ここでご紹介するのは、「アロー」と言う植物の繊維から作られる製品で、現地の人々がその自然素材を生かして生産して来たもので す。その変化と発展に関わってきた女性達の状況を、ネパールのNGO、サナ・ハスタカラのチャンドラさんに現地取材をして貰いま した。以下、そのレポートを基にアローについて特集しています。 ◆アローのふるさと・その歴史 イラクサ科のトゲだらけのアロー(英名:ヒマラヤンジャイアントネトゥル)は、ネパールでも標高2,000m前後のやや高地に昔 から自生しているものです。ネパールの東部にあたるマカルー(エベレストの東隣りの山)の麓の「マカルーバルン国立公園地域」の サンクワサバ地区は、アローの生産で有名です。そこまでは、パスで18時間、更に徒歩で4日、または、飛行機で40分、更に徒歩 で2日かかります。ここでは、プロジェクトの成り立ちや女性の活動の変化をご紹介します。 ここサンクワサバ地区では、各家庭で昔からアローの繊維を使って衣類やベルト、ザックなど生活用具の様々な用途に役立てて きました。そして、イギリスの交接によるプロジェクトの調査が始まり、1984年にこの地域にアロー布を織って収人向上を 図るための道が模索され始めました。翌年このアロー製品をカトマンズのフェアトレードグループの1つであるマハグティが販売する試 みがなされました。その後も、関係者の指導を得て、素材と民族色を生かした製品を市場に出す努力が続けられ、それにより生産者の 伝統的な手法で生産を続ける道が関かれました。当時、市場に出された製品は、袋物(バッグ類)・ザック・ベスト・漁網・織物などで した。それらは、2地区でのごく少ない生産で、その技術の修得や商業的意義は模索段階でした。しかし、l年が過ぎて、この試みに少し 希望が持てるようになり、生産者(殆とが女性)をグループ単位としてもっと拡大することが可能となりカマンズでの旅行者や海外市 場に向けたふさわしい商品作りへの改善が図られて来ました。そして徐々に海外からの支援やカトマンズでの販売が好調となり、 アロー製品の需要増加が見込まれると、それに応じた生産者の数を培やす事が可能となり、地域の女性達にトレーニングを行えるように なりました。幸いなことに、この地域の国立公園保存プロジェクトとしても地域の収入向上にカを入れ始め、クラブ運営のスタッフ作りや 回転資金の提供を始めるなどの努力がなされました。 ◆クラブの設立と構造 1990年、それまで2地区で非公式に結成されていたグループの活動が、公式に「アロー布織りクラブ」として正式登録され、30人位で 始まったものが、今(1998 年)では、4グループ272 人となっています,このクラブの設立目的は、以下@〜Eです。 @国内と海外の市場にふさわしいアロー製品の生産を行うためのトレー二ングを提供すること Aサンクワサバ地区の人々、特に女性に対しアロー布生産の動機づけを行い、必要なマーケティング・サポートを提供すること B成人に対して識字教育を行い、また、他の関連訓練プログラムを実施すること C女性の為のエンパワーメントと開発を行い、社会的経済的な状態を改警するプログラムに着手すること D市場の要求に応じて、アロー織りを別の地域にも拡げていくこと E更なるアロー織りクラブの設立やそのサブクラブの設立を行い、市場や生産の拡大を促進し、それらの機能を保持しながら成長がうまく機能 するよう努力すること この組織として11のサブクラプが有り、個別に注文を受けいて、一番多く受けているのがシスワ地区にある中央クラブです。 各クラブには、労働委員会があり、その会合は毎月行われています。注文を受けると、その仕事の分配が検討され、生産者の熟練度や特別な 製品を織る能力の有無などに従い、分配されます。織る人は、アローの糸は自分で購入したり管理しますが、ウールや他の製品を作るのに 必要なものは、クラブを通じてカトマンズから取り寄せられます。個々の織り人は、注文毎に自宅で生産し、クラブヘ納品するのです。生産 者はその製品がカトマンズに送られてからl〜2ケ月後に製品毎に決められた基準で支払いを受けますが、その時、クラフは、10%の利益と 8%の配達責を受け取ります。 ◆アロー生産の村人への影響 アロークラブは、過去10年に渡ってこの地域の女性通に唯一の現金収入の道であるアロ一布の生産での継続的な収入を提供してきました。 それまでは、ごく限られた人々が無計画に生産し、近〈の市場で売って僅かの収入を得ていたに過ぎません。アロー布の生産と加工による 平均的収入は、1ケ月1,000 〜1,500ルピーです。これは、一般的家庭の家計負担を軽減し、少しづつお金を貯めて土地を確保したり、貯金を したりして、生活改善のモデルケースとなりつつあるのです。女性達は、社会の中で役目を持つこと、意思決定をすることを自覚し、識字、 貯蓄、社会福祉などの活動も始めました。 この地域では、今だにヤギが何頭いるかが富の象徴です。多くの女性達がアロー生産の収入でヤギ、水牛、そして鶏を調達できるようになり ました。地理的条件が厳しい中で、このように現金収入を増やす手段として有効なことが、女性達の団結を強くし、プロジェクトの取組への 理解が進みました。 ◆村の女性の声を聞きました *ダンシリ・ライさん 22 才、女性、既婚 私は、結婚して子供がl人いて、私の両親を含め家族7人と暮らしています。学校には行かなかったのですが、識字学級で自分の名前を書ける ようになりました。主な仕事は農業です。この地域は耕作に適した土地が不足していて、生活は大変です。食料の不足は慢性的便性的で、男性は 冬の間出稼ぎに行かなけれぱなりません。 私がアロー布の織りのトレー二ングを受ける以前には、私の母親が細々と織っていましたが、あまり家計の助けにはなりませんでした。私が アロー生産に関わって収入が向上すると、男性の応援も得られるようになりました。私は、自分の子をアロー生産から得た収入で宇校に行かせて います。l年に4,000ルピー相当の製品を売り、その半分を糸を買うために使っています。クラブで売る方が、村の市場より時間が節約でき、値段 も良いので収入も向上しました。私はトレーナーにもなり、他の人をトレー二ングすることにより更に収入が増えました。また、私は12 人の女 性達のサブ委員会のグルーブリーダーにもなっています。 現在の課題として、 @アロー糸の供給が安定しないことと、需要が高まった時への対応 A品質維持の難しさと返品の処理の難しさ Bクラブは,最も安全な販売市場と見られていて他へ売ろうとしないこと C織り人は自ら新しいデザイン開発をせず、ただクラブの求めているものしか作らないこと Dもし、アロー生産が減れば再び食料不足を補うための負債に悩まされること などがあります。 <日本のイラクサ、からむし織り> 日本にもイラクサから繊維を取る伝統的な織物があります。アローと同じイラクサ科ですが、高さ2m、茎の直径2cm と、アローに比べるとずいぶん 小ぶりな種類です。福島県の会津上布、新潟県の越後上布、沖縄県の宮古上布などが有名です。からむし織物は通気性、吸湿性、肌触りが非常に優れ、 高温多湿の日本には欠かせない素材として評価されて来ましたが、大変な手間と時間と人手を必要とするため、その技術は失われつつあります。 「生産者訪問ツアー」 ー初めてのネパール、初めての生産者へー 地球市民交流基金 アーシアン 高橋広子 今から5年前に設立された柏市にある「アーシアンショップ」は、私達のフェアトレードのお店で、ネパリ・バザー口の商品も沢山扱っている。 今回、ネパリ・バザーロの土屋さんに”ネパールの女性たちのNGO活動や、フェアトレードの製品を作っている生産者の皆さんに会う”をテーマに スタディツアーをコーディネイトしていただき、アーシアンから6人が参加した。11 月18 日正午、晩秋の日本を飛び立って、カトマンズにある トリブバン国際空港で待つ土屋さんに会えたのは19日午後1時過ぎ。ネパールは遠い国だった。気候は、日本の10月初旬の感じ、まだ半袖でも大丈夫だ。 国の財政の4割を援助に頼り、世界の最貧国の一つに数えられているとは聞いていても実際に足を踏み入れるまでそのことを実感するのは難しいものだ。 空港から市内のホテルまでの道で見た沢山の物乞い、路上の物売り、貧しい家々。市内も、土産物店がずらりと並んでいるが、そこに寝そべる犬、ゴミ をあさる牛。