女性のおかれた状況とハンディクラフトの大切さ

編集部


 科学技術は日々進歩し、日米共同研究など新しい話題が新聞雑誌の誌面を賑わしています。機械自動化が進み、品質が一様に向上する一方で、私たちはハンディクラフト生産者と向き合いながら活動を進めています。
 生産技術も違う、生産効率も違うこのようなハンディクラフトの取組みは、時代遅れにみえます。手工芸品に取組む価値は何か、なぜにそこまで情熱を注ぎ込む人々がいるのか。そこには、単なる物だけでなく、私たち大人が失いがちな大切なもの、子どもたちが私たちに求めている本質的なものがありそうです。

◆マヌシのパドさんがフェアトレードを始めた動機
 3月の展示会兼公開セミナーで、女性の自立を目指す工房マヌシの代表パドマサナさんをお招きして、彼女の活動を紹介して頂きました。
 マヌシは、ネパールのフェアトレード・グループFTGNの中で一番小さい団体です。団体は小さくて、設備も十分ではありません。それでも、女性の地位向上に、そして伝統的草木染め復活にと活動してきました。
「何故そこまでがんばれるの?」
「そのエネルギーはどこから来るの?」
「大切に感じるのは何?」
 色々なお話を聞くなかで知ったのは、彼女が中学、高校と育っていく中で、ご近所に住んでいた政治家、「ガネッシュマン」とその妻に可愛がられて、従来の習慣、伝統にとらわれないで、何が大切かをみる視点を自然に学んでいったことです。 女の子も一人の人間であるのに、家庭においても、社会においても男の子と差があるのはどうしてか、という疑問を彼女がもったのは当り前のことでしょう。
 ガネッシュマンの妻マンガラは、ネパールで初めて女性のための活動を組織した創始者として知られる人で、彼女に与えた影響も大きかったようです。
 パドマサナさんは、政治家にはならず、社会貢献を
目指すソーシャル・ワークの道に入りましたが、その心はガネッシュマンご夫妻の志と同じ。状況がわかって納得がいく思いでした。


◆ネパールの民主化の英雄、ガネッシュマン・シン
 現在のネパールが様々な問題を抱えている、といっても、1990年の民主化による自由を民衆の手中に収めた歴史ほど功績の大きなものはないでしょう。その民主化の中心人物と言えば、対外的には、B . P . コイララが有名ですし、その自叙伝も英訳されています。そこに民主化獲得のために闘ったもう1人の英雄「ガネッシュマン・シン」がいました。彼に関する本は2
冊出ていますが、全てネパール語のみ。そして、今でも新聞に彼についての記事が連載されています。
 本屋さん、友人、様々な人に彼のことを聞くと、皆、興奮して話始めました。座って居た方は急に立ち上がり、そして演説を始めた人もいます。ガネッシュマンに変身したようです。どんな脅威にも立ち向かい、銃を恐れず、民衆のために闘ったからです。
 その情熱は国王をも動かしたのです。民主化直前の国王との和平会談の際、彼は国王から首相になるように薦められました。ガネッシュマンは言いました。「私には相応しくない。私の友人、クリシュナ・プラサド・バッタライを推薦します」。この友人にそのポストを譲った話は有名です。もし、彼がその時に首相に就任していれば、彼の名は世界中に知られ、英訳本も沢山出版されただろうと言われています。今でも、彼と彼の妻の意思を汲み、「ガネッシュマン基金」が設立され、様々な活動を続けています。今でも人々の心の中に生き、人々の心の支えと誇りになっています。


◆ハンディクラフトの重要性
 フェアトレードの活動の中にも、このように民主化への情熱が脈打ち、豊かな社会作りへの精神的支えになっています。
 私たちの間でも、何故ハンディクラフトを手がけるのか、ということは議論になるところです。消耗品ではないので、一度購入していただいた商品は購入してもらえない(りピーターがつかない)ので、常に新しい商品開発を余儀なくされます。私たちの場合、相手がネパール(一部、インドのカシミール地方)に限定されていて、生産者も小さいので、こちらで常にリー
ドしながら商品を開発しなければなりませんが、デザインも相手の技術に合わせながら行う必要があり、どうしても現地での打合せ、サンプル作りが欠かせず、滞在も長くなります。おそらく、この作業を代わってできる団体も、人も、他にはいないだろうと考えています。海外に時間と労力を割き、同時に、日本国内でもマネージメントするのは大変だからです。 それでも、ハンディクラフトは、設備がそれほどなくても始められる特長があり、小さな生産者に焦点をあてている私たちとしては重要な存在なのです。
 ハンディクラフトは比較的簡単に始められて、しかし奥が深い職人芸の分野でもあります。そこに至るまでは長い道程。温もりのある商品作りは、どちらにしても大変手がかかります。そこには、アイデア捻出から生産、品質管理、出荷と様々な努力も含まれています。どうか、その汗と努力の結晶を楽しんで頂けたらと思わずにはいられません。

