<ネパール便り特集>

ネパールの現状と生産者の状況
奨学金への動機、ジャングルに入る苦労とマサラティーの発売

土屋春代/編集部


 今まで「生産者を訪ねて」、「フェアトレードの現場とその想い」で、一緒に仕事をしている生産者の横顔をご紹介してきましたが、今回からネパール出張の時にあった事、感じた事を「ネパール便り」として、いずれかを、または、同時に、時に応じてお届けしていきたいと思います。
 昨年6月の国王一家殺害事件後、ネパールの状況は恐れていた通り悪化を続け、数ヶ月でも大きく変化してしまう中で、どのようにしたら皆さんに生産者の現状、抱えている問題の全体像をお伝えできるかと考えました。
 生産者の状況に的確に合わせるためにこれまで以上にネパールに行くことが多くなるので、その時にあった事、感じた事をできるだけお伝えしていこうと思います。

[2002年4月] 
◆レプチャ・プロジェクト
 カトマンズは今日、23日から5日間のゼネストに入り、店は閉まり、車は動かず、街はいつもの喧騒がうそのように静かです。
 ネパールの東、紅茶で有名なイラムという地域に住む少数民族レプチャの子どもたちの教育支援で、家庭から自力で学校に通わせることのできない子どもたちに今年から奨学金を出すことになり、年間の費用として1人日本円で約1,700円を10人分送る手続きをしましたが、私たちのカウンターパート団体の口座がある銀行は電話もFAXも壊されていて、誰かカトマンズからその銀行まで送金証明を持参しなければ現地で受け取れないという連絡が先ほど来ました。カトマンズからレプチャの人たちの村に行く人を見つけ、証明書を渡してもらう算段をしなければなりません。

 今、ネパールはマオイストという集団が現在の体制に抗議して各地でインフラ破壊、役人、警官、教師などの殺害を続け、政府軍隊、警官と激しく衝突して、双方に毎日多くの死者が出ています。交通の要所には検問所が設けられ、行き来にも支障が出て、イラムまでバスで普通なら十数時間の道が倍近く掛かることもあります。先日は西ネパール、ダン郡でローカルバスも襲撃を受け、一般人の死者も数人出てしまいました。
 レプチャ・プロジェクトを私たちと共同で推進しているサパナさんは「1週間以内に村に行く人を何とか見つけるわ!」と請け負いますが、人々が恐れてあまり地方へ出掛けたがらない今、うまく見つかるだろうかと案じてしまいます。
 新学年は4月の半ば頃からスタートし始めるので、あまり遅れると子どもたちが学校に行きづらくなってしまうのではと心配で、どうかうまく行きますようにと祈る思いです。

◆ヘナ・プロジェクト
 西ネパール、ダン郡で進めているへナ・プロジェクトのカウンターパート、ローカルNGOの代表クリシュナさんも、4月初め、私が来るのと入れ違いにカトマンズから村に帰ったのですが、彼の乗ったバスも危うく襲撃に巻込まれてしまうところで、連絡があるまで無事かどうか心配でたまりませんでした。地方の電話局は壊されているところが多く、彼も電話が使える所まで数時間も掛かります。無事の知らせを聞いて本当にうれしく安心しました。
 その後帰国直前にカトマンズに来てくれた彼から渡されたサンプルは昨年秋に作ったものより格段に良いもので、短い時間で直ぐに着色するパワーに大喜びしました。更に細かい粒子にする機械を探すことなど今後の目標を話し合いました。早ければ1、2年先には製品化できそうな期待が持てます。このプロジェクトが成功すれば遊休地の活用になり、成長の早い樹木で環境を守りつつ収入にも繋がる、しかも挿し木で増やせ、根付くと数十年の寿命があり、女性たちの収入が長く得られる道が開けます。これまで10年近く村の生活向上を目指し、女性たちをグループ化し活動を続けてきたクリシュナさんの努力が実を結ぶことでしょう。

