特集 地域開発 人が人らしく生きるために
農民との協働の先にみえる輝き
文・丑久保完二(ネパリ・バザーロ副代表)



 自然の豊かな山岳地帯。しかし、生活は昔から厳しく、そのため10年という長期間、内戦が続きました。2006年11月の和平協定調印がなされた日、私たちは、偶然にもカトマンズに居合わせました。その後、2007年1月15日、暫定憲法で王制廃止を決めました。それは、代々続いた“王国”の圧政に苦しみ続けた民衆が、王制をはっきり拒否し、ついに崩した歴史的な日でした。しかし、その後の混迷する政治は庶民の味方をしてはくれません。政府はいまだに暫定政府で、選挙は2度も延期され、1年半以上続く政治の空白は様々な問題を先送りして改善を進めず、日々の生活に重く圧し掛かっています。毎日、長時間続く停電、水不足。原油価格高騰の影響も弱者に益々厳しい生活を強いています。着実に生活改善が進み、人々が希望を抱き、平和に繋がることが私たちの想いですが、圧倒的な歪みの構造の前に打ちひしがれそうになる時もあります。しかし、どれほど厳しい状況にあっても努力を続けるネパールの人々からいつも静かに背中を押されます。諦めてはいけない、と。長年の課題であったコーヒーも2006年から韓国市場に向けて輸出が始まりました。次のステップは、周辺地域への貢献です。農民たちとの直接対話を通じて、コーヒー、スパイスの先にみえるもの、その実現に向けた可能性を探ります。



首都カトマンズを朝一番の飛行機が珍しく時間通りに飛び発ち、約1時間後、西ネパール平野部のバイラワ空港に降り立ちました。6月中旬、雲が空を覆ってやや薄暗く、雨期が始まる直前です。もし直射日光が射せば40度に迫る暑さになります。極寒のなかを訪問した前回の2007年1月と打って変わり、とても暑い時期の訪問でした。
 今回は、コーヒー協同組合があるグルミ、タムガスを目指します。目的は、農民代表や組合幹部たちと話し合い、現地の協同組合がもっと地域にも貢献していくこと、自ら市場を開く力をつけること、中長期的視野にたって主体的に考えていく姿勢を高めることにありました。この試みは、歴史的転換を意味するぐらい意義のあるものになるのではと思いました。これまでの目先に囚われた要求一点張りの姿勢から、周辺地域にどのように貢献していくかという新しい構想を念頭に行動する、主体的な関わり方を意味しているからです。
 全国協同組合連盟(NCF)のプロジェクト開発マネージャー、グルミ地域出身のバブル・カナルさん、日本の協同組合の基礎を作ったパイオニアの一人と云われる海外協力隊シニアボランティアの平嶋雅之さん(NCFに派遣)と、バイラワ空港まで迎えに来ていたグルミ協同組合のパルシュラムさんとの4人の旅はこの目的を達成するために始まりました。
 飛行場で待機していた今回の車は、通常よく使うジープではなく、村の中に入る必要がないことと、エネルギー節約のため軽自動車のタクシーでした。2006年末の和平協定が結ばれたお陰で、軍隊による検問もなく、スムーズな旅が期待できます。しかし、190センチ近い長身のパルシュラムさん、やや太り気味と自称する平嶋さん、決して細身ではないカナルさんと一緒なので、乗り心地は良いものではありませんでした。長旅のなか、道路は曲がりくねり、大型トラックもたくさん通ります。もし、この車で衝突したら命はないと漠然と脳裏をよぎります。忍耐あるのみ。無事を念じるしかありません。急カーブでは、大型車に衝突しそうになりました。特に助手席に乗ったパルシュラムさんは足を何度も突っ張り、恐怖に怯えていました。「だから、ジープにすれば良かったのに!」と心の中で叫びました。タムガスまであと2時間の地点でローカル飛行場建設予定地と云われる場所を左手に見ながら、これが本当にできれば、こんな怖い目にあわなくて済むし、アクセスも楽になるなぁ、と想いに更けりました。
 夕方、タムガスの町に到着し、定宿にしているホテルに入りました。季節が良いのか、町は賑わい、人々も明るい様子でした。今回は村の家庭訪問は予定していません。プレゼンテーションが主目的の短い滞在なので、気は楽です。
 翌6月17日、グルミ、アルガカンチの各場所から代表して参加した農民の方々が集まり、グルミ協同組合の理事の方々も集まったところで、今回の目玉、インターアクション・プログラムは始まりました。グルミ協同組合の会長であるハリーさんの歓迎挨拶、同行の平嶋さん、グルミ農業地域事務所のモハンさん、家内工業支部のナラヤンさん、女性開発事務所のシタさん、そして私と挨拶が続き、質の高いコーヒーを作ることは地域貢献と収入向上に繋がることをお伝えしました。
 お互いに考えていることを知り、より良い協同組合活動を通じて地域貢献していくことが主テーマです。協同組合のあるべき姿を考えるため、日本での生協運動の発達の経緯を通して、協働の大切さを平嶋さんが、続いて私がネパリ・バザーロの日本での活動の様子、セミナーや料理教室・・・と映像を交えてお話しました。そして、韓国にも市場が広がっていること、その韓国での活動の様子、消費者の想いなども見て頂きました。途中、停電になって休息にする場面もありましたが、なんとか予定の内容をこなし、農民代表の方々との話し合いが始まりました。代表のひとり、ノーナさんから「ネパリ・バザーロがどのように活動しているかを映像を通して知ることができ、とても参考になり、わかりやすくためになった」との感想があり、ビルさんからは「充実していて有意義であった。このようなプログラムは初めてのことで、近い将来、また企画して欲しい」との意見が出ました。ジョハン村で農業を営んでいるラクシュミさんは、現在と近未来の協同組合の活動に期待することに言及し、一生懸命に働くこと、謙虚で友好的な振る舞いが農民や協同組合のメンバーにとって大切だと力説し、日本の成功の背景には、それがあることを説明しました。農民の方々からスパイスの可能性について質問があり、既に有機スパイスの取り扱いを始めていること、東ネパールのフィディム地域と協働で実施していること、製品化する工房はカトマンズにあることも伝えました。そして、そのスパイスが果たしている役割、村の収入向上のみならず、町で働く女性たちの貴重な収入源であること、私たちの食の安全に役立っていること、欧州委員会(EU)が食の安全確保の面からフェアトレードに注目していることも説明しました。コーヒーの買い取り価格については、既に大変高い価格で購入しているので、品質を上げても購入価格はそのまま維持するに留めること、但し、その分、韓国にも市場が開けていくこと、生活が厳しい人々への健康、教育面での福祉プログラムを充実させていくことなどを話し合いました。
 今回の具体的成果はこれからですが、農民、組合幹部、私たちが現状や課題、今後の様々な取り組みについて互いに率直に話し合う場をもてたことは、とても重要な意義があります。そして、福祉プログラムは韓国のビューティフルストアと2008年協働実施の方向で動いています。私たちの事業収益だけでは対象とする人々や地域が広いだけに、支えるのは厳しいのですが、これら福祉プログラムは、アジア近隣、そして日本国内の学生などの力強い協力も得て、これからも果敢に課題に挑戦していきます。  



