通信21号

もくじ

<特集>@「有機栽培紅茶との出会い」
         <特集>A「ウールンガーデン」手編のセーターは宝物

「ネパール滞在記」

「海外事情」

 「サラダさん講演会」

 「新人紹介」 福井千陽

「お知らせ・編集後記


ニュースレターページへ戻る






<特集> フェアトレードの現場とその思い シリーズその1
有機栽培紅茶との出会い

ハンディクラフトでお付合い頂いている現地NGO、サナ・ハスタカラで有機栽培紅茶を扱っていることは知っていました。その紅茶の提供元が、カンチャンジャンガ紅茶農園と知ったのが1996 年。販売不振で困っていて、私達とは直接のお付合いを希望していました。そこで、1997 年5 月にネパリ・バザーロ内に紅茶輸入プロジェクトを立ち上げました。

紅茶を輸入した動機
 紅茶、コーヒー農園の歴史を振り返ると、砂糖農園のように奴隷なしではやっていけなかった時代があります。ネパールで栽培が始められたのはずーっと後であるにせよ、農園労働
者は弱い立場になりやすいだろうと考えました。そこで、できるかぎり生産者に近い立場で始めようとしたのです。ネパールのコーヒーを政府の輸出許可第1号として始めたのが199年、その経験を生かしての紅茶輸入のスタートでした。
ディリー・バスコダさんとの出会い
 その後、実際にはコーヒーの輸入に手間があまりにもかかり、なかなか紅茶輸入まで手が回りませんでした。私たちの限られた力量では優先順位を付けざるを得なかったのです。ネパールの村々に広がるコーヒーの場合は、訪問地域も広いし、数年後の生産量と市場の動向なども考慮しながら進める必要があるし、将来に向けての有機栽培証明準備や、2年後に迫る米国のHACCPという食料安全基準への準備もあり、様々な関係機関と話しあいながら一歩一歩進めなければならないので時間がかかりました。このような時、もっとも適切なアドバイスを提供してくれたのが、カンチャンジャンガ紅茶農園カトマンズ事務所のディリー・バスコダさんでした。コーヒーと紅茶は密接な繋がりがあるからです。定期的に開かれる半官半民のコーヒーと紅茶の委員会があります。ディリーさんは、そこに生産者として出席し、各地域の農民、協会、販売会社の代表者と共に、農民から買い上げる価格や、市場動向とその問題点を話し合っています。私達も、この委員会と定期的に情報交換をしたり、課題解決に向けて話し合いをしたりしています。こうして、現地の状況改善に向けて現地視察を委員
会の会長やディリーさんと共同で行う計画もしています。最近では、ネパール商工会議所とも話し合いを始めました。このようなきっかけはディリーさんとの出会いからです。このようにして、信頼関係を築きながらゆっくりと紅茶の輸入は進められています。
率先して行くことの重要性
 第3世界といわれる国の政策がうまく行かない理由の一つに、国全体の将来に向けて率先して道を切り開いて行く人がいない(イニシアティブを取る人がいない)という現実があります。ですから、ある程度、イニシアティブを取る労力が必要で、これは時間がかかりますが、フェアトレードの活動として避けて通れない促進活動だと思っています。
カンチャンジャンガ紅茶農園
 カンチャンジャンガ紅茶農園は、首都カトマンズから遠く離れた東ネパールのパンチタールという丘の多い地域にあります。インドのダージリンの隣、ネパールのイラム地域とも隣どうしです。世界的にもっとも美味しい紅茶ができる地域です。この農園は、協同組合的組織で農家の人々自身の力により1984 年に始められました。100 を超える農家が手を取り合い、自分達の土地を出し合って最初の協同組織の紅茶農園のオーナーになったのです。彼らの生活を維持するには不充分であったその土地で、今では、換金作物を生産し、生活改
