特集 遥かなるアローの故郷を訪ねて・・・サンクワサバ・アロー紀行

アロー村へ
 1999年10月、例年なら雨季はとうに終っているはずのこの季節。しかし今年は異常気象で毎日雨が降り続く中、アローの故郷、サンクワサバ郡シスワ村へ向かいました。
 アローを山から刈りだし、布を織っている村までは、降りた飛行場から、歩いて3日。歩く道も細い山道で人が一人やっと通れる幅程度。日本を発つ前にも連日の雨で道の状態が悪く、もしかしたら村まではたどり着けないかも…の情報が入っていました。今年デビューのアローベアをはじめ、人気商品のアローマット、アローベスト、トートバッグなど年々アローを使った商品が増えています。人気の秘密は麻に似た懐かしい風合いの天然素材だからでしょうか。…その故郷は遠い遠いネパールの山の中にありました。

3日かけて村を目指す
 ネパールの首都カトマンズからプロペラ機で1時間、着いた所はトゥムリンタールという小さな街。そこからは電気もなく、もちろん車もなく頼るものは自分の足と体力のみ。当初は自分の荷物は自分でという計画でしたが、一日の歩行時間は約5時間から7時間、何しろ村へつくのが第一目的、たどりつけなければどうにもならないので、ポーターさんたちにお願いし、大きな荷物は持ってもらうことになりました。
 歩きだすといきなりの雨。川沿いの道で、しかも足元に流れる川は激流といってもいいくらいの流れ。あの水量であの急流は日本ではちょっと想像がつきません。もし足を滑らせて道を踏み外したら…日本で掛けた保険は安すぎたー!!…と嘆いてもあとのまつり。もうここまできたら行くしかない。アローの故郷を自分の目で確かめにきたんだ、と自分で自分を励ましながらの道のりです。
 水につかって道を探し、すべる丸太にしがみつきながら川を越え、ロッククライミングさながらの岩にかじりついての3日間。私たちは空身に近い状態にもかかわらず、ほとんど這うようにしてたどり着いたその村から、村人たちは、自分の背よりも高くアローの布や糸を積み、背負って下りてきます。彼らの過酷な生活の一場面を窺い知ることができます。

アローミニ知識 標高1200〜3000mの高地に生える巨大イラクサ「アロー」は、高さ3m、茎の直径4pにも育ち、茎も葉も花も刺に覆われています。刺は毒を含んでいて刺さるとビリビリとする結構な痛さ。ただ30分ほどで収まりますが。赤い花をつけるものと白い花をつけるものがあって、白い花をつけたものの方が繊細な糸がとれるようです。最近の天然繊維の人気と森林保護の観点からアローの人工栽培も試みられています。

収穫地へ…ヒルの襲来
 歩き出して3日後やっとアローの村シスワ地区までたどり着きました。その村では実際にアローを刈るところに同行し、アローを繊維まで作る行程を見せてもらい、紡ぎ、織り、また村人たちそれぞれの生活の様子の聞き取りなどなど忙しい日程になりました。本来なら2、3日かかる山の中へアローの収穫に行くのですが、村へたどり着くまでに疲労困憊している私たちの為に特別に村から数時間で行ける収穫地へ案内してもらいました。
 村をでて数時間山道を歩き、そこからは道もない藪(ジャングル)。一歩行くごとに、足元に数匹、頭上からも数匹というヒルの襲撃に遭います。そのジャングルを村人たちは素足にサンダルという格好で進んでいきます。ふと彼らの足元を見ると、ヒルにやられたところから一筋二筋と血が流れています。私たちは雨具に軍手、帽子と防衛はしたつもりでもどこからともなくヒルは侵入します。靴下やTシャツにも血が滲んできました。ネパールで献血して帰ってきたと思うより他はないようです。

収穫
 アローの収穫地には2mを超えるアローが茂っています。大きな刺をものともせず、村人は収穫を始めます。鎌のようなもので刈り、アローで織った布で刺をしごいて取り、皮をむいていく。そんな作業が淡々と続けられます。普通は早朝から夕方まで、4〜5kgの繊維を集めるまで続けられます。収穫の最盛期にはそのままジャングルで野宿をし、数日間収穫にあてることもあります。村へ持ちかえったアローの繊維から糸を作ります。これも数日間かかる根気の要る作業です。
 糸を紡ぎ、織ったり編んだりするのは女性の仕事です。寒い冬は織り機を太陽の一番長くあたる場所へ移して一日5〜6時間。忙しいときは10時間近く織ることもあります。糸を紡ぐ作業は小さな携帯用の糸紡ぎの道具を使い、歩いている時も、子どもをあやしている時も手を休めることはありません。

貴重な現金収入、アロー
 今回訪れたシスワ村、周辺の村々は現金収入の70%以上をアローの製品に頼っていて、その収入は非常に貴重なものです。また彼らライ族にとっては古くからアローを生活に取りいれてきた歴史もあり、非常にアローの製品を作ることに誇りを抱いています。アローの生産をより効率的に行えるように、昔からアロー製品を作っていた5つの村が共同で、アロークラブというグループを作り、運営しています。カトマンズからの注文をまとめたり、クラブ員になった村人への織りや編みの技術指導、識字や計算の指導など、様々な活動がされていますが、何しろ通信、交通手段がなく、天候に左右されることも多い地域で継続的なマーケットを開拓すること、糸の色や織りあがり具合のコントロールの難しさなど様々な問題も抱えつつ活動しています。

村を訪ねて
 アローの村を訪ねて一週間。短いようでしたが、生産者たちと寝食を共にして、一緒にジャングルへ入り、ヒルに悲鳴を上げ、川で釣りをして夜ご飯を準備し、同じ川で洗濯や体を洗って過ごした経験は今でも鮮明によみがえります。村人の手で布に仕上げられ、村人によって山道を下ろされ、カトマンズの生産者たちの手で、バッグやかわいらしいくまへと変身し日本へ届くアロー。そのとげとげしたちょっと怖いような植物が、日本へ届くまでの間に様々な人の生活を支えている様子が実感できました。

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