生産者を訪ねて -MAHAGUTHI-常に底辺の女性と共に歩んで

土屋 春代


ネパールの主なフェアトレード団体がネットワーク(FTGN)を組み、向上を目指して活動していることは前回の通信でも触れたが、その7団体の1つ、マハグティともネパリ設立以来の長い付き合いになる。カトマンドゥに1店、パタンには2店の直営店と事務所&ワークショップがある。

◆ マハグティの歴史

その古い歴史は、マハトマ・ガンディーに辿り着く。若き日、ガンディーと共に過ごしたネパール人、トゥルシ・メハール氏はその影響から75年前貧しい女性の経済状態を引き上げようと、マハグティを設立した。ネパールで最も古いNGOである。
更に、トゥルシ・メハール氏とガンディーの門弟達は1972年にトゥルシ・メハール・アシュラムをカトマンドゥに開いた。
目的は、寡婦や夫に捨てられ生活手段を無くした女性や、最底辺の女性達とその子ども達に避難所として、食べ物、衣類、教育等、健康で安全に過ごせる環境を与えること。
そして技術を身につけ仕事を持つことが、他者の支配から逃れ自立する途と、ガンディーが奨励した糸紡ぎと機織りの訓練を2年間で受け、子どもはSLC(大学入学資格試験、10年間基礎教育を受けた後受験できる)を終えるまでいられる。現在約20人の女性と100人の子どもがいる。1984年、その販路開拓とアシュラムの資金づくりを目的として、マーケティングのNGOマハグティをOXFAM(イギリスのNGO)の援助で設立した。

◆ マハグティの現状

昨年の決算・活動報告書を見るとここ2、3年の落ち込みはひどい。一昨年より売り上げで500万円、20%も落ちている。
最大の販売先だったOXFAM等の欧米のNGOが民間会社との価格競争でシェアを下げ、オーダーがこなくなったため売り上げが大きくダウンした。
マハグティ自身のワークショップで作った物を売るだけでなく、販売を代行していた小さな生産者グループも100から74に減らした。設立以来13年間マネージャーを務めるスレンドラ・サヒさんは"頑張って元に戻すよ"と言ったが。
欧米のNGOやFTO(フェアトレード組織)の購買力が低下している中、日本のマーケットに期待がかかっている。
彼らにしてみれば経済大国日本、遅れてきた国(フェアトレードを始めたのが遅い)として、これから力を発揮すると思われている。
欧米のNGOはこれまで、その方針・目的・効果を支持されマーケットを拡大してきた。現地の技術を高め、製品開発を助け、販路まで、長い年月を掛け、政府とも連携し力を注いできた。
マハグティだけでなく、いろいろなNGOで、日本でいえば青年海外協力隊に当たるボランティアが技術指導、製品開発、組織運営指導などに活躍しているのをみてきた。
そうして質が上がり、市場に出せるようになった時、一般のビジネスとの厳しい競争に巻き込まれ苦戦している。
日本はスタートから一般企業との厳しい競争を余儀なくされ、着実に伸びてはいるがマーケットの拡大は遅い。
熱い期待をいつも感じながら、ギャップを意識する。

◆ スミットラさんのこと

マハグティの敷地内には、事務所の他に幾つかの建物がある。皆古い建物だ。糸や紙を染める所、布を織る所、裁断したり縫製する所、倉庫。保育所もあったが、作業所を広げ
るため閉鎖した。"なるべく早く再開します。"とサヒさんは請け合った。
アシュラムや他の訓練所で技術を習得した女性達30人が仕事をしている。
今回は木綿の手織り、独特の風合いのネパールじまでスタンドカラーのシャツを注文している。サンプル帳で布を決めると、糸を染め、布を織るところからはじまる。ひとはた250b前後の布が20日ぐらいで織りあがる。
更に木版で模様を手染めする。裁断する人、縫製する人。工房が活気付く。手の掛かった布が多くの人を経て1枚のシャツに仕上がる。
デザイナーのスッミトラさんと持参した新しいパターンの服について打ち合わせをする。 パターンが良いと誉めてくれた。
毎回3、4パターンぐらい作って行く。
デザインし、プロのパターンナーに依頼する。
実際にサンプルを仕立ててもらいスタッフで検討し何回か手直しをして出来上がる。
相応しい布が見つからなかったり、コストが合わなかったりと、全て製品化できるわけではないが生産者の技術、仕上げに対する感覚は確実にアップする。
控えめで、誠実なスミットラさん。仕事のことでは、はっきりとものをいい、決して安請け合いをしない。24才と聞いて少し驚いた。
仕事ぶりからして、もっとベテランかと思っていたのだ。
彼女は3年8ヶ月前にマハグティに来た。アイルランドからボランティアとして来て、3年間働いたデザイナーが帰国することになり、後任を探していることを知り応募した。土木工学を専門に学んだ彼女が何故服のデザイナーになれたのか?
父親がインドでトレーニングを受けた後、ネパールで仕立て屋をしていたので、幼いころから裁断や縫製の仕事になれていた。専門ではなかったが、良い仕事に就くチャンスは少ないので嬉しかったと言う。
入った時受けた8ヶ月のトレーニングでもうしばらくはもつけれど、何か新しいトレーニングを受けなければ仕事の限界が・・・とたちはだかる壁を意識している。
昨年から、横浜市海外交流協会の技術研修生受入制度でネパールから研修生を呼べるようになった。今年はサナ・ハスタカラの女性マネージャー、ロヒニ・シュレスタさんが候補になっているが、スミットラさんの研修もいつか実現するかもしれない。

今回は乾季には珍しく雨のよく降る12月で、寒さが厳しかった。
広い部屋に小さな石油ストーブがひとつあるが、余程でないと使わない。風邪をひいていても我慢しているスミットラさんが、寒そうにしている私を見て、火をつけようとしてくれた。
つい遠慮して断った。すぐに後悔したが、やはり付けて下さいとは言い出せなかった。
石造りの古い建物は足元から厳しい寒さが這い上がる。隙間風も容赦ない。

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