フェアトレードとの出会いで、それまでの想いが具体的な形になった。「多くの台湾女性同様、せっかく学校へ行き、学んだことを使わないのはもったいないと思っていました。まして、独身の自分は、39歳になり、これからの人生を何か社会に貢献したい、やりがいのある仕事に挑戦しようと決意しました。しかし、自ら現地へ赴き、商品を開発し、輸入販売するリスクを負えるほど力もありません。そこで、まず店を始めようと、手伝っていた兄の会社を辞めました。店の経営をしたことがない私に、台湾の人は理念では物を買わないからと、家族、友人が猛烈に反対しました。賛成してくれる者は一人もいませんでしたが、ここでやらなくては一生後悔すると決断しました。ここまで来られたのは、幼い頃の想い、発展途上国をみた衝撃、そして、何にもまして、自分の能力を活かせなかった30代の悔しさ、生き方の模索であったと思います。退路をたち、前に進む道しか私には残されていませんでした。40代は信じた道を力一杯進むべき時だと思います」と王さん。人生をかけたその切実な決意と姿勢に拍手を送りたい。    

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