フェアトレードに必要なこと
〜ネパリ・バザーロでのインターンシップを終えて〜

ソンエイ・キム 韓国ソウル出身。2005年、アメリカの州立サンディエゴ大学に留学。 国際ビジネスを専攻。 2008年6月〜7月、インターンとしてネパリ・バザーロで働く。
  3年前、大学の専攻を選ぶ時に、私は迷った末に国際ビジネスプログラムに決めました。競争が激しい現代では、  ビジネスが必要最低限のことだと感じたからです。今思うと良い選択をしたと思いますが、ビジネスの授業を受ける  うちに、いかに利益を上げるかに終始する議論やワークショップにうんざりし、物足りなさを感じるようになって  いました。私は何か社会的に意味のある、貢献できることがしたかったのです。専攻を変えるには遅すぎましたが、  私が抱える虚しさを解消し、学んできたことを仕事で活かせる、すばらしい方法を見つけました。それが「フェア  トレード」でした。     フェアトレードを学ぶうち、日本のフェアトレード団体であるネパリ・バザーロ(以下ネパリ)でインターンと  して働けることになりました。私は、ネパリについて書かれたいくつかの記事を読み、会社を設立した土屋春代さん  の勇気ある行動に深く感銘を受けました。彼女は家族と安定した仕事があったにもかかわらず、ネパールの厳しい  現状や全く改善がない貧困をどうしても無視することができず、今までまったく関係のなかったネパールの人たちの  ために、先の見通しの立たない仕事に飛び込みました。家族に犠牲を強いていることに心を痛めながらも、反対や  困難を乗り切り、たった一人で信念を持って、日本でもっとも利益をあげるフェアトレード団体のひとつになりま  した。ただ利益だけを追求するのではなく、人間的に思いやりのある方が代表であることを知り、インターンシップ  への期待に胸が高まりました。来日前に、フェアトレードについてさらに勉強を深めました。しかし、たくさんの本  を読み、知識を得ても、これから日本の会社で働くと思うと不安でいっぱいでした。少しは日本語を勉強しましたが、  実際に日本人と共に仕事をする自信など全然ありませんでした。専門的な実務経験もないので、2ヶ月の間にどんな  仕事に関わるのか、何もすることがなかったらどうしよう、失敗してばかりだったら・・・自信のなさが、恐ろしい  想像を呼び、私の不安を大きくしていきました。そしていよいよ「ネパリ・バザーロ」でインターンを始める日が  やってきました。初日は事務所ではなく、毎年ネパリが開催するイベントの会場でした。ファッションショーで  ネパリの服を着て舞台に上がるのが、私の最初の仕事になりました。予想外の出来事でしたが、ネパリが扱っている  衣類の基本概念を理解する良い機会となりました。
新作展示会にて(左から二番目)
 研修中のネパールの生産者2人と出会えたことも貴重でした。ネパリでは、生産者を日本に呼び、トレーニングを  しています。日本に来られるのは、生産者の中で最も優秀で熱心な選ばれた人のみです。自費で海外へ行くことは  生産者には困難なので、この研修は彼らのやる気を大いに引き出します。また相互理解を深めるためにネパリ側に  とっても良い機会です。私が驚いたのは、ネパリスタッフの皆さんがネパール語を話せることでした。フェアトレ  ード団体の中でも珍しいことです。フェアトレードの分野では、途上国の生産者との言語の壁は重大な問題の一つ  になっています。この壁はお互いの深い関わり合いや意思疎通に支障をきたします。本当のビジネスパートナーと  して相互に理解し合い、継続的な協力関係を導くべく、ネパリはただ一つの国、ネパールをパートナーとして選び  ました。一国に限定するということは、資源、生産品、マーケットが限られるため、戦略を立てるのがとても厳しく  なります。しかし、ネパリはそれをやってのけました。いったいどうやってだろうか。ネパールのみで作られた製品  で競争するための、彼らの秘策はなんだろうか。私は、インターンが終わる2ヶ月後にはその答えを見つけようと  心に決めました。ネパリの事務所は10名程のスタッフと数名のアルバイトで構成されています。横浜市郊外の小さな  町にある建物は事務所というよりもむしろ家庭的な住居のように思えました。事務所初出勤の朝の電車で、私は自分  がどんな仕事をするのか、とても不安になりました。しかし、今さら私にどうすることもできない、やれることを  全力でやろうと覚悟し、不安を打ち消しました。私はまず商品部に配属され、ネパールから来た製品の品質管理の  仕事を与えられました。「品質管理」というものは、文字通り消費者に対して提供できる品質であることのチェック  を行う仕事です。ネパリは手仕事にこだわりを持ち続けています。その理由として、手で作るということは、より  多くの「工程」を生み出し、雇用機会を増やすことができるからです。また、生産技術を習得することで、生産者  自身が自立心を持てることも狙いとしています。しかし、手仕事は、より細かく時間のかかる品質管理が必要になり  ます。