「ネパールへ語学留学」タライへの旅、その実感とそこから得たもの

木田貴順


 1995年2月頃の話になるが、ぼくがカトマンドゥに語学習得のために滞在していたときのこと。旅行会社に勤めている友人のジャナルダン・ゴータム(通称ジョン)と彼の子ども時代を過ごしたタライ地方の村を訪ねることになった。
(注)タライとはインドとの国境附近の平野部の総称

 出発の朝、まだ夜も明けないうちに僕ら2人はリングロードの北の端にあるバスパークでチケットを買った。日本のバス乗り場のように親切に行き先表示がされているわけでもなく、みんなどうやって目的のバスを見つけるのだろうと不思議に思いながら、ジョンとニーローバス(青バス)という国営のバスに乗り込んだ。このバスは日本の援助で導入されたバスで、とてもパワーがあって乗り心地も良く、ネパールの人たちもニーローバスはお気に入りのようだった。

 山を越え、谷を渡り、バスはタライを東へとひた走り、ジャナカプルまでたどり着いた。そこから更に数時間バスに揺られ、目的地のハリオンに着いた。大きな国道沿いの町だ。タライ地方は近年になって伐り開かれ、たくさんの開拓者が移り住んできたと聞いた。数十年前にはこの地方は森林が鬱蒼と茂るジャングルで野生の象もいたのだという。
 ジョンの従兄妹の家を訪ねた。みんな都会から帰省したなつかしい従兄妹に会って、本当にうれしそうにしていた。近くにはジョンのおばさんも住んでいて、会いに来たことをとてもよろこんでいた。皆、本当に気持ちの良い人たちで、僕が外国人であることをまったく気にせず友人として接してくれた。よく聞く話に、仲良くしてくれると思ったらお金目当てだったとか、結婚して日本へ働きに行くのが目的だったとかいうのがあるけれど、そんな気持ちを微塵ももっていない、気持ちのまっさらな人たちだと心から感じられた。夕方、ジョンの従兄妹たち家族とダルバートをいただく。とても質素ではあったが、温かみのある食事だった。食事の後はみんなで尽きることのないおしゃべりの時間。多分、僕が初めて会った日本人なのだろう。日本について熱心に聞いてくる。日本は夢のようなリッチな国で誰も彼も何不自由ない幸福な生活を送っていると思っているらしい。僕は日本の現状を思い出しながら、彼らに、確かにネパールの人たちはモノは持っていないけれど心がとてもリッチだということ、逆に日本人はモノはたくさん持っているけれど心に病をかかえている人が少なくないと思うと話した。実際、この村の人たちの生活はシンプルで質素で日本のような便利な生活ができるはずもないが、心はとても純粋でとりわけ子どもたちの澄んだ瞳が印象的で笑顔は屈託がない。
 ネパール人全般にいえることでもあるが、とりわけここの人たちは話好きだ。日本のことをいろいろ話すと、そんなわけはないと笑い転げたり、ぼくがネパールのことを質問すると、冗談めかして皆で笑ったりして僕はいままで味わったことのない楽しい時間を過ごした。ジョンの従兄妹たちはいろんなことに興味があるので質問ぜめで話がつきない。ついつい夜がふけていくのも忘れて話に夢中になっている。皆の顔を焚き火がやさしく照らしている。皆ほんとうにいい顔をしている。焚き火はとうもろこしの茎を乾かしたものを燃やす。ここでは灯油は貴重品なのでランプは極力使わないようだ。夜も更けて、子どもたちは階上にあがっていった。今度はろうそくの明かりで勉強をしている。しかも1本のろうそくで4人くらいがまあるく囲んでろうそくの明かりを有効に使っている。こんな姿をみると日本で不平不満を言っている自分たちのことが情けなく思えてきた。
 この旅で、理屈では説明できないたくさんの宝物を見つけた。その宝物はいつでも僕の思い出の中から取り出すことができて、ときどき掌に取るとあたたかな光を放って自分を照らしてくれる。
きっとこれからも。

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