◆ハンディクラフト生産者から感じること
 ハンディクラフトの生産者の様子は、「生産者を訪ねて」で、順次紹介しています。でも、実際の現場に足を踏み入れると、彼ら、彼女たちの製品と現実の市場ニーズのギャップに苦しむことが多いのです。それでも、仕事を必要とし、それが暮らしに直結していることがみえてしまうだけに、私達の力量のなさを感じてしまいます。市場ニーズと生産者の技量のギャップと
常にたたかい、精神的葛藤が私達を襲ってくるのはこのような時でしょうか。
 都市部に住む生産者と、地方に住む生産者でもその状況はかなり違います。共通していること、それは、人間として生きたいという願いです。


◆都市部の女性たちの就職事情
 自分の意思に忠実に生きられる社会というのは、形は様々ですが、なんらかの形で経済的に自立していることが大切といわれています。
 仕事をするのは、どこでも大変です。教育も十分に受けられて、成績も良く、人格もいい。こんな女性だったらどうでしょう。ネパールには「カースト」という
身分階級が生きているので、都市部で暮らすにはあまりその階級が障害にならないと思われる中流層の方にお話しを聞いてみました。

完二(編集部)就職には、学校の成績が重視されるといいますが?
ジャリーナ 一般的にはそうです。私は、高校では優秀な成績で、その終了認定試験(SLC)ではトップ集団(ファースト・デヴィジョン:各科目を全て80% 以上取れた場合に該当)で、大学で会計学を学びました。大学時代に幸運にも産休に入った女性の代理として1年間、国際NGO でアルバイトをしたことがあります。
完二(編集部)  就職も結構容易なのではありませんか?
ジャリーナ 就職の機会が少ないネパールでは、一般公募が新聞などで掲載されたとしても、それは新聞広告費の応援であることの方が多く、その多くは親戚その他の紹介で埋まってしまいます。私達のような上の階層でない庶民の場合、思うような仕事をみつけるのは大変難しいです。仮に一般公募でみつけられる場合、実際の経験が重視されます。私達のようなビギナーはどのように経験を積めというのでしょう。
完二(編集部) 卒業した多くの女性たちは、その後どうするのですか?
ジャリーナ 半分は結婚したいと思っていて、そうします。半分は仕事がしたいと願っていますが、結婚しか道がないですね。 
完二(編集部)  どうして、仕事をしたいのですか?
ジャリーナ 家族を支え、自分を支えるには経済的事情を無視できません。私は、自分の意思に従って生きていきたいからです。
 
 ネパールの首都カトマンズでは、このように女性たちの意識は高いようです。暮らし方も大家族から親子中心の核家族へと変化しています。それでも、親や親
戚が娘に早めの結婚を勧めるという話はよく聞きます。仕事の機会が少く、選択の余地がないのです。
 皆様からご支援頂いているビシュヌホーム(モーニングスター・チルドレンズ・ホーム)から独立して住んでいるアルジュン君にも、夕飯を食べながら、長々と同様のことを聞いてみました。彼も全く同じことを言うので、何か考えさせられました。
 地方に行くと、そこで働く生産者の学歴は高くありませんし、生活も厳しい人を多くみます。ある片親の家庭では、娘が高校生なのに、家の壁は崩れ落ちたままだったり。着替えにも困ってしまうでしょう。都市部でも大変なら、農山村部では更に厳しい生活です。ハンディクラフト生産者の多くは、このように小さく、弱い立場で生活しています。