この仕事を割り振られたことで、私はネパリの製品についてより深く知ることができました。また、品質管理  は多くの言葉を必要としないため、私のような初心者にも取り組みやすい仕事でした。   スタッフは仕事関係以外の言葉を発することはなく一所懸命仕事に集中していました。現場の空気に確かな熱気を  感じることができました。   2週間後に私は開発部に移り、そこのチーフのアシスタントをするように言われました。チーフは膨大な仕事量を  こなす、まさにスーパーウーマンと呼ばれるにふさわしい女性で、いつも深夜、最後にオフィスを出るような方でし  た。私は彼女のそばで働く機会を得たこと、そして彼女が仕事をする姿を間近で見られることを非常に嬉しく思いま  した。一方で、そんな彼女のアシスタントをするということは私にとってある種の恐れがあり、また彼女にとっても  同様に、仕事も分からず日本語もままならない外国人である私をアシスタントとして引き受けることが内心心配であ  ろうと思いました。私は彼女の足を引っ張らないように、そして与えられた仕事を精一杯やることに全力を尽くしま  した。私は英語ができるので、英文で送るメールの作成など、自分にできることをひとつひとつ実行していきました。  自分にも貢献できることが確かにあることを実感し、それと同時に少しずつ自信を持てるようになりました。仕事を  繰り返すことで徐々に慣れてきましたし、新しく与えられた仕事を「恐れ」ではなく「チャレンジ」として感じられ  るようになりました。このことは私にとって大変感動した経験のひとつです。     年に4回発行しているカタログでも、モデル撮影の現場への同行、英文のスペルや文法のチェック、そして消費者  に配られるギフトカタログの注文用紙の作成といった機会が与えられました。そしてその結果生み出された新しい  カタログを手にした瞬間は、生涯忘れる事のできないものでした。スタッフは朝の7時半に出社して、印刷所から  届いた一万冊ものカタログを搬入するという仕事でも、皆、常に笑顔を絶やしませんし、そんな努力が素晴らしい  成果を生み出すことを実感しました。完二さん(副代表)は「もっとスタッフが必要だが、多くの人は来てはすぐに  辞めてしまう。それは我々の求めるものが大き過ぎるからだ」と言いました。また「質の高い人材を求めている」  とも言いました。『質の高い』とは、賢くて多才な人間を指すのかと私は思っていましたが、完二さんは「質が高い  とはPassion (情熱)のある人間を指す」と言い、また「フェアトレードに対する情熱は最も重要。情熱がなければ  結局、遅かれ早かれ離れていってしまう」と説明してくれました。技術は実際に多くの仕事をこなすうちに身につける  ことができます。フェアトレードと社会正義に対する情熱は最も重要なことで、この分野でプロフェッショナルになる  ためには不可欠な事であると改めて感じました。   他に大いに感銘を受けたのは「apバンクフェスティバル」 と呼ばれる3日間の野外音楽イベントでした。そこで  ネパリもブースを設け、販売を行いました。私も実際に消費者と顔を合わせて、ネパリの説明をしました。私の日本語  で、フェアトレードや商品についての説明が完璧にできたとは思えませんが、消費者の考えに何か変化を与えられた  ような手応えを感じることができました。このイベントで、フェアトレードに携わっているネパリ以外の団体の  スタッフにも会い、話を聞く機会がありました。エクアドルからのフェアトレード商品を扱う会社のオーナーを  している、とても若い女性に出会いました。彼女は大学生の頃にエクアドルへ旅行した際、そこで日本の工場から  排出される汚水に苦しむ人々の姿を目の当たりにしました。日本人として罪の意識を感じ、フェアトレードのビジネス  を始めようと決心し、若くして起業したそうです。彼女は「私がこのビジネスを始めた時、多くの方々がサポートして  くれました。ネパリ代表の春代さんが始めた頃は、まだほとんどの人がフェアトレードビジネスに無理解な時代  でした。彼女はとても大変な思いをしたと思います。彼女に比べたら私は恵まれていますが、それでもまだまだ厳しい  時代だと思います」と言っていました。フェアトレードを実現すべく、予測困難な多くの物事に立ち向かっていった  数々の挑戦者たちが、これまでの礎を築いていっています。私もその挑戦者の一員になりたいと思うようになりました。     今回のインターンシップは本当に多くの経験に満ちたものでした。2008年夏の2ヶ月間は私の大学生活の中で  最も素晴らしい夏休みになりました。ネパリでの体験を通して、私の短期目標、そして長期目標双方を明確にする  ことができました。今度は自分の手で道を切り開いていく時です。私は春代さん、完二さんやスタッフの方々から  学んだ 「Passion(情熱)」を生涯忘れません。ここで得た全てをエネルギーにして、来たる将来に向けて日々  邁進して行きたいと思います。ありがとうございました。                     戻る