◆カンチャンジャンガ紅茶農園
 新芽の出る一番大事な時期の5日間のゼネストは紅茶生産者にとって大変な痛手です。新しく製品化を考えたマサラティーも昨年末に来る予定だった有機栽培証明機関の検査官が状況悪化を恐れて来るのが遅れ、また、スパイスを採りに森に入ろうとするとマオイストと間違われて軍隊に射殺される恐れがあり採取できないなど、様々な問題が発生しました。
 国際有機証明機関の認証を受けたスパイスと紅茶だけで作られる「マサラティー」はそのユニークな特長から農園にとって競合力のある製品として大きな期待がかかっています。お客様からも注文が相次いでいますがずっとお待ち頂いています。私たちも気を揉みながら待っていました。子どもたちの奨学金支援の打合せに農園に行っていた、設立者で代表のディーパックさんが待望のスパイスを持ち帰ってくださりやっと発売に漕ぎつけました。
 農園では組合員の地元農民だけでなく家も仕事もないアウトサイダーも受け入れていますが、彼等は食べていくだけで一杯で子どもの教育までの力がなく、農園側も昨年から家族毎にひとりの子どもという条件で困窮している家庭の子どもの教育支援を始めましたが、必要としているたくさんの子どもを全てカバーすることはとてもできませんでした。
 昨秋の農園訪問で実情を知って以来、私たちは子どもたちの教育支援を検討し、何度も話し合いを重ね、この春から129人の子どもたちに奨学金を出すことになりました。学校に行けない子がひとりもいなくなることを目指すその支援で、農園やその地域の将来が明るく拓けることを願わずにはいられません。
 

◆厳しい状況の中で
 アローの織物、竹かごを作っているサンクワサバ、赤かごを作っているバグルンもマオイストの妨害で製品をカトマンズまで届けることが難しく、入荷の予定が立たないものも出てきています。
 カトマンズ市内や周辺でも警官が殺されたり、バスが爆破されたり、政府高官の家が放火されたり、役所に爆弾が仕掛けられたりという事件が増え、日常化してしまったよ、と皆は言います。
 危険地域情報で観光客が激減し、ホテルもレストランも閑古鳥が鳴き、みやげ物屋はやるせなく外を見ているだけ。観光収入が大きな割合を占めていたこの国にとっていつまで続くのか分からないこの抗争は貧しい人々により大きく深刻な打撃を与えています。
 2月のセミナーにお呼びしたカンチャンジャンガ紅茶農園のディリーさんもこの状況は貧困が原因で起きたと断定しました。
 外国から集まる援助金が地方に正しく分配されず、中央の権力者やそれに繋がる人々に集中し、不満、怒りの蓄積が暴力となって破壊に走らせていると。
 ネパールの85%以上を占める農民が、ヒマラヤという財産を持つこの国で育まれる多様な生産物の適正なマーケットを見つけられさえすれば極端な貧困は改善され、外国からの援助もそれほど必要ではなくなり、自分たちで生きていけると彼は言います。
 紅茶、コーヒー、スパイスなどずっと輸入を続けている私たちはその言葉にどれほど励まされたことでしょう。新鮮で安全、おいしいこれらの産物を買いつづけることで生産者の人々の生活が向上し、私たちの健康にも良いのはうれしいことです。
 今年の秋は手漉き紙を家の内装、壁紙として使う動きを特集し、シックハウス問題や建材のリサイクル問題を考えようと思っています。
 私たちの利害が途上国の人々の生活を脅かすのではなく、双方の健康、環境に役立ちながら続けていけるライフスタイルを考え、提案するフェアトレードを目指してこれからも努力を積み重ねていこうと思います。

[2002年5月]
 5月2日から始まった西ネパール、ロルパ郡での戦闘ではマオイスト、政府軍双方合わせて1,000人を超える死者が出ました。昨年から半年間続いた非常事態宣言下で、一般市民、マオイスト、軍、警官、合わせて2,880人の死亡が確認されました。更に、5月25日、3ケ月の非常事態延長が決まりました。


ヘナ・プロジェクト
目的:タルー民族に属する50家族を対象に計画した現金収入向上プロジェクトで、ネパールで特に厳しい状態とされるタルーが住んでいる地域が対象。
   
状況:タルー民族の90%は農業で生計を立てている。その内の70%は、わずかな土地しかないため、大地主の土地を借りて農業を行っている。その取り分は、大地主50%、その借地人が50%である。多くのタルーの子ども達は、牛の世話やホテル、レストラン、そして大地主の家で、いわゆる児童労働として働いている。40%の子どもしか学校へ行く機会を持たない。もし、彼らの経済的状態が改善されるなら、全てのタルーの人々が子ども達を学校へ行かせることができるだろう。


