スタンプ職人 ---元気なシディマンさん---

 廣田麻紀子


 タイムスリップをしたような古い町並みが残されるカトマンズの中心、ニューロードの外れダルバール広場の裏手。その町並みの中にシディマンさんのお家はあります。細く高く建てられたレンガの家。今回私たちが訪れた時は着く時間もはっきりしない中、ずっと家の前で私たちを待っていてくれました。人通りの向こうにシディマンさんが見えました。あのはにかんだような笑顔で一言「ナマステ」、懐かしい笑顔です。

◆蛍光灯がついて明るくなった!
 シディマンさんの家は1階部分がトイレ、2階に仕事部屋、3階に子どもと夫婦の部屋があります。頭も肩もぶつかってしまうようなはしごのような階段を上がって、シディマンさんの仕事場へおじゃまします。ネパリ・バザーロを始めてからの長いお付き合い。始めの頃は仕事部屋にも電気が無く、日が暮れたり、天気の悪い日はあまり長い時間スタンプを彫ることはできませんでした。前回訪ねたときも電気はくらい蛍光灯が一つ。それがどうです、今回の訪問では明るい蛍光灯が手元に一つ、背中側に一つ。そのおかげで私たちは夜遅くまでシディマンさんのご家族とお話をすることができました。

◆スタンプを彫ることが好き、でも仕事がない
 25年前にネパール政府の機関(ネパール・ハンディクラフト・アソシエイション)が提供した仕事作りのプロジェクトで、シディマンさんは1年間木彫りの技術トレーニングを受けました。紙漉きや染めなど他の技術指導も選べたこのコースで、あえて非常に習得が難しく、体力的にもきつい木彫りの技術を選んだシディマンさん。その理由を聞いてもにっこり笑って「理由はないよ。やっぱり彫ることに一番興味をもったから」と答えるだけ。
 技術を習得してからもゴム印に押されて、なかなか仕事がまわって来なくて、工事現場の仕事で日銭を稼ぐ日が続きました。そんな時、シディマンさんの友人がシディマンさんと私たちネパリ・バザーロをひき合わせてくれたのです。長いこと木彫りの職人さんを探していた私達とは運命(?)の出会い。正確な技術、熱心な仕事ぶり、やさしい人柄。長いお付き合いになりましたが手を抜いたり、納期が遅れたりしたことは一度もありません。いつでも信頼おける仕事をしてくれます。
 今では木彫りの仕事だけで、家族を養えるようになり、2人の子どもは学校に通って教育を受けています。シディマンさん自身の回りにも変化がありました。日本や他からのオーダーを受けるのに、前は歩いて出てきていましたが、なんと最近は自転車に乗って颯爽と現れるようになり、先日は念願の電話も家にひくことができました。

◆将来の夢
 夢は?と聞いたら「子どもたちが良い子ですくすくと育って欲しい。小学校が終わってももっともっと学ばせてあげたい」とはにかんで一言。「あとは、う〜ん、いつか自分の家が欲しいな」と大きい夢も膨らむシディマンさんでした。

◆道具はどうして作るの?なんと傘の骨!
 彼の使う道具も見せてもらいましょう。細かい図柄、細い線や太く力強い線、などなど様々な図案にあわせて、数十本の色々なノミや刀があります。由緒ある道具なのかな〜…と思ってよーく見ると、どこかで見たことがあります。私たちの生活でも良くお世話になっているもの。始めはなんだかわかりませんでしたが…なんとそれは傘の骨を自分で加工して作り上げた道具でした。傘の骨で作った刀と家具の木工所でもらった木切れをとんかち代わりにして、器用に器用に彫っていくのです。目の前で広げられる職人技はまるで魔術のようです。
 スタンプを彫る材料の木は近くの家具の木工所から木切れを買ってきます。シディマンさんの言語であるネワール語でハルと呼ばれるその木は硬く、彫るのは体力仕事です。やさしい顔からはちょっと想像つかないくらいのごっつい手をしているのは、長年の職人生活で作られたのでしょう。
 特殊な紙に図案を写し、木の上に貼り、水を含んだ布で押さえると紙の部分がとけて、木には図案のインクだけが残ります。大まかなアウトラインから細部へと彫り進みます。見ているだけで息がつまり、肩が凝りそうな作業。実際今一番困っていることは?の質問には「肩が凝るのが困るな」の答え。

◆製作したスタンプはどこへ行くの?
 シディマンさんが受けるオーダーは半分がネパール国内のローカルマーケット向け。残り半分が外国向け。ただし安定して継続的にオーダーが入るのはネパリ・バザーロのオーダーだけだといいます。簡単な図柄で一日10個〜15個、難しいものになると一日5個が限度です。一度にたくさんのオーダーが来ても製作数を急に増やすことのできない地道な仕事。ネパリの継続的なオーダーは彼にとって非常に重要な仕事なのです。

◆後継者作りは、それでも難しい
 オーダーが順調に入るようになった頃、シディマンさんは若い職人さんを育てようと、一人の青年に仕事を教えようとしました。しかし習得が難しくきつい作業に音を上げ、すぐに辞めてしまったそうです。長い歴史の中で伝えられてきた木彫りの技術を、芸術の世界ではなく生活の中の技術としてどうつなげていくのか。どこの国にもある問題がここにもありました。

◆私達のお付き合いの姿勢
 ネパリ・バザーロが扱う様々な手作りの品のすべてに生産者たちの生活の物語が込められています。彼らの栽培、製作したものを継続的に輸入し、販売することで、彼らの自立した生活を応援するフェアトレード。私たちネパリ・バザーロは生産者の人々の生活がフェアトレードによってどう変わっていったのか、どういう影響を及ぼしているのか、いつもこの目で確かめ、話し合いながら一番良い道を模索し進んでいきたいと思っています。お付き合いしている団体のサイズにこだわるのも、生産者一人一人の生活を見つめていきたいから。
 個人の職人であるシディマンさんはなんのフィルターもかからない、本当の意味での顔の見えるお付き合いをしている人の一人なのです。

◆ブレーカーが飛び、真っ暗闇!
 奥さんとの馴れ初めや、子どものこと、仕事のことと話はつきません。奥さんのお手製のロキシ(ネパールの強いお酒)で良い気分にもなってきました。話ながらもシディマンさんはお茶を入れ替えてくれたり、お酒を足してくれたり色々と気を使ってくれました。10月とはいえ、今夜は風も無くちょっと蒸したような暑さ。買ったばかりの小さな扇風機を私たちが暑いだろうと、つけてくれたとき…そう、皆様のご期待通り?、その分まで電源は供給できず、ブレーカーが飛び、真っ暗闇。私たちもそれを潮においとましました。

ダサイン(ネパール最大のお祭り)が近くなってきて街にはまだまだ、人通りがあり活気にあふれています。ほろ酔い気分の私たちは、あっちの人にぶつかり、こっちの人にぶつかりながら宿へ帰ったのでした。


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