生産者を訪ねて 共同組合組織のコーヒー村 グルミ  小規模農家の村人たち

土屋完二


◆ 新しい出会いを求めて
マーケットが見つけられず困っている農民の方々との出会いから始まったコーヒーの輸入であったが、そのころから数年が経った。まだまだ私達の力も弱く、前途多難である。それでも、そのやる気を支えてくれるものは、農民の方々やそのご家族、そして、それを支えて頑張っている方々との出会いである。今回は、ネパールでは比較的新しい形である組合組織を通じて、小規模な村のコーヒーの状況を知るために、グルミの村を訪ねた。

共同組織の繋がり
National Cooperative Federation
Center Cooperative Federation
Districts Cooperative Federation
Primary Cooperative Federation
(Gulmi, Pulpa, Japa)

◆ 夜行バスの旅
目的地は、かなり山の奥にある。首都カトマンズからは、西の方向で、距離は観光で有名なポカラよりやや遠いブットワールまでまず行かなければならない。車をチャータするには、私の貧乏な旅では支払いに堪えなく、地元の方々が利用する夜行バスに乗ることにした。バスの切符はネパール語、数字もネパール文字。席は予約制なのだが、自分がどこに坐って良いかさっぱりわからない。窓は閉まらないし、座席の間隔も狭く窮屈で寒い。バスの中は、英語は聞こえない。何をしゃべっているのか、断片的にしか理解できない。途中のバス停から若い男性が乗ってきたかと思ったら、車掌とどなり始めた。後部座席からヤジが飛ぶ。どうもお金がないようで、払わなければ降りろと言っているらしい。そこを何とか乗せて欲しいと交渉しているようだ。
このようにして、夕方、カトマンズのニューロードを出発したバスは、翌朝5時に目的地点に到着。外はまだ真っ暗であった。まずは、知り合いの家で休養をとらせてもらい、地元の案内の青年が来るのを待つことになった。

◆ バスを諦めてランドクルーザーで
朝、日が昇るとすこぶる暑い。そうだ、ここはネパールでも南の端である。人々の顔つきも、ラマ族やチベット系の人々、またはネワールの人々のように、どちらかといえば日本人に近い顔立ちが目立ったカトマンズとは違い、インドを思わすアーリヤ系の顔立ちが多い。服装からもインドの影響を感じる。短期滞在の私にとっては、あまりのんびりしているわけにはいかない。村の案内の青年が来たところで、これからの計画を打ち合わせる。
今回は、極力ローカルの交通機関を使いながら、ともかく歩くのを基本に計画したが、その計画はすぐさま変更を余儀なくされた。主要道路でバスを待つのだが、なかなか止ってくれない。これでは、時間がともかく無駄である。なんとかバスを捕まえて、近くの大きな町、ブットワールまで出て、そこでランドクルーザを探すことにした。道がハードで、普通の車では走れないからだ。時間は、既に昼近くなってしまった。とほほ。夕方出発できればラッキーなほうかもしれないという状況になって来た。実際には、大変幸運にも1時間後に車をチャーターでき、出発することができたのだが。ポカラ方面に2時間ぐらい走り、タンセンの町で山側に入る。ここから数時間、更にガタガタ道を走り続ける。
日も暗くなって来たころグルミの村へ到着。あまりの揺れに、胃の調子が悪い。腹の調子も夜行バスのせいか調子が悪くなってしまった。

◆バザールのホテルで、お互いの夢を語り合う
村では、数人の若者が待っていてくれた。村の共同組織に所属している人達である。日も暮れて真っ暗になった夜道を、彼らの家を訪ね、挨拶を済ました。何故か子どもがまだ5ケ月から8ケ月の新婚の方が多かった。
家に着くと、赤ちゃんをチュウチュウとなめる。可愛くて仕方がないのだ。
食べ物は大変に質素である。それでも、泊まれと誘われたが、トイレに弱い私は遠慮してしまった。明日は朝早く出発しなければならないので、一路、近くのバザールへ行き、ホテルに泊まる。二人が泊まれる部屋があり、二人で食事もして800円。おー安い! 山の高いところなので、2月末にしては、大変寒い。具合が悪くて寝ていると、皆が心配して、食事とアルコール(ロキシ)を持って訪ねて来てくれた。この夜道を車で10分は走った遠いところからも来てくれたのには驚いた。
同じ部屋に泊まった案内の青年は、更に山の中へ行かねばならないところから来ている。彼は、村で暮らしたいという。だから、生活が成り立つのが彼の願いだそうだ。なかなか英語では通じない。村の方は、あまり英語ができない。
そこで、ネパール語をミックスする。いや、ネパール語に英語をミックスするという感じ。昨年の9月からネパリ・バザーロのスタッフから習い始めたネパール語が大変に役立つ。ロキシを飲みながら、お互いの夢を語りあう。

◆ダウラギリとアンナプルナの山脈を背景に
翌朝、村の案内役として農協のサブオフィースからビムさんが来てくれた。彼は、村の高校を卒業。そこで習った英語と、その後に独学で勉強した英語で私に話しかけてくる。読み書きや、長いフレーズで話すことはできないが、簡単な言い回しだと十分にお話ができる。大変な勉強家だ。
お茶を飲んで、車に乗りひとつ先のバザールまで行く。そこは、学校がすぐ前にある小さな街であったが、8,000m級の山々、雪化粧のダウラギリ、アンナプルナが良く見えて壮観である。昨晩、ホテルを訪ねてくれた青年がここに住んでいた。学校の先生をしているという連れ合いと、5ケ月になるあかちゃんとの3人暮し。バザールの角の小さな土間の一部屋に、質素なベッドがあり、簡単な料理をする器具が少し。それでも、私にベッドへ座るように薦めてくれ、村で飲むという自分達で作った村のコーヒーを出してくれた。
ここで休息した後、少し先まで行き、あとは歩いて山を下る。そこが、目的のコーヒープレースである。

◆コーヒーとフェアトレード
以後、さまざまな出会いや、プランテーションでの新発見などがあった。その中でも、力を入れようとしているものは、換金作物である。コーヒーは、その中でも有力な作物。でも、なかなか安定したマーケットを見つけられない。特に、今年は、お隣りのインドのコーヒー生産量が豊富なので、なおさらである。このような状況下で、一部の大流通会社が市場の大半を握るコーヒー市場において、特に小規模生産者に対する私たちの取り組みは、力関係が対等故に歓迎されている。この持続可能な取引きから、中長期的な村の開発を可能にし、生活向上につながって欲しいと願わずにはいられなかった。そして、ヒマラヤンワールドの香りを通じて、皆様に少しでもこの出会いをお伝えできたらと願いつつ。

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