その間を行き交うリキシャと車と人。そしてものすごい排気ガス。大変なところへ来てしまった!!!翌日、44人乗りのプロペラ機で ジャナカプールヘ移動。ここは、「ラーマーヤナ」にも登場する古都だとか。大きなヒンドゥー寺院があって、朝もやの中で沐浴をする人々が美しかっ た。JWDCのチーフマネージャのアンナプルナさんの住むラクシミプール村を訪ねた。お手製の軽い食事(おいしかった)を頂いた後、村の中にある JWDCのスタッフの家々を訪問した。ぞろぞろと付いて歩く子どもの数が増えて行く。スタッフの女性逮は、明るく堂々としているし、家々の壁には カラフルなミティーラアート(このマイティリ地域で親代々伝統的に受け継がれてきた絵)が実に伸び伸びと描かれている。このセンターで動いている 方々の子ども達は、学校への就学率も高いそうだ。ついこの前まで、サリーを目深に被って人前に出られなかった女性たちだとは思えない。女性が経済力 をつけていくことの大切さを思った。 ヒマラヤの展望台といわれるナガルコットで迎えた朝は素晴らしかった。日の出も、そして真っ青な空の下にみえた白く輝く山々も。外国の観光客は この辺りからトレッキングに出かけていくので、この国の本当の姿は見えてこない。ホテルも殆とが外国資本だという。古都のバクタプールヘ行った。 殆どの建物が17 世紀までのものだと言う。赤レンガの数層の建物が精巧な木彫の窓で飾られてそれはすばらしいものだった。当時としては先進的な これだけの建築物群を創る文化、技術をもった国だということを私は知らなかった。 生産者の皆さんを訪ねた。数台の織り機の前で女性たちがタカ離りを織っている。1日に織れるのはわずか数十センチ。出来高払いなので、収入は 人によって違うそうだが、それが貴重な現金収入になっていく。山奥から機織りを習いに来ている少女達も受け入れている。彼女たちのつくる美しい 色合いの手織りの布がさまざまに縫製されて日本までやってきているのだ。 「マハグティ」は、ガンジーの教えを受け継ぐ、NGOだ。マネージャーのスレンドラ・サビさんが、実に滑らかに説明をしてくれた。プロジェクトは、 多岐にわたっている(150グループ700人が携わっている)。糸を紡ぐことから、染色、機織り、縫製まで。手漉きの紙にウッドプリントする部門もあっ た。世界中のフェアトレードの店やNGO から注文が来ている。マハグティの収入の53%が輸出によっている。ここの女性たちは、1 m の布を織ると 7ルピーが支払われる。しかし普通の工場だと3ルピーなのだそうだ。出産休暇中も有給であり、工場内には託児所もあった。女性の地位向上のための 基本姿勢がしっかりとあるという感じがした。その他、主に紙製品のさまざまなグッズが作られている「ウーマンクラフト」という生産者は、女性ばかり でなく障害者や老人にも就業の機会を与えたいと考えていた。そして、私たちが一番印象に残っているのがデビおばあちやん。すっかり予定が遅れて しまって、着いたのは夕刻。小さな織り機で木綿や絹で色合いのきれいな布を織り、サリーの横に下げる小さな袋をつくって「サナハスダカラ」に納めて いる。ネワール語しか話さないのだが、どんなに私たちが来るのを待っていたかを、感情を込めて話だしたら、なんとなくこのおばあちやんの言うことが 分かってくるのだから全く不思謝!門の外でいつまでも見送ってくれた。そして、その日はホームステイの日。皆で土屋さんにくっついていたのが、2人 ずつの分宿になった。いい加減な英語しか話せないが、まあやるっきやないわけで・・・。私たちの宿泊先はあのサラダさんバッグで有名なサラダさんの お宅。息子さんが二人いるが、二人とも家を出て勉強中で、ご夫婦二人暮らし。夫のバットリー氏は政府職員。サラダさんは8人の織り子さんを雇う事業 主である。お二人と織り子さんを雇う事業主である。お二人とも本当にネパールという国を何とかしたい思いで一杯のようだった。バツトリー氏は、技術 者として若い頃は、山奥の人々のための水資源開発の為に、道も無いような山奥に入ったとか。つい最近は、日本のODAの援助で日本の砂防技術の研修 を受けて国に砂防センターを建てて、後進の指導に当たっていた。