善に役立つようになっています。更に、有機農業を通じて、消費者の安全と農園で働く人々の安全を確保しています。このようにして、周辺の多くの小さな農家がやせた大地でも有機手法で紅茶や他の穀物を育てることができるという農業改善の良い動機付けともなっています。
有機栽培の紅茶って? 牛糞?
 有機栽培紅茶は、環境にやさしく配慮された紅茶農園作りを目指したもので、肥料や殺虫などの自然な手法を用いて実現して行くものです。それにより、大自然のリサイクル循環に従って行くことが可能となり、安全な食品、働く人々の健康を守るだけでなく、環境にもやさしくなることを意味しています。たとえば、各家庭で飼われている牛糞は、ワラとこねて日干しをして堆肥にし、5 月から10 月の間に集められます。有機に取り組んでいる農家を訪ねると、子どもたちが牛糞作りのお手伝いをして、周りでヒヨコが遊んでいる姿を目にしたことがあります。ヒヨコは、ミミズがいるので、近寄って来るのです。それだけ、土にとって良いのでしょう。その他、鳥糞、ジャングルから集めた葉も使われます。こうして、土壌の改善がなされて
行きます。また、野生のイラクサから取れる液体は、アザミウマやアブラ虫に有効な自然の防虫剤となります。
食料安全基準への動き
 この農園が提供するヒマラヤンワールド紅茶は、1998年にオーストラリアの有機農業の証明機関NASAA(The national association forsustainble agriculture,AUSTRALIA Ltd.)の認可を受けています。更に、米国のNASA(航空宇宙局)が宇宙飛行士の食品の安全性を確保するために始められて、広く食品工場に導入されるようになってきたHACCP(Hazard Analysis Critical Point)という食品衛生管理の準備をしています。
農園の果す役割
 このようにして出来あがってきた農園は、現在、この地域ではどのように役立っているのでしょうか。この地域で収穫された紅茶をイギリス、ドイツ、ノルウェーのフェアトレード団体と
日本のネパリ・バザーロに販売した収益をもとに、歩道、橋を作ったり、生活施設を作ったり、医療施設を作るなどの環境整備に役立てています。更に、ローンの提供や、学費援助などにも役立っています。ここの紅茶の輸出の多くは、紅茶を飲む習慣のヨーロッパの国々と私達に直接顔が見える状態で出荷されています。従って、消費者の方々と生産者の方々が、立場は違ってもお互いに共存共栄している状態です。お互いの生活に役立っていることを実感しています。
<茶摘み女性の一日>
ネパールの東部、世界で3番目に高い山「カンチェンジュンガ」の麓には、青々としたお茶畑が広がっている。ここでお茶摘みとして働いているサラスワティ・グルンは、快活な女性。彼女は、朝8時からドコ(背負いカゴ)を担ぎ、深いお茶の木の茂みに入り、器用に注意深くお茶の葉を摘む。熟練している彼女の指は、ほとんど機械的に確実に緑の葉を摘み、背中のドコに入れる。一番重要なのは、細心の注意を払って、お茶の葉を傷めないように扱うことだ。途中、お昼には自分の家から持ってきたお弁当を仲間たちと一緒に食べ、世間話に花を咲かせる。午後2時頃、サラスワティはお茶畑に戻り、もう3時間摘み取りを続ける。太陽はゆっくりとゆるやかな丘に姿を隠し、女性たちは再び集まる。茶葉はその後5−7時間で出荷される形態に加工される。このお茶がサラスワティの口に入ることはないが、どこかの国の人々がこの紅茶を楽しんでいることを彼女は知っている。


