新たな素材 新たな産業に取り組んで
SPECIAL ISSUE
対談 ウシャ・ゴンガル(写真左)/土屋春代(写真右) 2005年3月14日

ネパールで紙布を織ろうと考え、情報や資料を集めて可能性を探り2年が経ちました。2003年春、いよいよ本格的に紙布プロジェクトをスタートさせたいと考えました。日本側では染織作家の大塚瑠美さんの協力を得て、糸と布のサンプル作りなど準備を進めました。ネパール側で誰をパートナーとして取り組むか悩んだ時、ウシャさんの顔が浮かびました。当時WEAN コープ(注1)の事務局長だった彼女とは仕事上、時にはぶつかり合うこともありましたが、互いに理解し信頼し合っていました。ウシャさんとならきっと成功するに違いないと思い、企画書を見せ相談しました。 
3年で何とか形にしようと意気込んではみたものの本当に3年で実現するとは、嬉しい驚きを禁じえません。ウシャさんを選んだことは間違っていなかったのです。

紙布の企画を切り出しました  


春 代:初めてこのプロジェクトのことを聞いた時、どう感じましたか?

ウシャ:とにかく驚き、どうやって作るのだろうと思いました。紙から布を作るなんて、全くイメージがわきませんでした。紙を細く切って紡いでみても硬いひものようになり、布を織ってみても春代さんの言うような服になるとは思えませんでした。そこで直接ロクタの皮から繊維をとってやってみましたが、うまくいきませんでした。そんな時に、染織作家の大塚さんが日本から教えに来てくれ、「こうやってやればいいのか」と、ようやく分かり、「これならできる!」と確信しました。

春 代:「紙布」は、ネパールにとってどのような意味がありますか?

ウシャ:本当に大きな意味があります。とにかく手がかかるので、たくさんの女性達に仕事を出すことができます。今はサンプルの段階ですが、それでも5人の女性が働いています。将来、きっと多くの女性達が働くことができるようになるでしょう。

春 代:これまでで一番難しかったことは何ですか?

ウシャ:紙の選別と、どうやってそれを手に入れるかということです。最初は紙の質を見分けることができませんでしたが、紙を水にしばらく浸してみると、悪い紙は水の中ですぐにバラバラと溶けてしまいます。いい紙は水につけてもネット状に絡まってすぐには溶けません。それで見分けることができるようになりました。

春 代:毎月どのくらいの糸が紡げるのですか?

ウシャ:200枚の紙から2000mの糸ができます。ほとんど無駄が出ないので、重さは1kg、現在は一ヶ月かかります。目標は、一ヶ月に1・5kgの糸を紡ぐことです。最初に始めた頃は400gでした。1・5kgの糸から、約12m(服に仕立てると3枚弱分)の布を織ることができます。

春 代:現在、ネパールのロクタ紙のマーケットはいかがですか?

ウシャ:まあまあ売れてはいます。紙の商品は、カレンダーやメモ帳などデザインがほとんど変わりません。新しいアイディアを出して、商品開発をしていかなければならないと思います。

春 代:普通の紙製品だけに頼っていては、ネパールの将来にきっと良くない、もっと他の利用法も考えなければ、と思って紙布を思いつきましたが、これまで同様のデザインでも販路があるならば、わざわざ手間をかけて紙布を作る必要はないのでしょうか。

ウシャ:そんなことは決してありません。紙布を作ることによって大量の紙を使います。現在は、村人が紙を作っても売れないので、大量のストックを放っておきます。ロクタの原木の手入れもろくにしないので、悪循環です。しかし、紙布を作ることによって多くの紙が売れると、村人も再び紙を漉き始め、いい循環ができていくでしょう。

春 代:ワーカーの5人は、みんなこの仕事を気に入って働いているのですか。

ウシャ:みんな喜んで仕事をしています。紙布で作った服を初めて春代さんが持ってきてくれた時、「これが私達の布?本当に?素晴らしい!」「もっともっといいものを作らないと!」と、ますますモチベーションがアップしました。

春 代:日本のマーケットでもきっと気に入られるでしょう。

ウシャ:私達は前向きに、きっと売れると信じてやっています。ネパールでは、一度も紙布が世の中に出たことがないので、きっとみんなこの布がネパールのロクタからできた布だとは信じないでしょう。

春 代:私の夢は、将来紙布が有名になって、ネパールの産業となり、紙布がネパールでたくさん作られるようになることです。

春 代:最初は3年で形にすると言いながらも、まさか本当に3年でできるようになるとは思っていませんでした。振り返るとあっという間でしたね。

ウシャ:春代さんが初めて紙布の服を着てきた時、全く信じられませんでした。「まさか?これが本当に私達が紡いで織った布?」と、とても驚きました。ネパールの紙と、ネパリ・バザーロの知恵と、ネパールの人々の努力の結晶ですね。