「ネパールの一番の問題は公害です」と言うバットリー氏。現在は水資源と森林の保護 の為に有効なエネルギーとして、家畜の糞を発酵させてガスを取る方法の普及にカを入れている。 サラダさんは、どんな製品を作れば日本の皆さんが買って下さるのでしようと、とても真剣な表情で次々と試作品を見せて下さった。やはりここでも マーケティングの重要性を思い知らされる。 この国は一度も他国に支配されたことは無いそうだ。然し、経済的な侵略にはひとたまりもなかったという ことだろう。主な輸出品が絨毯や繊維製品では世界経済の中で自立した国として生きるのはとても困難だと思う。このツアーで出会った人々と、それを支 える人々との輪が少しでも太く強くなっていき、共に考えていくことでホンの少しずつでも変わって行けたらいいなと思っている。ナマステ 注1)1ルピーは約2円 注2)JWDC:KJanakpur Women's Development Center 「IFAT 情報コーナー」ーアジア地域会議報告ー -IFAT アジア地域会議-(ネパール) 1998 年11 月1日から11 月5日まで、カトマンズでIFAT 地域会議が開かれました。バンクラディッシュ、インド、スリランカ、フイリピン、インド ネシア、タイ、ネパール、オーストラリア、イタリア、アメリカ、イギリス、ケニア、ヘルーの14ケ国、約80人が集まり、5日間を通じて開会式、 討議、セミナー、親睦会などが開かれました。今回は、私達の活動拠点で開かれるとあって、意気揚々と参加しました。会議は、全て英語で行われまし た。参加者の肩書きは、ディレクターとか代表という方が多かったようです。会議前日の懇親夕食会でお互いに名刺交換したり、自分の団体の目的や今目 指していること、自分の活動への思いなどをお話する機会があり、翌日、女王が出席してのロイヤルパレースでの開会式、そして、出席生産者団体による フェアトレード商品の展示会が行われました。その翌日早朝から夕方遅くまで熱心に討議、セミナー、発表が行われました。 今回の討議事項のポイントは、来年、イタリアのミラノで開かれる年次総会(AGM)へ向けてアジアからの課題提起や懸案事項に対する意見をまとめる ことです。会議の初めに、会議で討議して欲しい要望事項を参加者から出してもらい、それを基にアジア・パートナーとして提言書(RegionalIssues/ expectations and formulaterecommendation)を、各参加者を6人から10 人にグループ分けして討議し、発表、質疑して行きました。その後、それを アジア地域の中でどのように協力し合えるかを翌日同じような形式で討議、発表、質疑を通してまとめあげます。そして、それを達成するためにはどう すれば良いかを最終日の討議で話し合いがされました。その概要は、以下のような内容です。 1:生産者に対する通性価格(地域における適性な価格) 2:透明性 3:買い手への責任 4:仲介者(ミドルマン)の問題 5:児童労働の排除 6:市場の拡大への取組 話し合いの中で、CONSOLIDATION(合併)という言葉を良く聞きました。お互いの団体間のコミュニケーションを図るにしろ、協力するにしろ、組織力 強化のために何らかのコンソリデーショーンが必要と強く感じていたようです。そして最終提言書は大方以下のようなものになりました。 1:アジアのメンバー間のコミュ二一ケーション(不足していると感じている) 2:品質向上 3:原材料(RAW MARTERIALS:Dye, Organic)の積極的採用とその為の技術トレー二ング そして、それを提言書にまとめあげて行く段階では、お互いの相互協力の必要性( Trade,Technology&SkillTransfer,Networking)、ラベリング(フェ アトレード・マーク)、製品開発などの話合いが熱心に行われました。ラベリングとそのモニターに関しては、来年のミラノ会議で各地域会議の意見を 織り交ぜて決定される予定です。