≪今月のスタッフ一言 2020年12月≫

https://nb.verda.bz/…/%e4%bb%8a%e6%9c%88%e3%81%ae%e3%82%b9…/
長文です。
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草津温泉近くにあるハンセン病国立療養所・栗生楽泉園に行きました。コロナ感染防止で園内は限られた所しか入れませんが、どうしても行きたかった重監房資料館は見学できました。そこだけでも時間が足りないほどで、衝撃的な内容に圧倒されました。「ハンセン病 重監房の記録・宮坂道夫著」、「とがなくてしす 草津重監房の記録・沢田五郎著」などの本を読み、新憲法下の日本であり得ない人権蹂躙が行われていたということを知っていても、本を読んだだけの薄っぺらな知識など、展示されている事実の一端に触れただけで木端微塵に吹き飛びました。罪とは言えない言動で裁判も受けられず、療養所長の裁量だけで全国の療養所から送られた人々は『特別病室』という周囲を4mの高い塀で囲まれた中の8つの独房に入れられました。天井近くに小さな窓が一つあるだけの4畳ほどの板敷の暗い部屋。真冬は零下20度近くにもなる草津で暖房のない部屋に薄い布団だけ。日に2度の食事は麦飯と梅干だけ。そこに数日から最長500日以上監禁されました。収監中に凍死や自殺で亡くなった方、出られても直ぐに亡くなったり発狂した方が多く、未だ全ては解明されていません。このようなおぞましく恐ろしいことが繰り返されぬよう、誰もが人として大切にされる社会であるように自分にできることを精一杯しなければと思いました。(春代)

ネパールは、長期のお休み、ダサインとティハールが終わり、半年以上も閉鎖になっていた高等教育の新学期も迎えようとしています。カトマンズ近郊の養護施設で高校卒業までを過ごしたアシャさん、シムランさんは、西側にあるパルパという地域で看護学校に入るため、近々出発。幼少の頃から過ごしたホームを出て、学校の宿舎と学校でこれから3年間を過ごします。高等教育を受ける紅茶農園で働くワーカーの子どもたち(奨学生)も、少数民族キサンの奨学生も、これから新しい生活に入ります。良い旅立ちになることを願っています。(完二)

Facebookで写真をご紹介しましたが、段ボールいっぱいに溢れる色とりどりのレッグウォーマーやくつしたは、見ているだけでワクワクしてきます。ネパールの編み手の女性が、忙しい家事やコロナ禍でなかなか外に出られない中、ひとつひとつ色を選んで編んでくれている姿を想像するといとしさが増します。お客様からご注文をいただくと、「どんな色合いがお好みかな」「ご本人が履かれるのかしら、プレゼントかしら」「二つお求めなら違う雰囲気に」と、いろいろ思いを馳せながら選ぶのは、出荷担当の役得の楽しい時間です。(早苗)

11月22日に、養護施設MSCCのアシャさんとシムランさんの自立のための奨学金支援のお願い(右記)をFBにUPさせて頂いたところ、たくさんの方々がお気持ちをお寄せくださいました。ネパールの子どもたちのために力になれたらというお気持ち、そして私たちを信頼してご寄付を託してくださることに、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に、本当にありがとうございます。アシャさんは、2015年のネパール大地震発生当時、肺炎になりしばらく入院していました。ラムさんが親身に看護をされ回復しましたが、精神的に不安定で、いつも心配されていました。あれから数年たち、ずいぶん落ち着き、今は前向きに頑張っています。親身になって応援して下さる方がいること、一人じゃないことが伝われば、これから大変な時もきっと乗り越えて、生きる力になることと思います。旅立つ彼女たちに、心からのエールを送りたいと思います!今年の年末年始はネパールに行けないのが残念ですが、成長した彼女たちとの再会の日が今から楽しみです。これからも共に見守って下さいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。(百合香)

事務所での日々の会話は、私にとって学びの宝庫です。自分の想像力が試される毎日なのですが、ここ最近で思考回路がぐるぐるしてしまったのは、「結婚をされている女性の呼び方」。女性に対して「女房」「嫁」「妻」「家内」「奥さん」など馴染み深い言葉がありますが、私の中では「女性は家の中にいる人」というイメージを持たせる言葉であり、あまり積極的には使いたくないと思っていました。なのでこれまでは「パートナー」という言葉を意識的に使っていましたが、そもそも日本語ではない!日本には昔から男女を対等に表す言葉がないのか!という議論になり、言葉の成り立ちと社会構造の関係性を強く感じました。英語やスペイン語と比較してみても、一人の人格を表す言葉ではなく、立場や役割で男女を表す言葉がなぜ一般的になってしまったのだろう…と不思議に思います。きっと他にも、様々な社会背景から生まれた言葉を日常的に使っていると思います。私の言葉が誰かに対しての暴力となってしまうのではなく、何かを理解し合えたり、救われたり、喜び合えるきっかけになれるよう、来年も学びの日々です。(萌)

2020.12.24

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