春 代:ここまでできたのは、ウシャさん自身がいろいろ試行錯誤されたことに加えて、働いているマンマヤさん達が、言われたことだけをやるのではなく、自分達自身で考えてやってきたからだと思います。

ウシャ:最初に紙を紡ぎ始めた頃は寒かったので、太陽が当たる外でしていました。しかし、紙がごつごつで、すぐに切れてしまったので、みんなこの紙は不良だから返品しようと言っていました。でもこれはいい紙なので、これでできなかったらもうできないと言い、みんなでどうしたらいいかと考えました。その時、湿り気があるといいのではないかと思いつき、その日は座布団の下に敷いて帰りました。すると次の日、するすると見事に紙を紡ぐことができ、みんなで「すごい!」と感激しました。それからは、毎日帰る前に切った紙を座布団の下に敷いて帰っています。反対に紙を切るときは乾いている方が切りやすいので、太陽で乾かしてから切っています。

春 代:大塚さんは紙に適度な湿り気を与えると良いが「適度」という感覚的なことを教えるのはとても難しいので、あえて教えずにいたそうです。でも彼女達は自分達で考え、思いついたのですね。今まで本当に順調のように見えますが、今後何か問題はあるでしょうか。

ウシャ:問題は、人々に仕事がなく、食べることができないことです。仕事さえあれば、他の問題は何とかなります。みんなでクリアしていきます。

春 代:今は5人のワーカーですが、マーケットを見ながら、少しずつ少しずつ増やしていきましょう。一挙に増えると心配なので、ゆっくりね。

ウシャ:今年は5人までと思っています。今の目標は、一人ひとりの仕事の質を上げることです。

春 代:この仕事は、始めはウシャさんご自身で投資されたのですよね。大変でしたね。

ウシャ:すぐにそれを取り戻そうとは思っていません。困難があればあるほど、喜びは大きく感じます。これまでも何度も困難がありましたが、春代さんの着ている服を見た時、それらは全て吹き飛びました。 本当に、ネパリ・バザーロにありがとうと言いたいです。私達だけでなく、サナ(注2)やマハグティ(54頁参照)やグルミのコーヒー生産者達も、みんな本当にネパリ・バザーロがネパールのために努力しているのをよく知っています。

春 代:ウシャさんが女性の自立に興味をもったきっかけは何ですか?

ウシャ:私はヘタウダという村で生まれました。両親も村で生まれました。20歳の時に母を亡くし、弟たちの世話と家のこと全てをしなければなりませんでした。だから、村の女性達がどれだけ多くの困難を背負っているのか、女性が収入を得ることがどんなに大切かを知っています。
 女性は子どもに何が必要なのかを知っているので女性が収入を得ることで、家族の健康や子どもにとって本当に必要なものを買うことができます。女性が収入を得ること、女性が自立することは、本当に大切なことです。しかし、今でも村では女性が稼ぐチャンスがないので、夫がお金をくれない場合は、子どもに必要なものも、自分の薬さえも買うことができません。その上、遠くまで薪を取りに行かなければならなかったり、ごはんも夫や家族が食べて残っていなければ食べることができなかったりという状況で、どうしたら生活を改善できるのかも分かっていません。
以前WEANコープで事務局長をしていた時、女性がせっかく物を作っても、それを納めてお金をもらいにくるのは男性でした。それでは本当に女性達の手にお金が渡っているのか分かりません。そこで自分で取りに来るように言いました。最初はなかなか来ませんでしたが、次第に家族もすすめるようになり、今では女性達自身で取りにくるようになりました。それは収入を得るということだけではなく、ほとんど家にいた女性達に外出の機会を与え、社会を知ることができ、いいリフレッシュにもなっています。今は、その制度を作ったことに、みんなが感謝してくれています。
春 代:まだ一部の女性達ではあっても、以前に比べると少しずつ状況は良くなっているのですね。もっともっと多くの女性達の暮らしが良くなるといいですね。そのためにもこの紙布がネパールの産業、財産になってほしいですね。紙布といったらネパールといわれるようになり、いろいろな国から注文がきて、たくさんの人々の仕事につながるといいですね。その日を目指して頑張りましょう!

(注1)WEAN コープ ネパール女性起業家協会WEANの姉妹組織で、女性生産者の協同組合
(注2)サナ マーケティング専門のNGOサナ・ハスタカラ

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