Cotton Craft

一人でも多くの女性に就業の機会を…コットン・クラフト
サラダ・ラジカルニカルさんは、夫の仕事の都合で長年山岳地帯に暮らし、女性たちの経済的、社会的に厳しい状況を目の当たりにしてきました。そして、女性たちの就業の支援をしたいと強く思うようになり、カトマンズに戻ってきた1993年に、木綿やヘンプ(麻)素材の小物を作る小さな工房を始めました。当初は生産、マーケティングなどの知識がなかったため、製品はなかなか売れませんでした。その後、女性企業家たちが後進の指導や産業育成を目指して組織する、ネパール女性起業家協会(WEAN)で技術向上や事業に関する知識などを学び、品質向上に努めてきました。販路も広がり、ネパリ・バザーロ以外にも海外ではオーストラリアの団体からも引き合いが来るようになりました。3人でスタートした工房ですが、今では通ってくる12人の女性たちと、近郊の村々の家庭で編物をする女性たち20人と共に仕事を進めています。
「伝統行事や習慣の多く残るネパールで、女性たちは家事一切や子どもの世話だけではなく、数多く催されるお祭り、お祝い事の宴会の準備もしなければなりません。そうした地域社会とのつながりや、家事を何よりも最優先させ、その合間にやっと働くことができるのです。」(サラダ・ラジカルニカルさん)


Mahaguthi

常に底辺の女性と歩んで…マハグティ
ネパリ・バザーロ設立以来ともに仕事をしてきたマハグティは、ネパールでもっとも古いNGO団体。若き日をマハトマ・ガンディーと共に過ごしたネパール人、トゥルシ・メハール氏はその影響から、75年前貧しい女性の経済状態を引き上げようと、マハグティを設立しました。さらに1972年、夫に捨てられ生活手段をなくした女性や寡婦など、最底辺の女性とその子どもたちの避難所として、トゥルシ・メハール・アシュラムを開きました。そこでは、技術を身につけ仕事を持つことが他者の支配から逃れ、自立する道であるというガンディーの思想のもと、機織や糸紡ぎの技術指導が行われており、その販路開拓とアシュラムの資金作りを目指して、1984年マーケティングのNGOマハグティを誕生させました。マハグティ設立以来16年間マネージャーを努めるスレンドラ・サヒさん(写真右)は精力的にマーケティング、生産者の調査を進めています。ネパールの地方の伝統技術を応用したダカ織り、アローなどの製品をいち早く開発、商品化した功績は多大なものがあります。しかしここ数年、最大の販売先だった欧米のNGOが民間との価格競争でシェアを下げオーダーが少なくなったため、マハグティの販売は落ち込んでいます。マハグティ自身のワークショップで作った物を売るだけでなく、販売を代行していた小さな生産者グループも100から74ほどに減ってしまっています。少しでも多くの生産者に仕事がいくように今日もサヒさんは飛びまわっています。
 マハグティでは、アシュラムや他の訓練所で技術を習得した女性たち30人が織り、染め、縫製などに分かれ、きびきびと楽しそうに仕事をしています。その中の一人、ラディカ・マハルジュンさんは7人家族の貧しい農家の出身で、経済的に苦しく、8年生以上の学校に進学できませんでした。産業技術トレーニングを受けましたが、その技術では市場製品の製作には不充分で良い仕事を見つけられずにいた時、マハグティのことを知り、技術向上トレーニングを受けました。その結果、安定した賃金で福利厚生もしっかりした職場での仕事を得ることができました。貯蓄もはじめた彼女は将来独立して洋服店を開く夢も持っています。

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