特集 ネパールの手漉き紙で包む安全な住まいづくり
 ヒマラヤの山々に住む人々の生活改善と私たちの安全な環境創り

極西ネパールの山深いヒマラヤの麓。ここに、厳しい生活を改善するために紙漉きに 取り組む村がある。
その村の紙作りと、私たちの健康は一本の糸で結ばれている。

ネパールの極西部、バジュラ郡。カトマンズからネパールガンジまで飛行機で1時間 。
そこから車で1日走ってダンガリに到着。更に車で山側へ2日間、そして2日間歩 いてやっとバジュラに着く。
山また山の奥、聳え立つヒマラヤの麓の地である。そこ に住む人々の生活を支える貴重な収入源に手漉き紙の生産がある。
その紙は、自然素 材100%。今では、世界を見渡してもなかなか見つからない貴重な紙だ。
私たちの身の 回りでは、シックハウス症候群が目立つようになり、自然素材を利用した家づくりが 注目されている。
混じりけのない自然な手漉き紙を守ることは、私たちの健康を守る ことに繋がり、また、小さな生産者の支援という国際協力に繋がる。
遠いと思われて いる国の人々のことと私たちの健康は、お互いに密接な関係にあるのだ。
住まいの安全は、生産者の生活を 考えることから始まる。自然素材として貴重な ロクタの紙はここで生まれる。


NWC Nepal Woman Craft 手漉き紙の生まれる世界とその魅力
住まいの安全は、生産者の生活を 考えることから始まる。自然素材として貴重なロクタの紙はここで生まれる。

ロクタ収穫の季節
 実りの秋の10月、太陽が見え始める頃、いくらかの家事とご飯と豆の朝食を済ませ た男達は、ロクタと呼ばれる木の皮を取りに国有林へ行く支度を始める。 秋の収穫 は全て終わり、彼らに野良仕事はない。ネパールで一番大事なダサイン祭が終わると 、ロクタ収穫の時期を迎える。
 東ネパールのエベレスト山麓に住むシェルパ、同じく東ネパールのリンブーとライ の人々、そして極西ネパールに住むチェトリの人々は、千年以上もの間、このロクタ から紙を作り続けてきた。村々の人々にとっては、ダサインはロクタ収穫の始まりを 意味する。
 ネパールの高地の森に育つ細い灌木のロクタの皮は、ネパールでは、最も重要な古来からの紙の原料として使われてきた。1,200〜3,000mのネパール丘陵地の森に育つ この紙は、その強さ、魅力的な質感、耐久性、虫の付き難さなどから高い評価を受けている。ラッピングやカレンダー、ブロック・プリント用としてカトマンズのギフト ショップでも売られている。また、カラフルなグリーティングカードとしても利用さ れ、最近では、自然で健康にも良い紙として注目され、ランプシェード、建築内装に も用途が拡大している。
 土地の登記簿なども、このロクタの紙からできている。ロクタは、ネパール古来の 紙の1つで、古いヒンズー教や仏教の経典、王室の記録にはヤシの葉かロクタの紙が 使われた。同じ文化圏であったインドでは、イギリスから化学処理の紙が入り、生産 されるようになると、地場産業の経営を悪化させ、伝承遺産は消えていった。ネパールでも、1850年、時の首相ユンバハドールラナが、大量生産の紙をイギリスから輸入 し、ロクタの紙生産は大打撃を被った、といわれている。
 それでも、高地に住む村々の人達は、自らの手作りの紙をささやかながらも記録用 や紙凧作り、包装紙にと使い続け、お隣のチベットでもこの紙産業は細々と生き続け た。チベットの僧院では、金属の彫像や絵巻物にとってネパールの紙、ロクタは重要 な物であり、彼らの膨大な経典に使われていた。その後、チベットが中国国家に併合 され、国境が閉鎖されてしまったので、ネパールの紙産業は、再び打撃を受けた。
 ロクタの紙作りは消えてしまった様にもみえたが、1960年代に、エキゾチックな土産や新しい経験を求めて入って来たヒッピーたちにより、息を吹き返した。彼らは、 素朴で「有機の」ロクタ紙に魅せられ、市場が広がったからだ。数年のうちに、ロク タの紙は店頭にも並ぶようになった。 
 ここは、極西ネパールのバジュラ郡。カトマンズからネパールガンジまで飛行機で 1時間。そこから車で1日走ってダンガリに到着。大変暑く、川にはワニもいる所だ 。そこから北の山側へ車で更に2日間、そして徒歩で2日かかってバジュラに着く。また山の奥地である。
 この紙プロジェクトがある村、キルパタ村周辺には、5つの小学校と2つの中学校 がある。中学校の女生徒の比率は22-28%。先生10人に生徒250人位である。バジュラ 全体の識字率、男性43%、女性8%と比較すると、ジェンダーバランスは良い方である 。 村の男達は、ククリ(刀)と小さい草刈り鎌と紅茶の入れ物を持って山に入る。土 地を持たないもの、小作人の人もいる。グループを2つに分けて、1つはククリでロ クタを刈り取り、もう一つのグループは、その皮を剥く作業をする。ロクタを刈り取 る時は、根を残すようにしているので、数年後、また伸びて良い枝になる。
 男達は時々タバコと飲み物で休みを取り、その間に他の植物も探す。彼らは冗談を 言い合い笑い合って仕事をし、午後遅くなってロクタの皮を大きな束にする。また枝 も束ねる。枝はたきぎにするのだ。村から数時間離れた暖かく日当たりの良い山小屋 まで運び、紙作りをする。薪をくべ、大きな銅の煮鍋をセットする。樹皮を木灰(町 周辺では、苛性ソーダ)で煮て、繊維を柔らかくし、余計な有機物を取り除く。ハー ク君も、この土地の学校で学び、2年前にSLC(高校卒業資格)をパスして、ここ で働いている。
 煮るのは時間がかかる。樹皮が柔らかくなると、ナイフで器用にこすって、樹皮の 汚れやしみを取り除く。樹皮の内側だけが使われる。樹皮を再び煮て、繊維を柔らか くし、石板の上で木槌で叩いて細かいパルプにする。パルプを何度も洗い、最後に一 定量を、水に浮かばせた網を張った枠に薄く広げる。枠を、注意深く水から持ち上げ 、水を切り、日に干す。数時間後、ロクタの紙は枠からはがされる。紙を束にして、収集倉庫に運び、品質で分類する。紙は再び梱包され、最終目的地、カトマンズ盆地 のネパール・ウーマン・クラフトに運ばれる。
 ネパール・ウーマン・クラフトの工房では、まだ粗い紙から細かい工芸品の仕事に 移っていく。
カード、封筒、および他のギフト商品をデザインし、出荷されるまでに は数多くの工程を経る。
 様々な形に加工され、切り分けられて行く。紙のうちのいくつかは染色され、いく つかは絞り染めにされる。また他にもシルクプリントや独特なウッドプリントを施さ
れるものもある。カットされた後は、接着や他の工程へまわり、愛らしいカードが出 来上がっていく。

