有機栽培紅茶との出会い
           土屋完二/編集部
ネパール紅茶の歴史
お茶の種類とグレード
茶摘みの一日

 ハンディクラフトでお付合い頂いている現地NGO、サナ・ハスタカラで有機栽培紅茶を扱っていることは知っていました。その紅茶の提供元が、カンチャンジャンガ紅茶農園と知ったのが1996年。販売不振で困っていて、私達とは直接のお付合いを希望していました。そこで、1997年5月にネパリ・バザーロ内に紅茶輸入プロジェクトを立ち上げました。

◆紅茶を輸入した動機
 紅茶、コーヒー農園の歴史を振り返ると、砂糖農園のように奴隷なしではやっていけなかった時代があります。ネパールで栽培が始められたのはずーっと後であるにせよ、農園労働者は弱い立場になりやすいだろうと考えました。そこで、できるかぎり生産者に近い立場で始めようとしたのです。ネパールのコーヒーを政府の輸出許可第1号として始めたのが1994年、その経験を生かしての紅茶輸入のスタートでした。

◆ディリー・バスコダさんとの出会い
 その後、実際にはコーヒーの輸入に手間があまりにもかかり、なかなか紅茶輸入まで手が回りませんでした。私たちの限られた力量では優先順位を付けざるを得なかったのです。ネパールの村々に広がるコーヒーの場合は、訪問地域も広いし、数年後の生産量と市場の動向なども考慮しながら進める必要があるし、将来に向けての有機栽培証明準備や、2年後に迫る米国のHACCPという食料安全基準への準備もあり、様々な関係機関と話しあいながら一歩一歩進めなければならないので時間がかかりました。
 このような時、もっとも適切なアドバイスを提供してくれたのが、カンチャンジャンガ紅茶農園カトマンズ事務所のディリー・バスコダさんでした。コーヒーと紅茶は密接な繋がりがあるからです。定期的に開かれる半官半民のコーヒーと紅茶の委員会があります。ディリーさんは、そこに生産者として出席し、各地域の農民、協会、販売会社の代表者と共に、農民から買い上げる価格や、市場動向とその問題点を話し合っています。私達も、この委員会と定期的に情報交換をしたり、課題解決に向けて話し合いをしたりしています。こうして、現地の状況改善に向けて現地視察を委員会の会長やディリーさんと共同で行う計画もしています。最近では、ネパール商工会議所とも話し合いを始めました。このようなきっかけはディリーさんとの出会いからです。このようにして、信頼関係を築きながらゆっくりと紅茶の輸入は進められています。

◆率先して行くことの重要性
 第3世界といわれる国の政策がうまく行かない理由の一つに、国全体の将来に向けて率先して道を切り開いて行く人がいない(イニシアティブを取る人がいない)という現実があります。ですから、ある程度、イニシアティブを取る労力が必要で、これは時間がかかりますが、フェアトレードの活動として避けて通れない促進活動だと思っています。

◆カンチャンジャンガ紅茶農園
 カンチャンジャンガ紅茶農園は、首都カトマンズから遠く離れた東ネパールのパンチタールという丘の多い地域にあります。インドのダージリンの隣、ネパールのイラム地域とも隣どうしです。世界的にもっとも美味しい紅茶ができる地域です。
 この農園は、協同組合的組織で農家の人々自身の力により1984年に始められました。100を超える農家が手を取り合い、自分達の土地を出し合って最初の協同組織の紅茶農園のオーナーになったのです。彼らの生活を維持するには不充分であったその土地で、今では、換金作物を生産し、生活改善に役立つようになっています。更に、有機農業を通じて、消費者の安全と農園で働く人々の安全を確保しています。このようにして、周辺の多くの小さな農家がやせた大地でも有機手法で紅茶や他の穀物を育てることができるという農業改善の良い動機付けともなっています。

◆有機栽培の紅茶って?牛糞?
 有機栽培紅茶は、環境にやさしく配慮された紅茶農園作りを目指したもので、肥料や殺虫などの自然な手法を用いて実現して行くものです。それにより、大自然のリサイクル循環に従って行くことが可能となり、安全な食品、働く人々の健康を守るだけでなく、環境にもやさしくなることを意味しています。
 たとえば、各家庭で飼われている牛糞は、ワラとこねて日干しをして堆肥にし、5月から10月の間に集められます。有機に取り組んでいる農家を訪ねると、子どもたちが牛糞作りのお手伝いをして、周りでヒヨコが遊んでいる姿を目にしたことがあります。ヒヨコは、ミミズがいるので、近寄って来るのです。それだけ、土にとって良いのでしょう。その他、鳥糞、ジャングルから集めた葉も使われます。こうして、土壌の改善がなされて行きます。また、野生のイラクサから取れる液体は、アザミウマやアブラ虫に有効な自然の防虫剤となります。
◆食料安全基準への動き
 この農園が提供するヒマラヤンワールド紅茶は、1998年にオーストラリアの有機農業の証明機関NASAA(The national association for sustainble agriculture,AUSTRALIA Ltd.)の認可を受けています。更に、米国のNASA(航空宇宙局)が宇宙飛行士の食品の安全性を確保するために始められて、広く食品工場に導入されるようになってきたHACCP(Hazard Analysis Critical Point)という食品衛生管理の準備をしています。

