特集 ミティーラアートの世界
女性が受け継いできた伝統と情熱


観光客の殆ど行かない小さな町に埋もれていた宝があった。"ミティーラアート"
女性たちに代々伝えられてきた原始芸術である。

 
JWDC
Janakpur Women'S Development Center


 ジャナカプールの女性たちに代々伝えられてきた、 "ミティーラアート"の伝統を維持し商品化し、少しでも彼女らの収入を確保しようと1989年JWDCが設立されました。空港からも近く、広い敷地にジャナカプールの伝統的な家々がセクション毎に分れて並び、真中にチョウタリ(菩提樹等の大きな木の下にある休憩スペース)もあり、明るく健康的です。メンバー80人が絵を描いたり、Tシャツやクロスにプリントしたり、茶碗やカップなどの焼き物を作ったりと働いています。毎朝9:30から1時間、識字教育や一般教育、経理やマーケティング等色々な研修もしています。カトマンズでは最近カーストによる差別は少しずつ減ってきたと言われますが、地方ではまだまだ根強く、センターができて女性達が集まり始めた頃、カーストの違う人達がお昼を食べる時、穢れを恐れ一緒に食べられず家に帰ってしまった人もいましたが、今では一緒に食事をしたり、仕事の相談をしたりして、賑やかに、時には喧嘩をしながら共に働いています。ジャナカプールにも最近いくつかの小さなグループができ、女性達の社会進出、組織化が始まっています。1989年設立以来辞めた女性は3人しかいませんが、そのうちの1人が別グループを作るなどセンターの果たした役割は大きく、何十年も時間の止ったような町が、緩やかに、着実に女性達から変わって行こうとしています。


 
JAC
Janakpur Art&Craft


1994年設立されたJACはジャナカプールに伝わるミティーラアート製品を手がける工房です。地元の女性たち34人が仕事をしています。彼女たちの多くは、マイティリ族の中でもカーストが低く差別を受けたり、夫に捨てられたり、死別したり、大家族なのに収入がなかったりと、社会的にも経済的にも苦しい立場の女性たちです。JACではそうした収入が必要な働きたい女性たちに絵のトレーニングから始め、縫製やカッティングなど得意な分野で力を発揮できるように気を配っています。また、家庭の事情で家を離れられない人は、自宅で仕事をしています。代表のアジツさんは女性のものとされるミティーラアートを自ら学び、多くの女性たちに教え、商品開発から販路開拓までこなす傍ら、JACの女性たちがそれぞれ抱える問題を全て把握し、必要なサポートをしています。  


インドとの国境に近いタライと呼ばれる平野部にジャナカプールという町がある。
観光客の殆ど行かないこの小さな町に埋もれていた宝があった。女性たちに代々伝えられてきた原始芸術"ミティーラアート"
この一帯は独特な表現方法で有名なミティーラアート発祥の地である。

ネパールがたくさんの小国に分かれていた頃、タライにMaithil(マイティリ)という王国があった。ジャナクという英明な王が支配していた時、王女のシータがラムという神様に嫁ぎ大変に栄えた。この頃からジャナカプールと呼ばれるようになったというヒンズー伝説の町である。王女を奉ったジャナキマンディールという寺の祭りには毎年全国からたくさんの参拝者が集まる。その美しいムガール様式の寺はネパールというより、インドを連想させる。人々の顔もよく似ている。 肌の色の黒い、目の大きなアーリア系の民族の彼らは話す言葉もマイティリ語、女性のサリーの着方もカトマンズと違う。カトマンズと大きく違うのは車の台数。空港に着くと我勝ちに客を乗せようと近づいて来るのはサイクルリキシャだ。町の中心のホテルまで走って10分。その間にすれ違う車は数台で、自転車、バイクが多い。 もちろん殆どの人はひたすら歩く。
リキシャで揺られながら左右の家を眺めると伝統的な土壁の家が目に入る。竹で枠組みを作り、わらを混ぜた土で塗り固めてある。白く乾いたその壁に象や鳥、人など、独特なミティーラ絵が描かれている。下描きの後、陰影をつけず鮮やかに彩色し、単純な線で伸びやかにアウトラインを引く。代々、母親から娘に伝えられ、神々や動物、結婚式のような華やかな祝い事などを家の外壁や内壁に幸せを願って描き継いできた。
寺院と池と原色の絵が目立つ、華やかで賑やかな伝説に彩られた町である。

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