ネパール・ウーマン・クラフト 手漉き紙生産者の想い 

1997年、女性の自立を願い設立した紙製品を扱う団体。その代表は、シャンティ・ チャダさん(写真:右端下左側)。女性の技術開発センター(WSDC)の理事を経て自ら の力で設立した。 カトマンズを中心に、遠方の人々の生活も考え、活動に力を注いできた。ここに紹 介する写真は、極西ネパールの深い山奥の地域の様子である。 昨今、女性起業家協会の代表を務める傍ら、ネパール商工会議所女性局長として忙 しい日々だが、女性たちが互いにネットワークして社会的地位を向上していくことの 大切さを訴えながら、自らもそのネットワーク創りに努めている。裕福な家柄に生ま れたことを活かし、そして、その豊富な海外経験を元に、デザイナーとして、女性起 業家として、新製品に取り組みながら生産者に継続的な仕事を提供するべく活動して いる。
 ネパール・ウーマン・クラフトの紙は、カトマンズ郊外ゴカルナと、極西ネパール のバジュラで生産している。 ネパールは緊急事態宣言下で、政府側との対立から武装過激集団により電話局が爆 破されるなど、より厳しい事態になっている。下のネパール地図の赤い所は、破壊さ れて電話が通じない地域である。紙漉きをしているバジュラも含まれ、ネパリ・バザ ーロがお付き合いしているヘナのダン、コーヒーのグルミも電話が通じない状態であ る。
 識字率など、発展過程を示す尺度(基本39項目を含む48項目)で、ワーストに位置付けられているが、自然に恵まれ、ロクタ、ハーブ、ヘンプ等、再生産可能な自然素 材の市場拡大が期待されている。

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