ネパール訪問記
「まいった!ネパリのフェアトレード」




                                        フェアトレードショップ 「おいものせなか」
                          代表:新田史実子



新田さん(左),ウシャさん(中),土屋(右)



 経済が一番のような日本で,幸せって何?とよく考えます。途上国の貧困問題に関わってもう25年,フェアトレードの店を始めて15年。 日々の生活に追われ,生き方も仕事も曲がり角に来ていました。すべてを見直したい,やはり一度は生産者も訪ねてみたいという想いもあって, 開店してはじめて,25年ぶりのタイと初めてネパールの旅に出ました。  ネパールの首都カトマンズは,古都には予想外の雑踏と喧噪。静かなポカラへの移動も,高い標高の山道を高速道路ならぬ, まさに“ハイウェイバス”。海のない,ほとんどが山岳地帯のこの国の,移動や交通が大変で,産業がないというのを実感しました。 各国からの援助は,一部の政治家の懐に入るなど,国民のために,必要なところに使われてこなかったとのこと。 更に,この頃は南で民族紛争があり,インドからの生活物資が滞りがち。一日10リットルのガソリンを得るため,朝から100台以上の車の列。 停電が毎日8時間,物価は次々値上がりして,庶民の暮らしは日に日に厳しくなっていました。 そういう中でも訪ねた生産者は,皆さんあたたかく,特に心に残ったことを伝えます。  春カタログに特集されたマハグティのアシュラムは,広い敷地に病院や保育園,寮があり,100人の研修生が織りと縫製を学ぶ明るい光景には, 未来への希望が感じられました。印象的なのが,創設者のトゥルシ・メハール氏の遺品が収蔵されている会議室。手織りの数枚の衣類と少しの持ち物。 氏の写真の下に,大きく「Simple Life High Thinking」。質素な生活と高い理念。  沢山の荷物で重く鈍くなった私に,深く迫ってくる言葉でした。  草木染めのマヌシでは,一番縫製が上手なカンチさんの家を訪ねました。村の長い坂道を歩き,バスに乗って毎日一時間半の通勤。 質素な家に兄夫婦と家族7人の生活を,カンチさんがマヌシの仕事の収入で支えています。同行の日本からの学生が, 「楽しいことは何ですか?」と尋ねると,「何もない」と静かにひとこと。  彼女が抱えているものは,私たちの想像以上に重く,厳しく,返す言葉がありませんでした。 紙布の生産者のヤングワオのウシャさんは,自宅の一角から始めた工房を新たに建築中で,庭にバラを植え,井戸を掘り,希望に燃えていました。 紙布の服作りの苦労を察し,「つらくてやめたいと思ったことは?」と尋ねると,「全然ありません。  ネパリがいるから,注文がない時でも,安心して仕事を続けました。ネパリは現場を訪れ,ワーカーの生活も心配してくれます。 私たちは家族のような関係。難しい仕事も,春代が次に訪れた時に喜ぶ顔が見たいと目標にして頑張れました」と笑顔。 深い信頼と前向きな努力に感動しました。  ネパールの前に訪れたタイの東北部で,日本の団体が村の小学校に教育支援の活動をしていました。 でも,経済的理由で進学も断念し,女の子の何人かはたぶん売春婦になってしまうという話に,「親の経済的自立と教育は両輪である」 という春代さんの言葉が思い出されました。寄付や援助でなく,地道に生産者の生活の自立を目指すフェアトレードが,いかに大変な仕事で,いかに重要な活動か。  また一方で,現在55人の孤児たちがいるビシュヌさんのホームの生活支援を,17年間続けているネパリの活動にも頭が下がります。       ネパールの厳しく,選べない環境。その中でも生産者が頑張っている姿を見て,自分の悩みなんて贅沢なものだと思いました。 生産者とネパリからたくさん元気をもらい,またフェアトレードのもつ大きな力を再確認した旅でした。いやー,まいった! 戻る