韓国ビューティフルストアとの協働
文・丑久保完二(ネパリ・バザーロ副代表)


 コーヒーは約1200世帯の農家の人々が関わっています。私たちネパリ・バザーロ(以下ネパリ)のコーヒー市場の延びよりも生産能力は高く、新しい市場を開くことを以前から相談されていました。しかし、彼ら自ら外国と直接交渉することはまだ難しく、他国へ広げる接点をネパリが担わざるを得ませんでした。コーヒーの質も向上し、有機証明も取得。流通も安定しつつあり、そして何よりも、和平協定が結ばれ、その成果が問われる今日、この状況打開をしたいと思案していました。
 米国市場のバイヤーにも打診をしましたが関心を引くには至りませんでした。そして他の市場を懸命に探しているなか、ビューティフルストア(以下BS)がコーヒー生産者を探していることをIFAT(国際フェアトレード連盟)のメーリングリストで知りました。当時、BSの規模は知りませんでしたが、メールをしたところ、是非、買いたいとの返事を受けました。早速、ネパリのコーヒーのサンプルと生産者の関連情報を送りました。ネパリからの卸価格を打診してきたので、「直接のお付きあいが一番ですよ。情報も入るし、価格も安くなる」とアドバイスをしました。
しかしそうは言っても、現地価格も輸入手続も分からず、何をどうしたらよいかと困っているので、韓国の通関業者を調べ、手続きや手数料を国際電話で聞き、詳細な見積書を作成して送り、なんとか取引にこぎつけました。2007年の1月には、担当者を現地に案内し、実情をみてもらいました。
 始めた頃、BSは一生懸命に情熱で挑戦している2名ぐらいの小さな組織だとばかり思っていました。その後、韓国を訪問して、スタッフ185人、ボランティア4600人を抱える組織で、フェアトレードチームのスタッフは3人でも、常時働くボランティアが15人という大きな組織と知り驚きました。韓国では50%を超える認知度がありますが、ハンディクラフトではうまく行かず、途方にくれていたのです。しかし、そのブランド力はさすがで、1年で私たちとほぼ同量を販売するようになり、今も好調で多くの企業が応援しています。お陰で、コーヒーが逼迫してしまう状況が生じるほどですが、農民にとっては、一安心でしょう。
今年から福祉面のサポートをしようと話し合いをしてきましたが、その詰めのため、チームリーダーのハリーさんが、2008年1月、ネパリ事務所に来てくれました。前職は高校教師。子どもが好きで仕事には満足していたそうですが、ロッククライマーでもある彼は、ヒマラヤに挑戦する誘いを受け、二度とない機会だろうと仕事を辞めトレーニングに励みました。その後、社会貢献に携わる仕事を目指しBSに入りました。そこで、初めてフェアトレードの存在を知り、英国のフェアトレード組織で1年間研修を積み、現在に至っています。
 我々はコーヒー生産者に対して2008年は設備面、そして徐々に教育環境の充実、女性の地位向上に寄与できるよう、さらには、スパイスなど他の産物でも貢献できるようにしていこうと話し合い、現地の状況を詳細にみていくこと、共に現地に行くことを約束しました。韓国、台湾に広がったフェアトレード協働の輪。この関係を大切にしながら力強く進んでいきたいと思います。


