スプーン/フォーク加工職人
ー地道に取組む人々ー
           山下亜紀子


迷路のような道を苦労しながら訪問
 象やフクロウの柄で人気の、スプーンやフォークを作っているサヌ・バイ・スナルさんのことは、以前に他のスタッフが訪問した時のビデオで知っていました。
 今回、その彼にお会いしたいと、その製品のマーケティングを行なっているNGO、サナ・ハスタカラのロミラさんに案内をお願いしました。
 電話でまずは道順をたずねるところから始まりましたが、結局よくわからなかった私たちを迎えに、サヌ・バイさんはわざわざサナ・ハスタカラまで駆けつけてくれました。聞けば電話をしたときはちょうど食事の真っ最中だったとのこと、本当に申し訳なく感じながらのご対面となりました。

(注)サナ・ハスタカラ:
100を超える個人や数人規模で製品作りをしている小さな生産者たちを抱えて、マーケティングや輸出業務を行っています。その生産者と私達、ネパリ・バザーロの橋渡しをしてくれています。


自然の淡い光で作業に取組む
 パタン市のラガンケルという地域は、水の便などがいいことから小規模産業区域になっていて、小さな町工場が見受けられます。サヌ・バイさんの工房は、ラガンケルの、通りからは少し外れた、2〜3階建ての家々が密集する一画にありました。よく晴れた暖かい日だったため、ひなたぼっこをしている女性たちや子供たちが、あちらこちらの屋上から路地を歩いてくる私たちを眺めています。
 亡くなったお父さんが残したという小さな土地に、サヌ・バイさんは3年ほど前に家を建て、その1階を工房としています。暗い部屋の中で5人の職人さんが黙々と仕事をしていました。中の2人は、サヌさんの息子さんだとのこと。多くのネパール人がそうであるように昼間は電気もつけず、窓から入る淡い光だけを頼りに、細かい手作業をこなしています。

こんなに手がかかるスプーン作り
 まずは、スプーンをつくる工程をサヌ・バイさんに見せていただきました。

1)最初に、これから作る1本のスプーンの見本を土に押し当てて鋳型をとります。
2)次に、土で出来た容器に原材料であるホワイトメタル(洋銀)を入れて、火で熱して溶かしていきます。
3)その溶かしたあつあつのホワイトメタルを、最初に取った土の鋳型に流し込んだと思ったら、一瞬にして固まるらしく、すぐ鋳型を開きます。
4)すると、ころん♪とフクロウの柄の小さなスプーンが転げ落ちてきました。

 シャッターチャンスを逃すまいとカメラを構える私の横で、ロミラさんが「まあ、なんて面白い!」と黄色い声をあげると、それまで静かに仕事をしていた職人さんたちが大爆笑。和やかな雰囲気になり、ぽつりぽつりとしか話さないサヌ・バイさんに代わって、下の息子さんが「1本作るたびにいちいち鋳型をとりなおすんです。手間だけれど、これがずっと私たちのやってきた方法だから、他のやり方ではできないよ。」と語ってくれました。
 一度使って壊した鋳型の土は細かく砕かれて、また鋳型を作るのに再利用されます。

5)この時点では、スプーンには鋳型に流し込んだ時の流し口の型もそのままくっついているので、それを取りのぞき、次にヤスリで全体をこすって形を整えます。
6)そして、ここでやっと文明の利器(?)、電動ローラーの登場です。ローラーに金属用の紙やすりを巻きつけておいてスイッチを入れ、猛スピードで回転するローラーにスプーンを押し当て全体をやすりにかけ、なめらかにします。
7)次に、真鍮磨きを塗った布地を巻いたローラーに付け替えて、磨いてつやを出していきます。しかも、このやすりローラーと磨きローラーは、スプーンの表用と裏用とそれぞれ用意されていて、片側を終えるといちいち付け替えなくてはなりません。
ローラーの形をよくよく比べてみると、表用のものはローラーの中央が膨らんでいて、裏用のものは中央が少し窪んでいます。作るものの形に添うように工夫してあるのです。
 「1本のスプーンに、こんなに労力がかかってるんですねえ」と、感心しつつローラーの写真を撮っていると、先ほどの息子さんが「まだこれで終わりじゃないんです。ふっふっふ…。」と得意げに何やら赤い粘土
状の物体を持って近づいてきました。
 「これは赤い真鍮磨きで、これで仕上げると、つやが出るどころではなく、ぴかぴか光るようになるんだ!」と言って、
8)ローラーにその赤い真鍮磨きを塗ってからスプーンを当てると、本当に光ってぴかぴかの美しいスプーンになったのでした。

