小規模生産者、小さな農家
女性起業家の支援に向けて

 ネパリ・バザーロがフェアトレードを始めて、8月で10年が経過します。皆様の応援を頂きながらここまでこれたことを、スタッフ一同 、そして、生産者の方々共々嬉しくありがたく感じています。
 この10年を振返りながら、個人一人一人が尊重され、活き活きと平和に暮らせる豊かな社会を目指して、21世紀のあり方、日本の役割を 共に考える機会にできたらと思います。

◆はじめたころ...
1990年の有志による勉強会が土台になって、1991年に市民団体(ベルダレルネーヨ)を立ち上げ、ネパールの子ども達の教育支援の活動 を始めました。子ども達の将来のために、そして、自ら社会創りをするには教育が大切なこと、また、比較的活動もしやすいことから、学 校作りへの取り組みから始めました。ストリートチルドレンを引き取り家族のように世話をする方に出会い、その協力も始めました。それ らの活動の資金作りの必要性と、私たち自身の経済的自立への試みから輸入のまねごとを始めたのがネパリ・バザーロのきっかけです。

◇やはり、立ち上げの時期は大変でした。資金的にも人的にも。市民の一人として企業へ勤めていれば責任が果たせたつもりでいましたが 、世界には多くの問題があり、あまりにも理不尽な状況下の人々の姿をみると、もっと積極的に物事を捉え具体的に何かをしていかなけれ ばいけないのでは、と考え始めました。犬養道子さんの「人間の大地」を読んだ時は、涙が止まりませんでした。休日のスポーツをしてい る時間を少し節約して、何ができるかを考えようと思いました。まず、現ネパリ・バザーロ代表の土屋春代が開く勉強会へカメラマンとい うことで様子を見に通いました。そして、ネパリ・バザーロは、市民団体の協力をもらいつつ、専従3人で立ち上げたんです。この設立に は、途上国の人々への支援ということだけでなく、日本も含めて社会的に不利な立場にいる女性の経済的自立への願いも込められていまし た。私も、休日、夜間は、せっせとお手伝いしました。(K談話:当時を振り返って)

◆わかってきたこと...
支援にも災害援助のような緊急支援と、定常的に厳しい状況の生活改善、社会改善など長期に亘る支援があります。私達が目指すのは、 基本的に後者です。教育も大変重要です。医療支援も大切です。でも、学校は、政府や各国からの支援でかなり作られているのに、学校が あっても就学できない子どもがいるなど、他の取組みの必要性も議論されるようになりました。経済的自立の必要性です。自分で家族のた めに道を切り開き、支えていくという自立の精神の尊重と実現です。国連レベルで、その援助は始まりましたが、力の弱い小さな生産者、 女性、そして町から遠い農村部にまでは届きませんでした。そこで、フェアトレードという草の根の活動が始まったのです。

◇現地の活動で大変なのは、現地の技術で日本の市場に受け入れられる製品開発ができるか、できなければ、どう改善するかという課題で す。また、信頼できる人がいるか、信頼関係を築けるか、です。現在のネットワークができるまでには、様々な苦い経験をしました。この 10年を振返ると、今は亡き女性、家族同様に、常に温かい応援と協力をしてくださったリニュー・グルンさんを思い出します。彼女は、落 込んだ時常に味方となって励ましてくれました。時を経る毎に多くの女性達の応援が集まり、まさに女性のネットワークにより支えられて きた、といってもいいでしょう。そして、年を重ねるごとに、町から農村部へ、そして、独自のプロジェクトも打てるようになっていきま した。「男性は信頼できない」なんて時もあったんですよ(笑い)。そんな中、100の小さな生産者団体の販売を受けもつサナ・ハスタカラ のマネージャー、チャンドラさんとお会いした時は、こんな素晴らしい男性がいるのか、とうれしい衝撃でしたよ。(その後、素晴らしい 男性も続々発見!)(K談話:ネパリ・バザーロでは少数派の男性の声)

◆目指していること...
1990年代は、日本でも多くのフェアトレードに関係するグループが誕生しました。それぞれに特徴があります。ネパリ・バザーロは、国 を限定し、さらに自分たちのサイズを意識して、同程度の団体と付き合うように心がけています。時には個人の場合もあります。お互いに 、その主旨や効果を考えながら充分に話し合ってすすめるには、このサイズが合うということが重要だと考えています。東洋という西洋社 会とは違う価値観も大切にしながら、アジアの一員として、共に生きていくことを目指しています。

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