4度目の村訪問記 パート1 ー必死で着いた村は星いっぱいー

久田 智子


 1年振り4度目の村訪問。前回は、アルボット村に診療所を作るという村人たちの熱意に工一ルを送り、トロパシェル村ではあまりの発展ぶりに気後れを感じた訪問だったが今回は、私ひとりの為の訪問計画となった。
 同行者は友人でガイド役のP.Kさんとポータ一役の親戚のカンツァさん。カトマンズを車で出発し、約2時間でドゥラルガットに到着。途中土砂崩れで道路が半分の所があったものの、いつになく美しく雪化粧したヒマラヤの山々を眺めることができた。 
 このあたりから、いつも通りでない私のサバイバルな旅が始まっていたのでした。
 ここからはラフティングで3時間の川下り。今回はボートをチャーターせず、地元の人が利用するボートに便乗することになった。ところが12時頃に出るはずの便がなく、「歩く?」とのP.Kさんの言棄に私は本気で7時間あまりの道のりを歩くつもりになっていた。しかし結局「大丈夫。すぐ次のが出る」という、いつになるかわからない便を待つことになった。              
◆今回もビショ濡れ◆ 
 そして2時間半後、ようやくボートの準備が整い、米や小麦、岩塩などの荷物がボ一トの大半を占める中、その荷物の上に張り付くように乗り込んだ。しかもいつもは用意されるはずのライフジャケットもない。ちょっぴり不安を隠せぬまま、何とか自分の場所を確保し出発。スンコシ川のゆるやかな流れの中、ポカポカ陽気で極楽気分・・・というのも束の間。途中から全身びしょぬれになる程の激流の連続で、地元の男性でさえ悲鳴をあげる程のスリルを楽しみ(?)ながらようやく村への登り口の船付き場に到着。すっかり冷えた体を熱い紅茶で温めたのち、アルボット村めざして登り始めたのはすでに6時近く。
この行程は3回目という気のゆるみか、うっかりライトを別のリュックに入れたまま、カンツァさんが先に持って行ってしまったのが悲劇(?)の始まり。

◆必死の思いで村に着く◆
 30分も歩くと日本人の私にはそろそろ周囲がうっすらとしか見えなくなり、おまけに一人がやっと通れるくらいの細い道。半分も行かないうちにとうとうやってしまった。一歩踏み出した先に道はなく、右足から体半分ガケ下へ滑り落ちてしまったのだ。少し先を歩いていたP.Kさんも真っ青(・・・だったと思う)。 引きずり上げられ危うく難を脱したものの、その頃にはとっぷりと日も暮れて私には一歩先すら見えなくなっていた。
 ネパール人の彼は「月が出てるから明るい」とは言うものの、何とその日はペーパームーン。見かねたP.Kさんに手をひかれ、誘導されても何回となく足を踏み外し「生きて村にたどり着けないかも・・・」と本気で思った。冷汗と涙でグショグショになりながら、彼の腕を頼りに必死の思いで村のホームスティ先に着いたのは空に星がまたたく頃。
 「よかった!」と思わず二人で大喜びしたことは言うまでもないが、今考えれば日本人女性と手をつなぎ、おまけに泣かせている(?)という状況の中、山奥の小さな村でのP.Kさんの立場は・・・? すっかり迷惑をかけたことを深く反省しつつ、足の爪2枚が犠牲になっただけで命あることに感謝した第一日目でした。(続)

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