学習会(3月11日)記録の抜粋紹介
マヌシ:パドマサナさんを囲んで<活動紹介>

 皆さんがこうして活動をしていることを嬉しく思います。ネパールの問題についてネパールの人以上に勉強をしている。私たちの国の人たちもよく働いていますが、働くチャンスもなく、自分で学ぶチャンスも少ないのです。
 ネパールはヒマラヤを有し、恵まれた自然環境ですが、世界でも有数の貧しい国です。45%が貧困層。女性は、貧しい中でも更に貧しい。農業は重要な産業ですが、収穫できない季節もあり、収入はとても少ない。状況改善のために様々な活動を起こし努力して来ましたが、これまでも、そして今も途上国です。
 マヌシは1991 年に設立しました。目的は貧しい人たちの状況の改善。その主目的は女性の力を向上させ、男性とのバランスを取ること。悪い慣習がありますが、女性の立場を変えていかないといけない。ですから、女性のための開発プログラムを考えて、色々な場所で実行しています。タライの村でのプログラムもあれば、山岳地帯でのプログラムもあります。カトマンズでも開発の遅れた地域があり、プログラムを組んでいます。私たちのオフィスは、カトマンズにあります。
 中西部の丘陵地サモンドラタールでアローの織物工場をやっています。交通手段も電気もない。24 時間歩いていく。そこに住むタマン族は教育を受けていないし、農業収入だけでは不十分です。他の手段もない。大方の人は森林に入りアローを刈り、自分達の衣服などに仕上げて使っていました。しかし今は、私たちが買取って製品作りに活用しています。2年前にトレーニングをしました。アローを織るための機織機も提供しました。でも、たくさんの問題もあります。この村では、売春のためにたくさんの女性が売られているのです。タマンの女性は美しく、男達が好むからです。少女達はボンベイに売られてしまう。父親、母親、義父、夫さえも、娘や妻を売ってしまう。仲介者は賢くて、ボンベイに行けば金が手に入ると甘い言葉を父母に吹き込みます。そして、女性の年齢や容姿により、9,000 〜 30,000 円が払われるのです。
 私たちの工場にもボンベイから帰ってきた女性が働いています。彼女達は幸運にも売春させられる前に戻ってこられました。彼女達はAIDS の知識も不十分。彼女らには、AIDS や性病は関係ない、お金が大事という反応があります。サモンドラタールに2人の少女がボンベイから戻ってきた時、多くの男性が彼女達と結婚したがった。なぜなら、たくさんのお金や物を持っているから。私たちは、戻った女性たちにAIDSの人もいると男性達にも伝えるが、金にしか関心がなく、耳を貸さない。
 ヌワコットの刑務所に昨年24 人の囚人がいた。そのうち20 名が女性で、その半分は売春に関わった女性たちや国を越えようとした女性。彼女達に聞き取りをした話では、仲介者と買い手にはコンタクトを取るための目印があります。男性がこの地域で女性に偽装の結婚を申し込む。インド国境はネパール人は自由に出入りできる。紳士だった男性は国境を越えるとすぐ妻を売ってしまう。
 そうした地域にマヌシのようなNGO が入り、仕事を作ることで人身売買を無くすよう活動しているのです。
 タライの開発の遅れたある地域では、わらの籠を作っています。そこでトレーニングのグループを作り、指導をし、籠作りだけでなく、識字教育もしています。彼女達はそれをお金に変える手段を知らないので売るのはマヌシが担う。マヌシのカトマンズオフィスで働く女性も、そうした恵まれない女性たちもいます。学校に通えなかった彼女達が教育を受け、手工芸品を作っているのです。
 それと共に、小さな起業家を育てるプログラムも行なっています。女性が起業して力をつけないと開発の主流に入れません。私たちはお金を得る意味を教えています。持続的に
お金を得られることは女性の開発にとって意味深いからです。ネパールでは女性の地位が低い。男性によって支配されている。女性は常に男性に依存している。重労働をしてい
るが無視されている。文化や社会の伝統から、女性は物静かで受身が良いとされてきました。宗教でもヒンズー教は保守的で、仏教はやや自由。聖典には「太鼓は叩くと音が出る。女は叩くと働く」と書いてあります。ヒンズーも仏教も両方を私たちは信じていますが、仏教徒の女性のほうが力を持っています。未亡人はヒンズー教では宗教的に無力。仏教では宗教に関わることができます。女性たちは宗教と伝統文化に規制されているのです。
 経済的にも女性の地位は低いですね。発言権がない。都市部ではだいぶ改善されていますが、地方では権限がない。職場でも賃金が低い。公的機関での給料は同等ですが、民間では給与差別があります。読み書きができる女性は25%。そのために公的機関や民間で女性が働くことは難しい。同じ時間働いて賃金が差別されるのは、カトマンズでも地方でも同じ。女性たちはアイデアがあっても、社会でも家でもそれを提案できません。
 政治的には政党の立候補の5%は女性でないといけないという法律がありますが、選挙になると守られず2〜3%のみ。女性開発省の大臣は女性で、政府でも女性のためのプログラムが作られている。しかし問題はたくさんあります。女性たちは能力があって起業したくても資金がないからです。
 マヌシは5年前からマイクロクレジットを始めました。起業したい人に資金援助しています。このプログラムで女性の収入は少しずつアップしています。彼女達自身で決定することができるようになってきています。国全体を一度で試みることはできませんが、少しの融資を少しずつ地域に広げて来ました。現在は200 〜 300 名の女性に融資しています。
 まだまだやりたいことがあります。もっとレベルアップを図りたい。法律ではカーストによって、性別によっての差別は禁止していますが、実際、差別があるからです。未婚の女性は35歳を過ぎないと親の財産を受け継げない。習慣、法律は男性によって作られたものなので、差別があるのです。
 フェアトレードの組織であるFTGNの目的は、ハンディクラフトの販売を通して収入の低い虐げられた立場の人を引き上げること。FTGNの代表は殆どが女性。フェアトレード業界では、女性たちは公平に扱われています。
 家で働くこともあるし、オフィスで働くこともある。そうした女性たちに資材やお金を貸して手助けをしています。利益は女性たちに還元する。これがフェアトレードと一般のビジネスとの違いでもあります。児童労働も認めない。毒性のあるものも使わない。文化を尊重する。お金の流れに対しても透明性を持っています。
 一般の企業は、健康や環境を考えない傾向がありますが、フェアトレードは配慮しようとしています。マヌシはそのために草木染めをやっているのです。草木染めと化学染料の差は、人体への影響からも明らかでしょう。19 世紀までは、世界中何処でも草木染めでした。そのあと化学染料が出てきたのです。化学染料には有害なものあります。
 フェアトレードは、また、子どもの権利や環境への配慮を常にしています。 
 ネパールにはたくさんの草木染めがありましたし、材料もあります。山の人は草木染めをしていたのです。タンカ(仏画)も天然染料でした。人々は楽な仕事を好みます。草木染めは化学染料よりも難しい。しかし、良さを見直してリバイバルしようと努力しています。草木染めには根・花・茎などいろいろな材料を使い香りもよい。色もマイルドで平和的。ミロバランは体に良
い。大学では粉末染料を研究しているが難しい。採取された場所で色が異なるのも難しさの一因。植物の成長条件でも色が違う。村の女性たちは草木染めに関心が強い。そこから改善をしていきたいと思っています。マヌシは最高の草木染めを目指します。色落ちを防ぐ実験もしています。いっしょに働き、アジアの一員として共に発展していけるでしょう。ナイロビでの国際会議でアジアの視点を盛り込んで提案したい。欧米の考え方が主流の中に、アジアの感性、考え方を盛り込んでいきたいのです。


