シリーズ特集:椿が結ぶ人の絆

シリーズ特集 椿が結ぶ人の絆
~伝統椿油を通して陸前高田の復興を願う~
文:土屋春代(ネパリ・バザーロ代表)

2011年3月11日の大震災以前、私は陸前高
田に行ったことがありませんでした。もし、あの
震災がなかったら、一生訪れる機会はなかったか
もしれません。千年に一度という巨大津波は多く
の人の人生を変えました。私の残りの人生も思っ
てもみなかった方向に進み、ずっと陸前高田と関
わり続けることになりました。
被災された陸前高田市のお客様にお見舞いの電
話をし、何かお手伝いできることがあればと申し
出た時、その方がずっと支援されていた在住外国
人の女性たちの里帰り費用を支援して欲しいと頼
まれました。それをきっかけにしばしば出向くよ
うになり、現地で知り合った方からのご紹介で、
障がい者が安心して過ごせる居場所をつくろうと
奮闘している方たちと7月に出会い、パソコン、
ダイニングテーブルや椅子など必要とされる物資
の支援を続けました。2011年9月半ばに「す
ずらんとかたつむり」として開所を果たし、環境
も徐々に整ってきたので、更なる支援、そこに集
う皆さんへの継続できる支援として、仕事づくり
に着手することになりました。気仙地域で昔から
受け継がれてきた椿油の製造です。できればそれ
が地域の復興にもつながることを願って。
手探りの覚束ないスタートでしたが、陸前高田
はもとより、萩、利島、気仙沼…様々な出会いに
恵まれ、導かれていることを感じます。その第一
歩のご報告です。

消えた街
初めて陸前高田に行ったのは2011年6月25日でした。内陸の一ノ関から沿岸に向かう車での道中、1時間ほどはまるで何事もなかったかのような穏やかで美しい山々、集落と田畑の風景が続きましたが、いきなり眼前に展開された瓦礫の山、山、山。無残に積み上げられた車の山。全壊し基礎だけ残った家々や屋根と柱だけ残った家々。壊滅したと聞く市街地に着くにはまだ遠く、海の気配なども全く感じないようなところで、なぜここが?と衝撃を受けました。後で調べると海から6、7キロも離れた所まで気仙川の支流、矢作川を遡上して津波がきたのです。そして、沿岸に到達するまでも数え切れないほどの瓦礫の山。廻った被災各地の中でもこれほど
の量を見たのは初めてでした。
陸前高田市の中心部だった所に着き、消えた街の様に言葉を失いました。駅前商店街や市役所、図書館、博物館、その他公共施設や商業施設、銀行、郵便局、学校、病院、ホテルや旅館があった所です。賑やかな町並みだったはずですが、かろうじて流されずに残ったコンクリートの建物がいくつかあるだけで、だだっ広い荒れ地と化していました。海岸の数万本の松は一本を残してなぎ倒されました。これまで街を守ってきた高田松原は国の名勝にも指定された美しさ、陸前高田の象徴だったと思います。松原にあった野球場も水没し、数本の照明灯だけが海とつながった水面に突き出ています。
車を走らせていると「陸前高田駅前を右折して…」、震災を知らぬナビが指示を出してきます。どこを見ても線路も駅も影も形もありません。右折?多分そこの角には信号やビルあったのでしょう。一方通行だったのかもしれません。でも、今は建物など何も無く、どこを突っ切っても構いません。ただ、冠水している道路や大きな段差が行く手を阻みます。
後に温泉にご招待した仮設の方の言葉が思い出されます。
「以前はね、歩き疲れるほど大きな町だと思っていたの。建物がいっぱいで先が見えなくてね。遠いなと思いながら用事を足しに行っていた場所がね、何にも無くなったら、全部見えて、こんなに小さな町だったのかと思ったわ」と、寂しそうに言われました。住宅、建物の全半壊3341件、死者行方不明者1983人。震災前の人口約2万4千人の町はその8%の方が犠牲になりました。あまりにも大きな犠牲です。

その日は広田半島の小学校のグラウンドに建てられた仮設住宅団地に、皆さんと野菜を植えるために行きました。市役所健康推進課のプログラムにプランターや軍手などを提供し、一緒に植え付けもさせていただこうと勇んで伺ったのですが、定刻に着いた時にはもう作業は終了していました。畑仕事に慣れた皆さんにとっては久しぶりの農作業。ずっと楽しみにしていらしたので、土や苗が届くやいなや、セレモニーを待たずにあっ
と言う間に植え付けを済ませてしまわれたのでした。
その後、集まった方たちに支援者としてご紹介いただき、炊き出しにいらしたグループの方におでんや牛串などもご馳走になり、温かく迎えていただきました。一ヶ月ほど後、野菜の生長が気になり訪れると、どのお宅にも立派なトマトやきゅうりが実っていました。「毎日もいで食べているよ」と笑顔で応えてくださった方の手にも大きなきゅうりがしっかり乗っていました。

継続できる支援を目指して
震災直後から様々な支援活動を続けてきましたが緊急支援が落ち着いた後、中長期に関わる継続支援として何ができるかとずっと考えていました。私たちが必要とされている場がどこかにあるのではないかと。そんな時、声をかけられました。障がい者通所施設の開設を目指している人がいるので支援してほしいと。椿油プロジェクトにつながる出会いでした。
20年間ネパールとのパートナーシップトレードを続
け、誰がどのように作っているかが分かり、質も良い商
品を、ふさわしい価格で買ってくださる意識の高いマー
ケットがあることを知っていたので、復興支援にもつな
がる椿油製造販売に取り組むことは自然な成り行きだと
思えました。これまでの経験が活かせる機会を得たこと
に喜び、新たな挑戦に取り組むことになりました。

【椿の群生地・広田半島】
震災時、陸前高田の広田半島では両方の湾から入った津波が地上でぶつかる”水合(みずあい)“という壮絶な現象が起きました。3キロ離れた湾同士がつながり、陸地が水没し、一時的に半島は分断され「孤島」と化しました。このため救援物資もなかなか届かず、情報も遮断され、半島の皆さんはとても恐ろしい思いとご苦労をされました。
広田半島は昔から温暖な気候に恵まれ、北限と言われる椿の群生林もあり、ホタテや牡蠣、わかめなどの養殖も盛んでした。この自然の宝と昔からの伝統や知恵を活かし、真の復興、よりよい地域にしていこうとの機運が高まっています。深く根を張り潮風にも強い椿は防災にも役立ち、花は観光資源にもなります。実から採れる油はおいしいだけでなく数々の優れた特性をもっていま
す。このように素晴らしい可能性を秘めている椿は復興
の柱の一つとして期待されています。
椿油を製造するには、その原料となる椿の実を集めな
ければなりません。将来に向けて植樹もしなければなり
ません。たくさんの方たちの力が必要です。ネパリ・バ
ザーロは椿油プロジェクトの要の場所ともなる広田半島
を中心に一緒に活動してくださる方たちとのネットワー
クを少しずつ築いています。

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