<特集> 生産者を訪ねてシリーズ その8
ウールンガーデン ー手編のセーターは宝物ー      土屋 春代

出会い
 毎年セーターの時期になると頭が痛くなった。重くて嵩張るセーターを何百枚も目の前にして呆然としていた。冬に売るものといえばセーターぐらいしかなかった頃。お客様によく言われたのは、手編で手が込んでいてすごいけど…重いのよね〜、暖かくていいけど…重くなければね〜、いいわね、素敵ね〜でも肩が凝りそう、等など。生産者に軽い糸がないか軽く作れないかといくら言っても「これで他の国には売れているから」でも日本は軽くなければダメなのよ、「ウールは重い方が上等」そう言ってみたけれど効果なかったわ、「速く編め
るから」なるほどね、でも売れなければ在庫が溜まるだけ、来年は仕事が無くなるかもよ。4 年前ウールンガーデンの店先で軽いセーターを見つけた時、あるじゃない、作れるじゃない、と飛び上がるほどうれしかったのだ。
技術を覚えて
 ウールンガーデンはマティナさん(29才)という女性が14年前に始めた。その頃彼女は世界銀行が資金を出してイギリスから専門家を招いて手編技術の講習会を開いた時に指導を受けた。その後仕事として取り組むようになり一緒に指導を受けた近所の女性達にも依頼しながら続け、仕事が増えるに従い兄弟姉妹も手伝い、役所を退職した父親も手伝うようになり発展してきた。今では140人ほどの編み手を抱え店もカトマンズとパタンに2店営業するまでになった。編み手の女性達はそれぞれの家で家事、育児の合間に仕事をし、パタンの店の2 階、3階の小さな工場では新しいデザインを指導したり、ウールを染めて糸を配分したり、ボタン付けや仕上げ検品など最終行程をしている。
力を合わせて
 冬が来てセーターを販売している頃、すでに次の冬のセーターをデザインする。手紡ぎの撚りの粗い糸の風合いが活きるような、根気のいる細かい柄を鮮やかに編む人たちの技術
が光るようなデザインを考えなければとプレッシャーが掛かる。機械では出せない味のある手編ならではというセーターをデザインして編む人たちの努力が報われるように、と考える。街にでて行き交う人々の着ているものを見る、参考になりそうなものを着ている人を見るとついジロジロと見てしまう。後ろに回ったり横から見たりとウロウロする。目つきの悪いヘンなやつ、と思われそうだ。ようやくいくつかの案が浮かぶとデザイン画を描き色を入れていく。1月に出張した時にマティナさんたちと編み方の打合せをする。編み込み模様の色の組み合わせは色番号を指定した表を渡して10センチ四方ぐらいの大きさで15種類前後編んでもらう。ほんの少し色を変えただけで印象がガラッと変わるのでこれはとても重要だ。組み合わせを絞り込んだ後デザインの基本は同じで少しづつ変化させたセーターを5種類ぐらいそれぞれ地色も3、4色変えて編んでもらいスタッフ全員で選ぶ。4月の出張の時最終決定に向け細かい微調整をするがこれは編む人の手間が掛かり一番大変な作業だ。完成に近付けば近付くほど細かい欠点が見えてくる。もういいか、もう我慢しようかとこちらが気後れしてくる。すると真剣な顔で「言ってください、どんなことでも。良いものを作りましょう。お客様に気に入って頂いてたくさん売れれば私ちの仕事が増えます」と逆に励まされる。これならというものができた時お互いを労う感謝の気持ちで一杯になり連帯感が生まれる。再び日本に送ってもらい皆で検討して注文数を決める。5月末か6月初めにはその冬の注文をしなければ間に合わない。編む時間はできるだけ余裕を見て考えなければ編み手の人に負担が掛かり、丁寧な良い仕事ができなくなる。女性達にとってこの現金収入は子ども達の教育費やたまに食べるご馳走、家族が病気になった時の治療費等にととても貴重だが、だからと言って家事、育児、数多い祭礼の準備を怠ることは許されない。10 月からの祭礼シーズン前に仕事が終わり、収入が得られるようにと時期を計ってオーダーしなければ良い製品はできない。
どういう生産者と付き合うか
 ウールンガーデンは抱えている編み手の人たちを大きな家族と言っている。仕事のある時だけ頼むのではなく年間を通じてオーダーをだし、収入が途絶えない様に気を配る。だから売れないシーズンは在庫が増え負担が大変だが、ビジネスだけ考えるのではなく皆が幸せになるようにしたいと言う。収入を特に必要としている女性に仕事を多く回したり、遠くに引越しても働かねばならない人には運送のリスクを負っても仕事を回すなど気を使い人の情を大切にしている。だから編み手の人達も良い仕事をして応える。どこよりも早くスイスの染料会社のアゾ(* 1)の入っていない染料を使い始めたのもここで、環境問題にも気を配り研究熱心だ。ウールンガーデンはNGOではない。私企業である。ウールンガーデンに出会う前セーターで付き合っていたのは2ヶ所のフェアトレードNGOだった。しかし一つは実績に自信を持ちこちらからの提案は受け付けず、一つは身寄りの無い子のホーム運営、職業訓練所の運営などの活動にお金が掛かるので製品の値段を高くしなければやって行けないからと市価の倍の高価格。日本で販売する価格はチャリティー価格ではない。一般の市場に受け入れられる価格にしなければ続かない。そしてマーケットの好みにも合っていなければ。取引をする相手を選ぶ時NGOだから付き合う、NGOではないからダメと決めるのではなく、何を大切にし、どういう仕事をしているかを良くみてお付き合いしたいと思う。それがフェアトレードの基本だと思う。
* 1:アゾ染料 アゾ化合物のあるものは染料として用いられるものが多い。それらをアゾ染料という。特長としては、低温で、しかも硬水でも安定した染色が可能で、価格も安く広く使われている。染料の70% はアゾ染料といわれている。このアゾ染料のうちのある種のものは、ドイツでは、発ガン性があるとして、人間の肌に直接触れる物へ染料として使用するのを禁止している。日本でも、研究発表レベルでは、河川などに流れて還元などの処理過程で発ガン性物質を作り出すことがあると示唆されている。(アゾ染料全てに発ガン性があるわけではないので、注意して下さい。
ワーカーのご紹介