代々受け継がれた伝統技術
 代々鍛冶屋を世襲するカーストに生まれたサヌ・バイ・スナルさんがこの仕事を始めたのは16歳のとき。20歳のときにはお父さんが亡くなり、若くして家計を支えなくてはならなくなりました。伝統的な製品としてアーミーバッジやベルトのバックルなどを作る傍ら、銀行で硬貨を作る仕事をしている時に、当時銀行に勤めていた現サナ・ハスタカラのマネージャー、チャンドラさんと知り合いました。
 サナ・ハスタカラは、その組織が立ち上がって、支援を必要とする小さな生産者を探しているときでした。銀行を退職してサナのスタッフになったチャンドラさんから声がかかり、伝統技術を生かしながらも新しいタイプの製品作りができるようになりました。今の工房の主な製品は、ククリというネパール独特の刀を模したペーパーナイフと、スプーンやフォークです。

フェアトレード商品の開発
 ネパリ・バザーロが始めにサナから紹介されたサヌ・バイさんのスプーンは、もともと彼自身のアイディアでしたが、そのまま日本で販売するには大きさや形が実用的ではありませんでした。サヌさんはこちらの要望に応じて何度も柄のデザインや大きさ、形を変えてサンプルを作りなおして、ようやく双方の納得のいく製品が生まれました。発売後はすぐにネパリの人気アイテムとなり、継続的に注文しつづけられています。

継続的な注文が生活を支える
 息子さん2人を含めて5人の職人さんを雇っているサヌさんにとって、一番の心配事は、「いつも仕事があるかどうか」です。様々な製品づくりのできるサヌさんの工房でも、単発の注文はあっても継続的な注文を得るのは難しいといいます。「ネパリ・バザーロとはスプーンを作って以来ずっと一緒に仕事をしてきて、絶え間なく注文をもらってとても助かっています。他の仕事がなくなってしまった時は、ネパリのスプーンやフォークを少しずつ作っておくんです。また注文が来るのがわかっていますから。」とサヌさんは言いながら、ストックしてあったスプーンを見せてくれました。フェアトレードの「継続的な注文」の大切さを改めて思った瞬間でした。

仕事を通して生活向上
 帰り際に電話をかけにいったロミラさんを待っている間、暗い部屋の中で冷えてきた身体をあたためようと路地に出て陽にあたっていると、頭上から「そんなところにいないで上がっておいで、上はあったかいよ!」という威勢のいい声がしました。見上げるとサヌさんの家の屋上からサリーを着たふくよかな女性がぶんぶんと手を振っています。階段を上って屋上へ着くと、娘さんらしき人と洗濯物を干しているところでした。ニコニコしながら「私はサヌ・バイの妻で、こっちが末の娘。今18歳で、学校のテストが終わって休み中なの。私も夫も教育はろくに受けてないけれど、この子は10年生(日本の高卒程度に相当)まで終わったんだよ。」と寡黙なサヌ・バイさんとは対照的に、うれしそうに大声で話してくれました。隣で娘さんが照れくさそうに微笑んでいます。でも、「さっきはご飯を食べてる途中だったのに、電話で呼び出されて迎えに行かなきゃならなくなったんだよ。これだから仕事場と家が一緒だと大変だよ。」としっかりお小言まで頂戴してしまいましたが。
男の子に比べてまだまだ女の子の就学率の低いネパールで、息子さんたちと同じように娘さんたちにも学校教育を与えることができたのも、サヌさんに現金収入を得られる技術があったから。今年52歳のサヌ・バイさんが36年間こつこつと働き続けて築いた、暖かな家庭と小さな工房は、サヌさんには何にも代え難いものです。その技術は新しい製品作りとともに息子さんたちに受け継がれていくのでしょう。これからも、そのお手伝いをネパリ・バザーロが少しでもできればいいなと思っています。



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