事務所前でハリーさんと

「フェアトレードで拓くオルタナティヴな世界」
東京ウィメンズプラザフォーラムより
2007年10月13日に東京ウィメンズプラザで行われたウィメンズショップ パッチワーク(P121参照)主催のセミナーで、ネパリ・バザーロ副代表の丑久保完二と共に、BSのハンスーン・リーさんが、韓国でのフェアトレードの広がりと、ネパリとの連携をお話しました。

「熱い情熱と素晴らしい技術のネパリと関われてとても嬉しく思います」と語るハンスーンさん(右から二人目)

 ビューティフルファミリーは、資金を集めて寄付をするビューティフルファンデーション(2000年設立)とリサイクル商品を集めて売るBS(2002年設立)を含む3団体で構成されています。BSは、85店舗、スタッフも200人近くいる大きな組織です。フェアトレードは、韓国で初めての取り組みとして2003年9月に始めました。
 フェアトレードはアジアのハンディクラフトから始まりました。インド、バングラデシュなど9ヶ国33団体の商品を扱っていましたが、なかなか上手くいきませんでした。アジアの商品は欧米では珍しくても、同じアジアの韓国人にはあまり魅力を感じてもらえませんでした。また、BSはリサイクル品を売っているので、リサイクル品やフリーマーケットの商品に比べて値段が高いと思われてしまいました。そのため、別の商品開発が必要と考えていた時にコーヒーに目を向けました。韓国は一人年間330杯のコーヒーを飲む、世界でも第10位の消費国です(日本は第3位です)。一方でコーヒーはアンフェア商品の代表といわれています。コーヒー生産者からたくさんの利益を得ている流れを変えたいと思いました。コーヒーの商品を探していましたが、誰からも返事がなく、IFATに手紙を出したところ、ネパリの丑久保さんが情報を提供してくれたのが関わりの始まりでした。興味を持って、リレーションシップを取ることになり、2006年7月からネパールコーヒーの販売を開始し、たくさん売り上げました。2007年1月にはネパールも訪問しました。
 「生産者に希望を、消費者に喜びを」をスローガンに進めています。フェアトレードはウィンウィンの関係です。フェアトレードを通して、よりよい世界が生まれると信じ、援助ではなく、倫理的貿易だということを広めたいと考えています。
 韓国で、フェアトレードはまだ1%以下の認知度です。10%にはしたいと、フェアトレードコーヒーのマーケットを、ショッピングモール、カフェ、コーヒー専門店や大学生協などに広げています。さらに、ネパールコーヒーだけでなく、アフリカやペルーのコーヒー、エスプレッソやインスタントなど、商品の幅を広げていこうとしています。ネパールのコーヒーには「ヒマラヤからの贈り物」と商品名をつけ、ペルーのコーヒーは「アンデスからの贈り物」としました。ネパリ・バザーロのようにクッキーを作るアイディアも参考にして、地域と協力しながら商品を広げていこうとしています。
 BSにはたくさんの協力者がいます。有名アナウンサーや環境省の大臣がポスターのモデルになったり、有名アーティストがシンボルマークを作ったり、バリスタチャンピオンがデザインカップでフェアトレードコーヒーを淹れるパフォーマンスをしたりしてくれています。ボランティアも4600人いて、学生もたくさん参加しています。多くの人がフェアトレードを理解し、共に関わり、アクションを起こしてくれると期待しています。

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