商品開発物語 世界に羽ばたくアイピロー 『ポチ』『タマ』 生産者団体「マハグティ」
ネパリ・バザーロは、はぎれを活かした商品開発を大切にしています。 モノを最後まで大切にし、さらに手を加えることで、より魅力ある商品として輝くような、 そんな商品を一つでも多くご紹介できたらと考えています。私たちも一人ひとりが違うように、 商品も一つひとつ違うからこそ、その時出会ったものへの愛情が増すのではないでしょうか。

 写真左より土屋春代、アニタ・タパさん。

●品質管理担当で、当時をよく知るアニタ・タパさん。「アイピローを初めて作った時のことはよく覚えています。

服作りを本格的にスタートすると、どんどんはぎれが出てきました。
アシュラム(道場、修養の場のこともアシュラムと言われる。マハグティのアシュラムは行き場のない女性たちのシェルター。 そこで生活しながら技術を習得する。)で手織りした大切な布なので、もったいなくて捨てられずにいました。春代さんも、捨てないで溜めておくように言いました。何を作ろう?とずっと考えていました。当時のマハグティ代表スレンドラ・サヒさんがセミナーのスピーカーとして日本に招待された際、アイピローのサンプルを持って行きました。でも、そのデザインではとても売れそうになかったので、春代さんがさらにデザインを発展させ、はぎれをパッチワークした今の『ポチ』と『タマ』が完成しました。それからは瞬く間に大ヒット商品となり、発売開始から10年たった今でも、人気を保ち続けているロングセラー商品です」

●開発を担当した、ネパリ・バザーロ代表 土屋春代
「かわいい動物のアイピローを作ろうと思っていました。
最初は、わざわざ新しい布を使うのがもったいなかったので、
はぎれをつなぎ合わせてサンプルを作るようにお願いしました。出来上がったサンプルを見ると、
いろいろな色柄の布を使っているのがとても新鮮でかわいく、
また、どんどん溜まっていくはぎれを何に使おうかとずっと悩んでいたので、
見た瞬間に『これだ!』と思いました」


●アシュラムで暮らす女性たちが、主にアイピローを作り、彼女たちの貴重な仕事となってきました。
注文がたくさんある時は、バクタプールという町で暮らす女性たちにも発注することができ、
たくさんの人たちの生活を支えてきました。昨今の経済不況の影響もあり、
服の注文が減った時期もありましたが、
アイピローは常に注文があったので、仕事を絶やさずに続けることができました。
今ではマハグティの縫製部門でも作っています。
工房のあちこちで、亜麻の種を広げて異物を除いていたり、
顔の部分を刺繍していたり、体に亜麻の種を詰めていたりと、
女性たちがいろいろなプロセスの仕事をしています。


●初期のアイピローは、今以上に、一つひとつ表情が違ったり、太り気味や痩せすぎのアイピローなど、
個性豊かで、ネパールから届く度にどんな出会いがあるのか、ドキドキハラハラしていました。


●発売してから5年間は、ネパリ・バザーロの事務所に「アイピロー病院」と呼ばれる箱がありました。
ネパールから入荷したアイピローで、ほつれているものは全て縫い直し、破れていたらアップリケをつけて、
一つひとつ大切に修繕していました。
また、出荷前に私たちは全ての商品を検針機にかけ、中に金属片などが入っていないか確認するのですが、
アイピローはかなりの割合で反応します。そのアイピローは、「アイピロー病院」に入れられ、
スタッフが一つひとつ縫い目をほどき、中に入っている亜麻の種を全部出し、
確認してから、再び縫い合わせていました。
そのほとんどが小さな異物に過ぎないのですが、不安なので全部確認をしてから出荷していました。
品質が向上し、「アイピロー病院」が必要なくなった時は、マハグティの生産者と共に喜びました。

マハグティ
若き日をマハトマ・ガンディーと過ごしたネパール人、トゥルシ・メハール氏が
女性たちの経済状態を引き上げようと1927年に設立しました。
その後1972年に厳しい状況の女性とその子どもたちのための避難所を開き、
機織りや糸紡ぎ、縫製などの指導を行なってきました。
そこで織った布を、マーケティングのNGO、マハグティのワークショップで服に仕立て、販売しています。
また、ネパール国内各地に様々な商品の生産者も抱えています。


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