チョリ・マヤさん(45 才)
 工場で仕上げ、検品作業(糸の結び目が表に出ていたら中に入れる等)をしているチョリさんは口が不自由で言葉をはっきり発することができない。7年前に薪を売る店に勤めていた聾唖の夫が亡くなってからカーペット工場で働いていたがひと月に800ルピーにしかならず息子、娘の3人暮しでも一日一食がやっとだった。5年前からウールンガーデンで働くようになり収入は数倍になった。一日でも収入が無いと困るチョリさんにマティナさんたちはその日からできる仕上げ・検品作業を依頼した。チョリさんは朝8時から工場に来ると夜遅くまで働く。昨年ネパリ・バザーロのセーターの検品のピーク時は朝6時から夜12時まで働いたという。事情を知るマティナさん達は食事も出し応援した。現在、14 才の長男はチョリさんの弟の店に住み込んで手伝いをしながら学校に行き12才の娘さんと二人暮しだ。チョリさんは仕事がたくさんあると張りきるという働き者だ。一緒に工場で仕事をする人達の冗談に耳を傾け
ながら楽しそうに働いている。

チャンドラ・クマリさん(58 才)
 ウールンガーデンの編み手の中で最年長がチャンドラさん。マティナさんと講習を受けて以来一緒に仕事をしている最も古いメンバーでもある。9年前夫を亡くし息子2人娘3人を育て、現在は長男家族と共に住む。7人家族で生活が厳しく朝4時頃から編み始める時もあるという。起きるなり針を持ち夜寝るまで編むよ、と笑う。独身の長女ニルマラさん(26 才)と一日中せっせと編み針を動かしている。2人で一月に30 枚ぐらい編み、平均月収1万ルピーぐらいだという。直接の報酬だけでなく長男が学校へ行っていた一番苦しい時マティナさんの兄でウールンガーデンを取り仕切っているバスカルさんが学資を9年間支援したという。チャンドラさんは大きな家族と言われるウールンガーデンの中で守られ敬愛されている。


