大事件で揺れたネパール その時生産者たちは 土屋 春代


 1990 年民主化を受入れ、民衆に最も親しまれたとされるビレンドラ国王とその一家が殺害されたニュースは、まだ記憶に新しい、衝撃的な大事件でした。
 私達も驚き、動揺しました。その時、市民、生産者の人達はどうだったのでしょう。たまたま滞在中であった代表の土屋より、そのひたむきな姿をレポートしてもらいました。

◆突然の電話
 6月2日の未明にカトマンズのホテルの一室で、サナ・ハスタカラのマネージャー、ロヒニさんの電話で起こされました。
 「私たちの国の王様、王妃が亡くなった。銃で撃たれた」と彼女は取り乱した声で告げるのですが、事態がなかなか呑込めません。「何故?いつ?どこで?」矢継ぎ早の私の質問に「詳しいことはまだ分りません。直ぐにCNNかBBCをつけてください。ネパールテレビは何もやっていません。私も友人からの電話で知りました。今日は何が起こるか分らないから絶対に外に出ないでください。」
 この国はどうなってしまうのかという不安から、最後は今にも泣き出しそうに震える声でした。
 混乱は数日間続き、多くの死傷者、逮捕者が出ました。

◆ストライキ、そして外出禁止令
 今回の出張はカトマンズに来た翌日からの3日間のストライキで仕事ができず、やっと2日間動けて、これからと思ったところへこの大事件が起きました。
 誰にも想像することなどできなかった国王一家殺害という衝撃に、人々は打ちのめされ、将来への大きな不安に押し潰されそうに見えました。そして2転、3転する情報に振り回され、疲れ果てていきました。
 外に出られない私に、毎日たくさんの生産者たち、友人たちから案じて電話が掛かり、私からも電話を掛けて様子を聞きました。事件直後は元気のなかった彼等も、仕事をしなければ、と自らを励まし、仕事場を再開でき次第続行するからね、と意欲を見せ始めました。
 外出禁止令が解けると私も外へ飛び出し、次々に生産者を回りました。いつ禁止令がでるか分らない状況下でゆっくり滞在はできませんが、お互いに元気で会えたことに大きな喜びと通い合う心を感じ「負けるものか!どんな状況でも頑張っていい仕事をしようね。
 この国の将来を良くしようね」と誓い合いました。

◆生産者から伝わる想い
 この時頼んだサンプルの仕上りはどの生産者も素晴らしく、あの厳しい状況下で、よくこれだけの仕事ができたと感動します。そして彼等の強い想いを託されたのだと気付き、必死で生きる彼等に、人間の尊厳とは何かを教えられたような気がします。

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