ラクシミプール村訪問


メンバーの女性たちの住む村へ

 翌日はセンターが休みで皆家にいるので、この時とばかりにメンバー8人が住むラクシミプール村を訪ねた。朝8時過ぎに迎えに来てくれたアヌラギさんの案内で出かけた。ホテルから村までリキシャで30分、ホテル周辺のバザールを抜けるとヤシの樹の間に広い道がインドへと続く。ネパールは小さい国だが、約36と言われる民族が暮らし、それぞれ違う文化を持ち、まるで異国に来たような雰囲気を漂わせていて、とても新鮮に映る。

 

 村に入ると早速、あった!あった!マイティリの人の絵が。私たちはリキシャから飛び降りるとカメラを向けた。壁の前に最初は一人しかいなかった子が、アレヨ、アレヨという間に10人以上に増えた。外からの人など入ったことのない村は大騒ぎになった。今回の訪問は藤谷さんというカメラマンが同行してくれたが、プロ用の大きなカメラを3台もぶら下げた彼女は注目を浴び、みるみるギャラリーが増え、村は興奮に包まれた。ビデオカメラを持ったチャンドラさんもまるで外国人。どこの国から来たのですが、と聞かれていた。リキシャには法外な料金をふんだくられるし、ほんとすっかり外国人になってしまったチャンドラさん。



印象に残った二人の女性



アヌラギ・デビさん(60歳) 4人の子どもは独立し、現在義父105歳、孫家族と暮らす。月収1800ルピー、創立以来のメンバー。
 家族を紹介してくれたが、結婚したばかりの孫のお嫁さんは出てきたがらない。結婚以来一年間、一歩も外へ出ていないそうだ。サリーで顔を隠して薄暗い部屋にじっと閉じ篭っているのだ。アヌラギさんが強引に外に出して、カメラに顔を向けさせたが、笑いながらも恥ずかしくてどうしようもないという顔ですぐ逃げ出してしまった。サンスクリットカルチャーで夫以外の男性とは話もできないという、女性は家の中だけにとどめておく社会だ。
 
 アヌラギさんはセンターで働く前と今との違いをこう語る。「以前はサリーで顔を隠して暮らし、自分の足元の小さい地面しか見えなかった。今では前を見て周囲の風景が全部見える。仲間と一緒に、時には一人でさえ旅も出来る。作品を作ることも、マーケティングも習った。自分の収入を得て、自信も持てた。どう生きていけばよいかもわかった」と。


プレム・ミスラさん(30歳) 12歳で結婚。4年後に夫死亡。以来実家で暮らす。縫製担当。

 センターから帰ると、兄弟家族の服や、近所の頼まれ仕事をする。同居している叔父さんに彼女は再婚しないのですか、と尋ねると、サンスクリットカルチャーで他の男性に嫁げないとのこと。カーストの低い女性は再婚することもあるが、プレムさんはカーストが高く、更に本人の意志もあり再婚をしないそうだ。
 
 どの家もそうだが、外壁と同じく内壁も床も泥で固めた家の中はよく整頓され、清潔で涼しそうに見えた。亜熱帯のこの地域に相応しく作られているのだなと感心した。
 台所兼作業場にプレムさんのミシンが置かれ、きちんとたたまれた縫いかけの服が側にあった。立場のとても弱い”未亡人”の彼女が、仕事を持ち収入を得て家族の中にしっかり位置を占めて暮らしていることがうかがわれる。背をすっと伸ばして歩く彼女がとても頼もしく見えた。


 メンバー一人一人の写真を撮っていたとき、ある家の壁に他の絵と違う印象の絵があり意味を聞くと、二人の妻を持つ男が、争う妻達の一人をうるさくて殺しているところだと言う。シータやラム、クリシュナ、ハヌマンなどの神々、象、亀、孔雀、花等、華やかで明るい絵が多い中で強烈な印象を受けた。この絵を描いた女性のことをうっかり聞き忘れてしまったが、どういう思いで描いたのかと、今でもふと思う。
 ジャナカプールにも最近いくつかの小さなグループが出来、女性達の社会進出、組織化が始まっている。1989年設立以来辞めた女性は3人しかいないそうだが、そのうちの一人が別グループを作るなどセンターの果たした役割は大きい。何十年も時間の止まったような町だが、緩やかに、着実に女性達から町は変わっていこうとしている。




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