生産者をたずねて
Women's Skill Development Project Pokhara (WSDPP)−WSDPポカラ−堅実な成長を遂げて

土屋春代


今年の1月、ざっくりとした厚地の綿ジャケットを見つけた。手織り布、特に厚地は裁断や縫製が難しい。それをあまり手を加えず、却ってシンプルに仕上げた ジャケットは、素材の良さを活かしたおしゃれな製品に仕上がっていた。
何色かある中で好きなグレイを選び着てみると、そのデザインの合理性にますます感心した。サンプルとして一着購入し持ち帰った。スタッフや協力者達の評判も良く仕入れはすぐに決まった。

◆ WSDPPの歴史

生産団体のWSDPPはネパールのフェアトレードグループ(FTGN)の一つなので以前から興味を持っていた。この機会に訪ねてみようと今回9月ポカラに向かった。いつも車で行くポカラに初めて飛行機で行った。30分で着いてしまい、悪路を8時間もガタガタ揺られ腰や背中を痛くしながら着いていたのが嘘のようだ。なんと楽だろう。ネパールは電車が無く、山又山で道路網の発達も難しく、移動の手段としては飛行機が比較的発達している。臆病な私は古く小さい飛行機に乗るのは、最初とても抵抗があったのだが。

着いた日はもう閉まっていたため翌日訪問した。電話で連絡してあったので、代表のラムカリさんはニコニコと出迎えてくれた。
お茶を頂きながらまずプロジェクトの歴史を伺った。8年ぐらい前、ラムカリさん達数人の女性は手織りの技術指導を受けた。7mぐらいに整経して端を腰に巻き付け、最大40センチほどの布幅を輪に織り上げる"いざり織り"と言われる織りの訓練だった。しかしマスターしてもその後の途は無く、皆途方にくれた。訓練だけではどうにもならない。折角技術を身に付けても仕事が無ければ。欲しいのは仕事、現金収入。そこに、ポカラ地域開発センターから設立資金をサポートしてくれるという話があった。ラムカリさん達4人の女性は10,000ルピーの援助を受けてプロジェクトをスタートさせた。「最初は糸を買うのがやっと。染められず生成だけで織っていました。2年目にやっと黒だけ染められるようになったの。」とラムカリさんは懐かしそうに微笑んだ。布の見本帳を見せてもらうと、今では何十色という色でバラエティ豊かに織られている。わずか数年でここまでにしたこの女性はどういう人かと驚いた。
今日は食べてはいけない日なので...と何も口にせず、目の前でクッキーを食べ、お茶を飲んでいる私をニコニコと見守る彼女は穏やかでやさしい人という印象だ。

外へ出て工房や庭を見て歩きながら、続きを伺った。土地は地域開発センターから、建物はユニセフからの支援だが、ミシンや機(はた)等の道具は毎年の利益から積み立てて増やしてきた。現在では5台のミシンと2台のかせくり機(糸を巻き取りそろえる道具)、4台づつの機(はた)と整経台(せいけいだい・たていとを組む台)がある。堅実な歴史が伝わる。壁に品質管理上の注意やアイテム毎の説明が分かり易く紙に書いて貼ってある。2年目から4年間、2人の女性がイギリスのボランティアセンターから派遣された。デザイン、品質管理やマネージメント等、システム構築に大きな貢献をしたことが分かる。
現在働く32人の女性達の写真も貼ってある。最年少17歳のシータさんから最年長のウサさん66歳迄。特にウサさんのこぼれるような笑顔にひきつけられた。しかしこの日は祭りと休日が続いて3連休で誰も居なかった。
残念そうに工房を見て回る私にラムカリさんは、「何人かに連絡をとって明日来てもらいます」と言って下さった。折角の休日を申し訳ないと思いつつも「本当ですか。」とうれしそうな声を出してしまった。ラムカリさんはニッコリとうなずいた。

◆ 明解な運営・にぎやかな仕事場

次の朝10時頃行くと、女性が一人、機を織っていた。座布団の上に足を投げ出す坐り方で、輪にした経糸(たていとのこと)に通した棒を腰に紐で固定し緯糸(よこいとのこと)を通しては、平板でトントンと叩く。お腹から40センチぐらい織って手が遠くなると経糸をグルッと回してまたお腹の当たりから織っていく。6,5Mぐらい織り上げて経糸が20センチぐらいしか残らなくなると一反が終わる。残った経糸の真ん中を切って丁寧に畳んでいく。36センチ幅で一反織るのに3日掛かる。見ていて飽きない。
途中でガヤガヤと賑やかになり4人の女性達が反物を持って現れた。工房は狭く4人しか織れないので、他の女性は自宅で織り上げ納品し、次の布のために糸をもらって行くのだという。一番年長の女性が私の方を見て、肩がこるし、背中や腰が痛くて大変だと身振り手振りを交えて語る。他の3人の女性もうなづく。ラムカリさんは微笑みながら事務所からノートを持ってきて記帳して行く。一人ずつノートがあって、毎月の仕事を記録し、報酬を払う。報酬の決め方は明解で公平だ。聞けばどんな情報でも隠さずオープンにする。その姿勢から仕事への自信と誇りを感じる。検品しながら、一人一人に指示を与える。その間も笑顔を絶やさないがテキパキとしている。
工房に糸を取りに行く時、年長の女性がラムカリさんのサリーを引っ張り物陰に連れて行った。私もついていこうとしたが、内緒の話があるらしいと分かり引き返した。とんだおじゃまむし。何か耳打ちしている言葉に、首を傾げて聞いていたラムカリさんが、やがて大きくうなずいた。お給料の前借りかな・・・と想像した。

工房にある染め上がった糸の山から、良く色を見て選ぶようにと、実際糸かせと糸かせを比べて細かく注意をしている。糸が決まると、かせくり機で揃えて、整経を始めた。いろいろな工程を思いがけず見ることができて興奮してくる。ラムカリさんも、「私もやるわ。見ていてね。」と、整経に加わった。木の台に棒を何本か差して糸をくぐらせて行くと、7m弱の輪になった経糸が出来上がるのだ。250本の経糸で36センチ幅の布が織れる。こうして整経までして家に持ち帰る。ただし、端から端まで4mぐらい広げられるスペースのある家は少ないので、皆、外で織るそうだ。だから、雨が降ると仕事ができない。でも、家事の合間にお茶を飲みながら、おしゃべりをしながら出来て、多い人で月に2000ルピー以上稼ぐ。農家の副業として、お母さん達の仕事としてこれはとても魅力的だ。
もうすぐ来るダサインの祭りについて、皆で話をしていた(ネパール最大の祭りで、日本の正月と盆を合わせたような)。遠く都会に働きに出ていた身内も戻ってきてにぎやかに過ごす。きっとその時に、ごちそうを作ったり、こづかいをあげたりするのに、この収入は役立つのだろう。

◆ラムカリさんを支えるもの

話の中に病人の話もでて、具合はどうかと他の人が心配する。そんな輪の中心にいて、ラムカリさんの対応は実に細やかだ。7年間で4人から32人まで増えた女性たちの取りまとめをしてここまでプロジェクトを大きくしてきたこの人の力の所以が少し理解できた。
夫と3人の息子がいる。長男は休日で自宅兼事務所に居て、お茶のしたく等、母親の手伝いをしていた。夫もよく手伝ってくれると言う。「だって、何もかも見なくてはならなくて大変だから、家族に手伝ってもらわなかったら、やっていけないわ」強くてやさしくて頼りになるラムカリさんはこれからも家族に支えられ、着実にこのプロジェクトを育てて行くだろう。

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