教育とフェアトレード
ネパリ・バザーロでは、昨年の10月と11月の約1ケ月かけて、「教育とフェアトレード」と題するセミナーキャラバンを実施しました。北は盛岡、花巻から南は長崎、熊本まで、様々な人々、学生の方々との出会いの旅でもありました。
フェアトレードという活動自体もまだまだ知られていませんが、国際協力にも様々な側面があることを知って頂き、ともに豊かな平和な社会を築くためのきっかけ、場づくり、国際理解への一助に、そして、自らを振返る場でもありました。
お話になったサパナさんも、様々な若い世代からミドルエイジまで、町から田舎まで、ホテル暮しから普段着姿の生活まで体験し、日本への理解も深まりました。開発教育教材「新貿易ゲーム」をフェアトレード・オプション付きで実施した時には、教育専門の彼女からもフェアトレードの必要性がとても良く判ると、感心するほど。
セミナーを受講した学生の方々にとって興味津々だったことのひとつに、外国の人の目に「日本人がどのように映るか」ということがありました。安全で自己主張をしなくてすむ日本の環境にいる私たちが、突然海外へ旅行すると大変危なく映るという指摘に真剣に聞き入っていたようです。海外事情を自分のこととして捉えた一瞬でもあったのではと思います。
このセミナーツアを通して、海外帰りの方の中に貧困のロマンを語る方がいたのには驚かれたようです。どちらでも選択できる私たちは、選択肢をもたない人々と違うことを忘れがちなのかもしれません。
--------サパナさんからのメッセージー--------
◆活動にかかわったきっかけ
私がこうした活動に関わるようになったきっかけ
は、24歳の頃にゴルカという村へ行ったことです。私と同じくらいの歳の女性たちが、楽しみのない苦しみばかりの生活の中で年寄りのように見えました。私は教育を受け、それなりのお金もあります。けれど、そんな自分も、もしも村に生まれていたら、彼女たちのようになっていたでしょう。自分の幸運に気づいた時、私は何かをしなければという義務と責任を感じました。
◆問題解決の難しさと教育の大切さを実感
女性のための仕事をしようと、私はセイブ・ザ・チルドレンのスタッフとなり村に入りました。けれど、山積みの問題の前で何をしていいのか途方にくれ、無力感に襲われました。
その後日本で9ヶ月間の研修を受ける機会があり、日本とネパールのあまりの違いに驚きました。日本は100年前から多くの人が読み書きができたと知り、教育の大切さを実感しました。
◆レプチャとの出会い
ネパールに戻って大学で修士課程を学ぶことになり、論文を書くために東ネパールのイラムのレプチャという民族を訪れました。イラムは教育レベルが高い地域ですが、そこに住むレプチャの教育状況の悪さを調べるためでした。
地域には高校まで揃っていますが、レプチャの子がSLC(10年生修了後の全国共通の試験)に受かることはほとんどありません。農業での生活は苦しく、学校に行っていないので賃金労働にも就けません。教育を受けていないのでその重要性も実感できず、勉学への意欲も薄く、ちょっとしたことで学校を辞めてしまいます。親自身も教育を受けていないので、それを容認してしまいます。レプチャ語を母語とするので学校でネパール語ができずに勉強が遅れてしまいます。家の手伝いも多く勉強の妨げになっています。地域の有力者に尋ねると、一番の原因は貧困だと言われました。就学援助や仕事を始めるための貸付を政府レベルで取り組むことも必要です。
一方で、レプチャが自分自身でレプチャフォーラムという組織を作り、レプチャについて考えていこうという動きもあります。レプチャ文字を残すために勉強したり資料収集をしたり、生活向上にも取り組んでいます。
その後、論文をきっかけに「何かをしないと」と思っていた時にネパリ・バザーロに出会いました。でも、私はカトマンズの人間、ネパリ・バザーロは日本人。私が知っているレプチャはフィッカルという限られた地域に住む人のみで、他の地域のレプチャのことはまだ分かりません。レプチャについてより深く知る入り口として、彼らに伝わる民話を絵本にしようと考えました。絵本作りの目的の一つは、レプチャの文化を残し、ネパールの人々にレプチャのことを伝えること。二つ目は、本の少ないネパールに読むに値する本を増やすこと。三つ目は、日本とネパールの協力関係を強めること。絵本作りを発端にしてこれから活動を進める中で、レプチャの人々の生活が向上するために、具体的に何ができるか考えていきたいと思っています。