ネパールを訪ねて
-地球市民交流基金アーシアン-古濱久美子

 昨年に続き、実際に現地を見て、生産者の様子、その熱心な取組みを消費者にお伝えしたいとのお話がアーシアンさんからあり、この企画が実現しました。今回はアーシアンさんの強いご希望で、生産者だけでなく、私たちが長年支援を続けているホームの子ども達にも会って頂きました。

 現地滞在中は、生産者の方々にはお忙しい中大変お世話になりました。ホームステイをさせて頂いたり、市内の観光案内までして頂きました。しかし楽しいことばかりではなく、ホテルストや、学校閉鎖など、思いもよらぬハプニングがあり、現地の状況の厳しさも実感されたようです。

 出口の見えない貧困に苛立ち、暴力で現状を変えようとする勢力の拡大でどんどん状況が悪化してくる中、現地の皆さんの温かい気遣いに支えられ、無事この旅を終えることができましたことを心より感謝いたします。そのお気持ちにはフェアトレードの実践で今後お返ししなければと気を引き締めつつ。

 以下、ツアーに初めて参加された古濱さんから、その訪問した感想を頂きました。  (編集部)


◆初めてのネパール、飛行場を降り立っての驚き?

 12月7日の早朝、私たち6人は、タイから初冬のネパールへと向かって飛びたった。
 今回のネパールツアーの目的はフェアトレードの製品がどのように生産されているのかをより深く知るためにその生産現場を訪問することと、ネパールの児童施設を訪問してその状況を自分達の目で見て支援の方向を探ることであった。
 無事カトマンズの空港に着いたのは、12月7日の午後。空港の建物を出ると、ツアーのコーディネートをお願いしたネパリ・バザーロの土屋さんとネパリの現地事務所のラビンさんが待っていた。大勢の人々の喧騒に唖然として目を奪われているとたちまち荷物を持たせてくれと子どもたちに取り囲まれ、あるいはバックに、スーツケースに手をかけられ、子ども達のにこやかさに負けそうになる。聞いてはいたが初めての経験にどう対処すべきかとまどってしまう。流暢な日本語で車の窓まで開けお土産品を売ろうとするしたたかな少年。不思議と女の子は見かけなかったが。生きるとはこういう事なのかと考えさせられた一時だったが、私の想像に反して悲壮感が漂っていないのは、国民性なのだろうか。
 自動車、リキシャ、自転車、人で混雑する排気ガスの蔓延する道路を走り、ホテル・マーシャンディに到着。初めてネパールに来た印象のためか、だれでも感じるものなのか、飛行場からホテルまでに垣間見た風景は、何か質素で、建物や道路が雑居している迷路のような印象を受けた。

◆いよいよ最初の訪問先、チルドレンズホームへ

 ビシュヌさんご夫妻が運営し、ネパリ・バザーロが支援しているホームに到着。可愛い、人懐っこい3歳ぐらいの女の子(実際は5歳でこのホームに来てから立つ事ができるようになり、歌ったり、少し話す事ができるようになった)と御夫妻が迎えてくれる。熱い甘―いチャイを御馳走になりホッとする。
 51人の大所帯を御夫妻が切り盛りしているのであるが、ここかしこに御夫妻の愛の深さが感じられる。清潔な衣服を着た、礼儀正しい子どもたちがはにかみながらナマステと挨拶してくれる。ビシュヌさんからお話を伺っているうちに子ども達は自習時間となった。明るいとは決して言えない自習室で静かに学習している。学年の上の子の間に挟まって低学年の子が教わる姿に、日本ではすでにすたれてしまった古きよき習慣が生きていることに、ほのぼのした暖かい気持ちになった。大人数ではあるが、喧嘩や争いはほとんど無いとのこと。これは敬虔なクリスチャンであるビシュヌさんご夫妻のなせる技なのかもしれない。わがままいっぱいの我が子や物に囲まれ贅沢に慣れ、それでも留まる所を知らないと思われる一部の日本の子どもたちのこととつい比べてしまう。心の豊かさは決して物に囲まれる事だけではないと改めて感じた。
 ここは、18歳になり、10年生を修了するとホームを出ることを求められる。非常に厳しい就職難の社会の中で、後ろ楯の無い子ども達が無事仕事を見つけていっている。そのことを眼を細めてにこやかに話すビシュヌさん御夫妻を見ていて、ほほ笑ましく思った。そのすばらしい子どもたちへの愛情と日々の世話のご苦労が報われるのは、子ども達が自立する時なのだろう。これから続々と18才になる子どもたちが続く。彼らも先輩に続いて自立できる事を願わずにはいられなかった。