マオイストとは?
 ネパールは1990年に民主化を果たし、新憲法を制定しましたが、実際には既得の権力を守ろうと抵抗する国王派やコングレスに加え、人民主権を唱える左翼のULFの3派が対立し、妥協を重ねて生まれた玉虫色の憲法でした。毛沢東主義系のUNPM(広義のマオイストといえる)が、この1990年憲法を否定し、新たな憲法制定会議を要求しました。そのUNPMの中から、より過激に人民戦争を唱え、1992年に分裂したのが
Communist Party Nepal-Maoist、現在勢力を拡大しているマオイストです。
 マオイストは人民戦争の目的を、「封建制・帝国主義・買弁官僚資本主義・インド膨張主義に支配された国内反動勢力などと、ネパール人民との間にある根本的矛盾を解決する」とし、不均等な発展の中で抑圧される人民のための抵抗を謳って、人民戦争を展開してきました。人民戦争の中心地は、西ネパールとゴルカの2箇所があります。
 西ネパールは開発が遅れ、反体制運動が盛んです。1991年の選挙ではUNPMから9名も当選しました。危機感を感じた国王派やコングレスが警察を送り込んで弾圧をはかり、一般の村人にまで及ぶ多くの逮捕者を出し、拷問を加えました。それが村人の憤りや抵抗を生み、マオイストを増やすことにもなりました。
 ゴルカはマオイスト発祥の地ですが、西ネパールに比べ、首都カトマンズにも近く、開発も進み教育も広まっています。教育を受けた人がマオイストの人民戦争に加わっています。


NASAAのオーガニック証明機関の認可を受けたマサラティー。

紅茶もマサラも、
バイオ・ダイナミック(自然の摂理に合わせた農法)の栽培。
フェアトレードなので、新鮮さも売りの一つだ。
飲んだ直後の爽やか感の秘密はここにある。
農園を流れる川に沿ってジャングルが延びている。自然、スパイスの宝庫でもある。


マオイスト、最近の動き
 マオイストは、日和見主義者を廃し、ゲリラ的活動を経て、1997年以降は攻撃を全国規模に広げてきました。現在は、西ネパールのフムラ、ロルパなど8箇所に郡人民政府を設置し、徴税、選挙、裁判、教育など行政一般をマオイストが独自に行い、社会主義を実現しようとしています。
 現在は首都カトマンズですら、土嚢を積んだあちこちの検問所でネパール軍が銃口を向けている緊迫した状況です。マオイストから多額の寄付金を要求されたり、地方ではマオイストに家族を拉致されたという話が当たり前のことのように語られるのを耳にします。しかし、マオイストの攻撃対象となる上・中流階級の人たちすら必ずしもマオイストを悪く言うわけではなく、むしろ、現在の失業や差別の状況ではマオイストが勢力を拡大するのも当たり前で、政府が悪いという同情や共感があります。マオイストが単なる「ならず者」集団ではないということであり、つまりは解決が困難だということでもあります。
 ネパールの民主主義はどうなるのでしょうか? マオイストとネパール政府の激しい対立は、どこに終結を見つけるのでしょうか。今後、他国がどういう対応をするかも影響します。隣国のインドがこの混乱をどこまで許容できるのか。マオイストが中東とつながっている可能性もあります。軍隊が支配する軍事政権になる心配もあります。そうならないためにも、ネパール人自らにより、マオイストの動きを抑える世論を作り出していくことが必要です。


生産者への影響
 生産者への影響は、様々な形で現われています。長期に渡るストライキ、村では夜間禁止令がでていますし、カトマンズでも夜間の集会は禁止。市場を如何に安定してキープするかが、今、重要な関心事です。
 村へ入ると、生活が厳しいところほど、家族、親戚の結びつきは固いものです。従って、同じ親戚の中に、マオイストあり、警官ありで、争いは好まないのが自然の姿でしょう。外部からの進入者がその中心にいるからこそ複雑な様相を呈しています。そのような活動も、4,000m以上の高地では生活も厳しく、地元民でないと生きていけないので、争いはないようです。
 遠隔の地では、検問を通過する必要があり、時間、手間暇がかかりますし、銀行の電話、FAXが切られているところが多く、送金も大変です。場所によっては、銀行も閉じています。町の銀行で信用状を発行してもらい、信頼できる人物にそれを遠隔の銀行まで持参してもらう手間暇は大変なものです。
 場所によっては、陸路での運搬を諦め、ローカル空港から首都カトマンズまで空輸して運んでいる物もあります。小さな飛行機で、がさばるカゴなどを運ぶのは大変です。このようにして、奥地からハンディクラフト、紅茶、コーヒー、スパイスを運んでいます。

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