● 女性保護施設を訪問して
 DV(ドメスティック・バイオレンス:家庭内暴力)は世界中にありますが、男性の暴力は特にアジアに多い。アジアの女性は人前で話す権限が少ないせいもあるのでしょう。経済的に自立していないこともありますね。女性たちに経済力がないので、夫の稼ぎで生活し依存しているからです。発言力がなく、言うことを聞かないといけない。ネパールは大家族。DVは夫だけでなく、親戚からもあります。舅姑にも叩かれる。いなかでは特に多い。都会には別の問題もあります。都会の女性は仕事をしていることが多いが、家事もしなければいけない。
 ネパールにはこうした保護施設がない。日本では、女性たちが保護され、仕事に就けるよう支援されているのは素晴らしい。逃れてきた女性が仕事を自分で見つけるのは難しいでしょう。カウンセリングして、相応しいトレーニングをする役割も素晴らしいと思いました。
(注:日本滞在中に訪問して頂いた感想です:編集部)



マヌシの活動紹介

 マヌシ(MANUSHI Art&Crafts)はFTGNのメンバーで、1991 年に女性の地位向上を支援するために設立されました。
 以前、女性問題を調査するNGOのメンバーとして様々な調査をしていたパドマサナさんは、女性たちが抱える問題の背景には必ず経済問題があることに気付き、女性たちが収入を得られるよう、技術訓練の機会を提供し、マーケットに繋げる支援をしています。またローンの貸し付けもして、彼女たちが自ら仕事を作る支援もしています。
 マヌシは、女性が経済力をつけることがネパールの継続的な発展にかかせないと考えています。


ネパール民主化の国民的英雄、ガネッシュマン・シン

 1915 年生まれ。ガネッシュマンは、当時の権力者ラナ家に出入りを許されていた最も高い家柄に生まれました。小さい頃から旅行をしたり、ゲームをしたり、同年代の子ども達と戦うのが好きな少年でした。ある時、学校でラナ家の子に文句を言っただけで先生に体罰を受け、以来、学校へは行きませんでした。祖母が面倒をみてあげたといわれます。政治にも関心のある子どもでした。やがて、大学へいくようになり、学生のリーダにもなりました。61 年前のことです。当時は、公立学校も、図書館も社会的行事は一切禁止されていた時代。その頃から、ネパールの人々のために役立つことをしたいと思い始めたのです。そして、後のコイララと出会い、民主化に向けて活動を進めてきました。その困難な状況は、様々に人々に語り継がれています。


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