◆サヌバイさんのフォーク

 太陽、魚などが柄についたシルバーメタルのフォーク、バターナイフ、スプーンのサヌバイさん。4畳ぐらいの工房を見せて頂いた。
 息子さんとご自身と他の2人の職人さんで金属のアクセサリー、勲章などを普段は製作している。さほど注文が無いので、ネパリからの注文が主になるそうだ。
 仕事中というのに、私たちのためにわざわざフォークの作り方を実演してくれた(大感謝!)。製作手順は意外とシンプルではあるが、研磨だけでも6種類の磨き器材を替えて、丁寧に製造されていく過程が良くわかり、サヌバイさんの仕事ぶりが理解できた。
<詳細は、通信23号「生産者を訪ねて」参照>

◆ネパールで最も古いNGO、マハグティ

以前、マハグティの年次報告を翻訳した事があり、実際どういう所であるのか興味を持っての訪問だった。
ゆったりした敷地の中に、古い年代物の建物があり、その中に事務所がある。他にダッカ織り、糸紡ぎ、ブロックプリント、ミシンでの縫製をする所等があった。
 フェアトレード商品を作っている所は、種々の労働条件が整っており、ネパールのモデルケースになるような所であるだろうと勝手に思い込んでいた。しかし、外の軒下でのダッカ織りの作業所。寒い時もあるだろう。広いが、ときには埃が舞う中で土間に座っての織物や糸紡ぎもしていた。

(注)建物が古く、電気も白熱電球で暗く、昼間は、このように外の明るいところで仕事をしています。ネパールでの一般的な情景です。(編集部)

 感心したのは、託児所もあり、年間の有給の休日は日本よりもはるかに多く、女性が安心して働ける所であり、この点では、ネパールでも画期的な事業を行っている所と感じた。
 伝統的な行事やお祭り時は休みになり、生産も落ちるので、注文する側がその時期には注文を控えるとの土屋さんのお話があった。 労働条件は守られているが、注文する側の苦労は大変と感じた。フェアトレードでなければこのようにはできないだろう。

◆サラダさんのコットンクラフト

 サラダさんの魔法のバッグで知られている作業所を見学。黙々と機種の違うミシンでの縫製や夏物のアローの布を使った帽子の裁断。錆びた切れあじの悪いはさみが気にも掛かった。刃を研いでくれる職人はいないのだろうか。効率に影響が出ないだろうか。日本と違い、そのような環境で作業しながらも、期待する品質に応えようとするその姿勢に感動した。
 次の夏物のアローの帽子はどんなデザインで出してくれるのだろうかと、野次馬根性も刺激される。そして、彼女たちの努力を考えると、それも売れるといいなと願わずにはいられなかった。色、サイズ、型など、消費者のニーズを先取りしていく大変さに、ただただ圧倒された訪問になった。

<女性の雇用機会のほとんどないネパールで、最も期待されているのは女性起業家。数人で始めたサラダさんのご苦労と、現状、将来の夢については、近々、「生産者を訪ねて」シリーズでご紹介します。(編集部)>

◆勢いのある女性、サパナさん

 ネパールで、こんなにも元気があり勢いに乗っている女性に会えたのは幸運だった。勿論、土屋さんの引き合わせがあったからである。
 子ども達に良い本を沢山読ませたいという熱意で、日本の援助による図書館の建設の取りまとめ役も果たしている。1人の力でここまでがんばっている事に感服した。
 私達アーシアンは、手の届く範囲で、双方の関係を大事にし、関係の見える支援を望んでいる。特にアジアの女性の自立と子どもの権利が尊重されるように手助けしたいと考えている。
 今回、サパナさんに会う事ができ、貴重なご意見を聞く事ができ、収穫であった。
 日本で椅子に座って誰か現地の人を仲介した支援を望んではいないが、調査のためだけにも何箇月も現地に派遣できる経済力も無い私たち(アーシアン)にとって、「何ができるのだろうか」を考える旅にもなった。今後も良い出会いを求めながら、その課題に向けて精一杯取り組んでいきたい。

◆カトマンズに別れを告げて

 日本では決して経験することができない貴重な経験を沢山した。
 成田についた時には、疲れと安堵の気持ちで一杯だったが日が経つにつれ何か引き付けるものがある国であると思い始めたから不思議である。機会があればまた行きたい。ダンニャバード。

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