◆農園の果す役割
 このようにして出来あがってきた農園は、現在、この地域ではどのように役立っているのでしょうか。この地域で収穫された紅茶をイギリス、ドイツ、ノルウェーのフェアトレード団体と日本のネパリ・バザーロに販売した収益をもとに、歩道、橋を作ったり、生活施設を作ったり、医療施設を作るなどの環境整備に役立てています。更に、ローンの提供や、学費援助などにも役立っています。
 ここの紅茶の輸出の多くは、紅茶を飲む習慣のヨーロッパの国々と私達に直接顔が見える状態で出荷されています。従って、消費者の方々と生産者の方々が、立場は違ってもお互いに共存共栄している状態です。お互いの生活に役立っていることを実感しています。

ネパールの紅茶の歴史
 お茶の歴史は、中国、日本で親しまれている緑茶に遡ります。西洋でも以前は緑茶しか知られていませんでしたが、17世紀にはイギリスで紅茶を飲むようになり、インドで栽培が始められたのは1830年代のことです。
 ネパ−ルでは、1910年頃、ネパール極東部のイラムで2つの紅茶農場が作られたのが、紅茶生産の始まりです。両農場とも後に国営化され、今では1977年に設立された国営紅茶開発協会(NTDC)によって運営されています。生産地域も増え、ジャパ、イラム、パンチタール、テラタ、ダンクタの東部の5地域は、政府によって「ティー・ゾーン」とされています。
 年とともにネパールの紅茶産業は着実に成長し、現在では年間生産量が1,000トンを越えるまでになりました。このネパール産の紅茶は、香り高いことで海外に知られており、主にアメリカ、日本、ドイツ、カナダなどの国々へ輸出されています。

お茶の種類とグレード
 一口に紅茶といっても、茶葉の種類にはバラエティーがあり、また産地、農園、収穫年によっても味や品質が異なってきます。
「グレード」では「リーフ(茶葉)」と「ブロークン(砕茶)」に分けられたり、茶名の後についているTGFOPなどの記号による分け方がありますが、これは葉の大きさと形状による紅茶の分類であり、品質とは無関係です。
 ネパリ・バザーロで扱う紅茶は、格別の香りをもつダージリンの仲間、
イラム紅茶(パンチタール地域)です。中でも4月から5月にかけて摘まれる「ファーストフラッシュ( 一番摘み) 」が主で、これは水色はオレンジ系で淡いですが、若々しい春の香りで、ストレート・ティーに適しています。
 5月から6月に摘まれる「セカンドフラッシュ」は、幾分濃いめの水色になり、味はやや渋みが増し、フルーティーな香りのお茶になります。

茶摘み女性の一日
 ネパールの東部、世界で3番目に高い山「カンチェンジュンガ」の麓には、青々としたお茶畑が広がっている。
 ここでお茶摘みとして働いているサラスワティ・グルンは、快活な女性。彼女は、朝8時からドコ(背負いカゴ)を担ぎ、深いお茶の木の茂みに入り、器用に注意深くお茶の葉を摘む。熟練している彼女の指は、ほとんど機械的に確実に緑の葉を摘み、背中のドコに入れる。一番重要なのは、細心の注意を払って、お茶の葉を傷めないように扱うことだ。途中、お昼には自分の家から持ってきたお弁当を仲間たちと一緒に食べ、世間話に花を咲かせる。
 午後2時頃、サラスワティはお茶畑に戻り、もう3時間摘み取りを続ける。太陽はゆっくりとゆるやかな丘に姿を隠し、女性たちは再び集まる。
 茶葉はその後5−7
時間で出荷される形態に加工される。このお茶がサラスワティの口に入ることはないが、どこかの国の人々がこの紅茶を楽しんでいることを彼女は知っている。
参考:「シャングリラ」
    「お茶とハーブティー」ジル・ノーマン著 同朋舎出版
    「紅茶の楽しみ方」   小池滋 荒木安正 他 新潮社




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