「ネパール滞在紀」

1 0 年来の夢を実現させて現地へ
 10 年来の夢を実現させて、定年退職後、カトマンズに住んでいます。何をしているかと言えば、語学学校に通うことを中心に、自宅で洋裁を教えたり、パタンにあるNGO、マハグティ( 通信16号参照)で、ネパリ・バザーロからの注文品(ブラウスやワンピースに限定)の製品チェックをするのも、仕事の一つです。
語学を学びながら、縫製の技術指導 ーあまりにも重いミシンに驚いてー
 マハグティの縫製棟では、約25名の女性が働いています。ある朝ワンピースを手にとると、しっとりと湿っています。前夜の雨が吹き込んでミシンも布地も濡らしてしまったのでした。冬は寒く夏は暑い作業室で、彼女たちは30分の昼休みも惜しんで、ミシンを踏みます。ジャンジャンジャンジャンすごい勢いで縫い進めるので、ラインが曲がったりはずれたりするのも当然です。早速「もう少しゆっくりと丁寧に」と注意にいきました。でも自分で実際に踏んでみて、よく分かりました。ゆっくり踏むと、ミシンはピタリと止ってしまってテコでも動いてくれません。力まかせに踏み続けるしかないのです。このような悪条件のもとで、たくましく、そして心やさしい女性たちです。私にも「やせたようだけど、大丈夫?」と声をかけてくれます。
自宅で洋裁教室
 自宅での洋裁教室の目的は、デザイン画の読解力を身につけること、また丁寧な洋服作りを知ってもらうことです。カトマンズでもこの数年雨後のタケノコのようにブティックが軒を並べるようになりました。外国人にとってはさみしいことですが、ネパールも急速に洋装化の波をかぶることでしょう。働く場の少ない女性たちでも、しっかりした技術を身につけさえすれば、自立の道は拓かれるのではないかと考えるからです。教室には、マハグティで働いている人たち4人が通ってきています。まず各々のサイズの原型をおこし、日本のデザイン雑誌から好みのデザインを選んでパターンを作りました。直角とう言葉がない(?)ネパールですので、正確な線を引くことの大切さを分かってもらうことから始めねばなりません。2ヶ月かかってようやくワンピース1着を仕上げて、先日記念撮影をしました。でも実際は、彼女たちに度々助けてもらう場面がありました。毎日縫製にたずさわっている人たちですから、私よりもむしろ経験が豊富です。カッティングや手順など必要な時には、喜んで彼女たちの指示を仰ぎました。
雨季は体に良い?
 通いなれたネパールですが、雨季を過ごすのは初めてなので、少々不安でした。ネパール人に言わせると、この時期の雨は体にいいのだそうで、濡れることをいといません。でも近年の排気ガスをたっぷり含んだ雨はどうなのでしょうか。朝は晴れていても、昼過ぎには一転にわかにかき曇って空が真っ黒になったと思うと、ドシャ降りがいっとき続きます。夕刻にあがってもまた一晩中降り続くという毎日です。その雨上がりの気持ちのいいこと。雨雲を追い散らすように広がっていく青い空。これまた大急ぎで立ち昇っていく山沿いの白い雲。色も形も次々と変化していってあたかも天空のドラマを見ているよう。そんな夕方は、ご近所の人たちも家の前や屋上に出て、おしゃべりを楽しんでいます。今年は雨季入りが一ヶ月遅れだったらしく、田植えの時期なのでお百姓さんは大分やきもきしたようです。カトマンズもちょっと郊外に出ると田園が広がっていて、田植え風景がかつての日本で見られたのと全く同じなのです。つい立ち止まって見入っていたら、通りすがりの人がいろいろ説明してくれました。半分も分からなかったけど。雨季もなかなか捨てたものではありません。
テンプーの中は助け合い
 さて、通勤の様子はどうかというと、先に紹介した仕事場、マハグティにはテンプーを乗りついで通っています。オート三輪に幌をかけただけのもので、10 人も乗れば満杯です。膝をつきあわせた状態ですが、片道20円ですから文句は言えません。子どもは無料なので混んでくると席を立たねばならないのに、その隙間もない。そんな時は、隣のおじさん、おばさんがヒョイと自分の膝に抱き上げます。子どもの方もむずかりもせず当然のごとく抱かれています。日頃協力しあうことが苦手といわれているネパール人ですが、いえいえどういたし
まして。庶民の足テンプーの中では、なかなか和やかな場面が展開されているのです。夕方のラッシュ時には、集金係りが出入口の足踏み台に立ちます。大抵10才前後の若い男の子たちです。学校にも行っていないであろうのに、テキパキと釣銭を渡していきます。私が手間取っていると(お札が汚いのため判りにくい)心配そうに手元を見ています。サンキューと
言って手渡すと、ニコッと笑ってくれます。それが、思わず、どうぞ健やかに育って欲しいと祈らずにはおられないような笑顔なのです。先日も、ほとんど裸に近い体を真っ白に塗った修
行僧が髣髪をなびかせてテンプーに負けじと自転車を走らせているのを見かけました。余程の急用だったのでしょうか、いつもは静かな立ち居振舞いの修行僧の力走ぶりに、テンプーの中は笑いに包まれていました。てな具合で、カトマンズ生活を楽しんでいます。アのミラノで世界会議を開きました。


「海外事情」
NEWS!: 生産者の人間性を尊重
 フェアトレードの組織化は、ヨーロッパを中心に動いていますが、その代表的存在、13ケ国15団体で構成されているヨーロッパ世界ショップ・ネットワーク、NEWS!(NETWORK OF EUROPEAN WORLDSHOPS)は、その2年間の活動結果をまとめて公表しました。現在、約2,500 店舗が加盟しています。今年の5月8日のフェアトレード・デイは、このNEWS!によるものです。NEWS!では、EUROPEAN WORLD SHOP 痴DAY と呼ばれ、毎年、5月の第1週に行われることになっています。ディグニティという標語は、1997 年のフェアトレード・デイに使われ、それは、一見華やかな衣服の国際企業であまりにも不公平な状況においやられている労働者に焦点をあてたキャンぺーンでした。