その他、この会議を通じて、インターネットのフェアトレード・グループヘの参加を強力に推し進めている People Link 社(NPO:アメリカ)のセミナーや、ローン会社(イギリス:フェアトレード商品を購入する消費者が、更に積極的にかかわるためにお金を ここへ預け、その資金をもとに、フェアトレードにプラスになる活動を推進:一人平均預金高40 万円:会員7,000 人)のセミナーが行われました。会議 を通して感じたことは、アジアにおける日本の微妙な立場です。アジアの提言書は生産者の立場での提言(だれが決めたかは別にして)となります。買い 手としての立場は日本だけです。それも参加はネパリ・パザーロだけ。討議していても立場があまりにも違い、参加方法での違和感を強く感じました。 会議を終えて、IFAT の議長(最高責任者)、ポール・メイヤー氏(Ten Thousand Villages:アメリカ)からも日本はアジアの中でも立場が違うし、 といって、欧州、アメリカとも違う。だから、その意見や立場を反映するには、ボード(理事会)に代表を出して欲しいと思うとの話がありました。その 期待とは裏腹にあまりにも小さい日本のフェアトレード界の現状をつくづく思わされた会議でもありました。日本が世界の中で信頼を勝ち取って行くには あまりにもその経済力と比べて弱い社会活動の実態を知らされた会議であり、更にフェアトレードを広めて行きたいと強く感じた会議でもありました。 *IFAT(INTERNATIONAL FEDERATIONFOR ALTERNATIVE TRADE) 45 ケ国100 団体を超える世界的な組織で、オランダの法律に基づいて登録された団体です。世界の富と貧困の構図を、買い手と生産者が協力することに より改善していこうとしています。 「子どもたちを訪ねて」ーモーニング・スター・チルドレンズ・ホーム訪問ー(1998 年11 月) 私が突然伺った時は、憲法記念日の祝日(11 月9日月曜日)の3時近くであったので、子どもたちは全員、お家にいました。アルジユン君とレベッカ ちやん、コピラちやんそして見慣れた子どもたちが親しそうにアンクルといいながら歓迎してくれました。あと数ケ月でプレム君とジーバン君がSLC (学業終了資格検定)を控えていましたが、プレム君はかなり優秀で、第1得点圏に入るだろう、ジーバン君は第2得点圏に入るだろうとのアルジュン君 の談。3時から勉強の時間が始まり(全体の面倒はプレム君)、私は小学生低学年の子どもとネパール語の教科書を読む勉強をするはめになりました。 みな、いろいろ教えてくれて優秀です。その間も、コピラちやんが、”アンクル カンジージ、お茶をどうぞ”とネパール語で世話をやいてくれます。 いろいろなことを、時おり聞いてきます。勉強のじやまをしているみたいですね。ちよっとわからなくなると、英語で聞き返してきます。最近、意思疎通 ができるようになって来たのが嬉しい。アルジユン君と話しているあいだも、そぱにいて離れない子どもたちがいました。次のSLCを受ける子どもたちの こと、3人の看護婦になりたい子どもたちのことを話し合いました。SLCの第2得点圏をクリアーできれば、看護婦になる為の学校へ進学できる可能性が あるということでしたが、タメルのクリニックをお手伝いしているネパール人の医者の方(AMDA)が彼女達のことを理解しており、ジャパの病院がその トレー二ング機関を持っているので推薦してあげると言ってくれているそうです。ともあれ、ジャパは速い。やや心配もあって自分としても確認しておき たいと思い、UMNパタン病院の木村先生から情報を頂き、コーヒー調査でジヤパヘ行った時には訪問してみようと思いました。 ビシュヌさんとお話をしていると、そこへアメリカから来ているという女性が、”ハイ”と2階から降りて来ました。大学を卒業して次の就職までの 間、約6ケ月、ここに滞在するそうで、早1ケ月が経ったとか。子どもたちにも刺激があることでしょう。アルジユン君は、その後3日間、バネバで開か れたドラッグ防止の青年の集まりに出席。ソーシャル・ワークとして、その活動をしています。就職のことになると、大変そうでした。これから、ぞくぞ くと大き〈なる子どもたちをみていて、みんな本当に心温かい人間として良くここまで育ったなと思う反面、これからが、自分たちの本当の人生が始ま る。