フェアトレード
セミナー報告
「シリンゲ村物語」
フェアトレードコーヒーから始まる
自立への挑戦
2009年9月27日地球市民かながわプラザにてフェアトレードセミナーを開催しました。
恒例のパンチャ・ラマさんらのネパール音楽コンサートや、ネパールの生産者との
ファッショントークなど館内あちこちで盛り上がる中、メインのセミナーは、シリンゲ訪問時の映像も交えながら
ネパールコーヒーへの取組みを紹介し、これからの活動を考える場としました。
●コーヒー輸入当初から現在に至るまで
土屋春代(以下春代):コーヒーは、貧しい村の現金収入として1994年9月に
ネパール政府許可第1号の輸入を600kgから始めました。
仲介人が利益を得るために我々よりも先に買い取り、値をつり上げてしまい、
また、村人との間に入られてしまうと、村の状況がつかめず苦労しました。
そこで1998年、仲介人に邪魔をされないグルミに対象を移し、丑久保完二が村に通って信頼関係を築いて
長期契約を交わし、輸入がようやく安定しました。
有機認証は、世界のどこにでも売れるように、費用の援助もしましたが、村人にその価値が伝わらず
事務的な仕事を面倒がってなかなか進まず2004年にようやく取得しました。
2005年韓国のNGOビューティフルストア(BS)にグルミを紹介し、韓国の通関のことまで調べ、
ネパリ経由ではなく直接輸入ができるようにしました。
2008年にBSの輸入量が15トンになり、さらに販売ができるということで、
ネパリはグルミのコーヒーをBSに譲り、シリンゲに力を入れることに決めました。
フェアトレードはずっと抱え込むのではなく、成長したら卒業していくものだと考えています。
グルミの農民はいつかネパリのことを忘れていくでしょうが、それでよいと思います。
彼ら自身でマーケットを見つけ、暮らしを改善し、子どもを学校に行かせられるようになったと誇りと
自信を持って、これからの困難を乗り越えていってほしい。
ネパリはそこに関われたことを誇りに思います。
●フェアトレードコーヒーから始まる自立への挑戦
春代:ネパリの取組み、コーヒー農家の状況など見てもらいましたが、どうでしたか。
甲斐克茂(以下甲斐):コーヒーは、開墾された大規模な農園で作られ、
大型トレーラーがすべての実を摘み取っていくという認識でした。
手摘みで電気もないシリンゲのコーヒーは今までの知識にありません。
春代:栽培されて日本に届くまで、一般のコーヒーの経路や価格は?
甲斐:豆は協同組合に集められ、仲介人、輸出業者を経て外国へというのが一般的です。
大量に採れるのならば一度に出荷できますが、小口の農家は数トンずつ協同組合に集め、
さらにいくつかの協同組合の豆を集めて20〜30トン溜めてコンテナ単位で輸出します。
大口以外は、協同組合間をまとめる仲介人がどうしても必要です。
価格はここ4、5年需要が上がってマネーゲームに利用されることが多くなりました。
生産者は無視され、市場優先のメカニズムです。
丑久保完二:コーヒーは農民に渡る金額が一般市場ではキロ当たり15〜50円と、とても少なく、
ネパリの場合はキロ400円。世界一高い価格です。
春代:あまりに高くてネパリしか買えないと困りますが、山奥で栽培し運んでくる手間を考えると
仕方がないと思えます。BSはネパリと同じ価格で買い、韓国で売れています。
甲斐:ネパリと関わるまでフェアトレードを理解していませんでしたが、ネパリのコーヒーを焙煎、
パッキングをして市場に出していると考えると、
ネパリの活動に我々自身も参加させていただく一歩を踏み出しているのだと認識しました。
従業員もそう思って働いています。
でも、まだたったの一歩。これからどうするか。
ネパリの協力も頂き、本当に自分たちにできること、やるべきことを考え、
積極的に踏み出していきたいと思います。
田中孝志さん(焙煎担当)のメッセージ(抜粋)
ネパールの生産者のお話を聴いた時には本当に嬉しかった反面、ネパールの生活や現状を思うと、
「こんな大役を自分に任せられていいのか」と重大な責任に不安を感じました。
しかし、自分が焙煎をすることでネパールの子どもたちや生産者の方々の生活向上に
少しでも役に立てるのだと理解し、不安がやる気に変わりました。
今では焙煎の度にお話を思い出し、ネパールの方々、関係者の皆様、
コーヒーを飲んでくださるお客様のことを第一に考えて、この仕事を与えてくれ、
支えてくれている会社の仲間たちに感謝をして、持てる限りの技術で焙煎をしています。
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