厳しい就職環境、労働環境の社会をみていて、なんともいいようのない気持ちになりました。(完二配) 「新人紹介」山下 亜紀子 ネパリで働くようになって、早くも半年が経ちました。以来、ずっと戸惑っているのが、人から「今何の仕事をしてるの?」と聞かれるときです。 「フェアトレード」という言葉を出したところで、すぐさま理解してくれた人など一人もいず、国際協力だとか、生産者の支援だとか、NGOだとかいう 言葉を出そうものなら、ますますよくわからない、という顔をされるのがおちです。そんなとき私は、二つの思いにとらわれます。一つは、私たちの日常 生活が、突き詰めれば実に色々な面で、いわゆる第3世界とよばれる国々の人たちを踏みつけにしているというのに、どうしてその不公平に無関心でいら れるのだろう、という失望とまでは言いませんが、それに似た思い。でも、もう一つは、日本にはまだまだこんなにも眠れるフェアトレード市場があるん だ、という希望と呼べる思いです。今はまだフェアトレードなんて聞いたこともない、という人も、いつかどこかで偶然にその商品を手にして、気に入っ て、買う機会があるかも知れないのです。そういう偶然の機会、フェアトレード商品との出会いの機会をたくさん作りたい、というのが私のネパリでの仕 事に対する思いです。入社以来、地球市民かながわプラザ内の直営店「ベルタ」の担当をしていますが、たまたま何かのイベントでいらした方が、いろん な国の手作りのものがあることに感心したり、おもしろがったりして買ってくださると、フェアトレードが広がっていく手応えを感じて、とてもうれしく 思います。皆様とお会いできるのをとても楽しみにしています。 「楽しかったネパールダンス教室」 11月28日、「フェアトレードのお店 ベルダ」の入る地球市民かながわブラザは異様な熱気に包まれ・・・というのは大げさですが、今回のネパールダ ンス数室の行われた創作スタジオ内は一種独特な空気になったのは事実。雰囲気を出そうと参加者にはパンジャビ(ネパールの民族衣装)貸しだしたので すが、総勢20名ものパンジャビの女性が一同に会し、ネパールのダンスを踊っているんですから!!何事かとスタジオを覗きに来た方も少なくありません でした。講師はアニール・サキャさんと伊藤和美さん。アニールさんは前回のネパールダンス鑑賞のときも妹のアルチャナさんと来て下さいました。今回 の曲目は「レツサンフイリリ」、ネパールといえばこの曲、というくらいの超代表的フォークソングです。振り付けは結構単純、どれほどの技術も必要と しませんが、いざやってみると単純なほうが難しいかも…、10分もすると,参加者は汗だく、最初の頃のお喋りもなくなって、講師を見る目は真剣そのも のです。4パターンほどの動きを完成させるだけでもすっかり時間オーバー。それでも何とか1曲目完成させてみんなで踊りきったときの感動はなかなか のものでした。 このシリーズぱぜひぜひ続けて下さいね♪の声も多数いただきました。次の日にはスタッフ全員筋肉痛。日ごろの運動不足がばれたイベ ントでもありました。 廣田麻紀子 「お知らせ・編集後記」 国際理解にお役立て下さい。通信販売カタログ ネパリ・バザーロでは、ニュースレターの発行、フェアトレード関連の本の出版、市民の方々の国際交流、支援の理解を深める活動も行っています。 また、フェアトレードの活動に広くご協力頂けるように、通信販売カタログを作成していますので、ご興味がある方はご請求下さい。学校、教育機関への フェアトレード商品の貸し出し、講演会、お話会など、開発教育のご協力も実施しています。お問合せ下さい。 ●21 世紀は真近。良き社会を消費者の立場から創造する、そんな実態のある選択の場が更に広がって欲しい。調査、研究が今年のキーになりそうです。 (完二) ●「百聞は一見に・・・」と言いますが、今回現地のレポートが多くうれしい限りです。大勢の人に現地を見ていただきたい。 (昌治) ●冬休みは、協力隊で派遣されている友人を訪ねてジャマイカに行き、本場のコーヒー栽培を見てきました。 (早苗) ●今回アロー織りを調べて、手のかかる作業からうまれてくるものの魅力を感じました。 (洋子)