IFAT: 小規模生産者と歩む道を模索
 フェアトレードの生産者と販売者からなる世界的組織であるI F A T(INTERNATIONAL FEDERATION OF ALTERNATIVE TRADE)は、この5月にイタリアのミラノで世界会議を開きました。生産者にしても販売者にしても、販売するものがフェアトレード商品と一見してわかれば、販売がしやすいと考えています。IFAT としても、そのために、数年をかけてそのラベル表示、認定基準の検討をして来ました。しかし、私達の最終目標は、力のない生産者と協力し合いながら、品質を改善し、自立を果たして行くことのはずです。認定のための評価は、小生産者を締め出すというパラドックスを含んでいることを感じて、如何にその基準のよりどころを置くかを話合った会議でもありました。


「サラダさん講演会」

解説と講演
 ネパールで女性たちのためにコットン・クラフトという工房を運営するサラダ・ラジカルニカルさんが、ネパールでの実践、女性たちの状況を話しました。「ネパールは産業が少ないため、仕事がなく、特に女性は地方でも都会でも、経済的社会的に厳しい状況にあります。夫の赴任で12年以上地方の山岳地帯に暮らすうち、そうした女性たちに就業の支援をした
いと心に秘めるようになり、1 9 9 3 年カトマンズに戻ったのを機に、小さな工房をはじめました。しかし、製品や品質管理、マーケティングの知識がなかったため、なかなかうまく行きませんでした。ネパール女性起業家協会(WEAN)のことを知り、技術向上、価格設定、包装、草木染めなど有効な研修を受け、質を上げることができましたが、それでも市場を確保するのは困難でした。1996年にネパリ・バザーロに出会い、私たちの製品が日本で売れるだろうと言われ、本当に嬉しくて、いっそうの努力をしました。日本での注文が次第に増え、工房で働く貧しい女性たちの経済状況は好転してきました。女性は就業の問題を抱えていますが、仕事を見つけ、技術を向上させても、家事との両立という問題に行き当たります。ネパール女性は、家族の世話を最優先させなければなりません。また、数多くの祭で宴会の準備をするのは女性たちです。好条件の注文があっても、祭のために応じられないという問題がでてくるのです。しかし、働く女性たちとの協力関係とオーダーをするネパリ・バザーロが理解をしてくれていることで、スムーズに運営がされているのです。この工房は、利益のため
ではなく、貧しい女性たちへの社会活動として始めました。しかし、苦労して育てた果物は甘いものです。この仕事のおかげで、私は国内外の多くの人に会うことができました。家にいて、家族や親戚の中だけで暮らしていたら、ありえないことでした。私がやってきたことは、開かれた世界へのまさに第1歩なのです。」

<コットンクラフト>
ネパール人女性サラダ・ラジカルニカルさんが1993 年に始めた木綿やヘンプ(麻)の小物を作る工房です。就業の機会の少ない女性たちに職場を作りたいと、自宅の庭に作業場を作りました。学校で縫製を学んだ女性達がさらに技術を磨き、丁寧に仕事をこなしています。サラダさんは、彼女たちに仕事を教える傍ら、市場確保のため営業や商品開発にも力を入れています。


「新人紹介」 福井 千陽
      
 人種・文化のるつぼニューヨークを放浪していたころがあります。ただひたすら、ギャラリーやら、シアターやらにはまり込んでいたのですが、そこで私が衝撃を受けたのは、文化や芸術よりも、むしろ企業の社会参加・貢献の姿でした。税金対策とは言われますが、美術館を作ったり、ボランティア活動を推進したり、環境問題に取り組んだり。利益を生み出しながら、一方で社会のために活動をする企業の姿。はは〜ん。企業とはお金儲けだけではいかんのではないか?いや、むしろ企業が率先して動かないかん社会的義務があるんじゃなかろうか?と。市民活動も大切だけど、企業の力をもっと活かせればいいんではないか?などと思ったのです。コンサルティング会社に勤め、様々な企業に企画提案をする際、企業メセナの意義と必要性を訴えようと試みました。しかし、バブルがはじけ広告費はカット。社会的事業なんて余裕無い!状態。そりゃぁ会社が存続しなければ社会事業も成立しないわけで、仕方が無いことだと思ったのですが、欧米企業の動きを知れば知るほど、なんでかなぁ。社会づくりって何なんだろうなぁ?日本って?と思うばかりでした。その後、また放浪を続ける中で、フェアトレードの考えにぶつかりました。アフリカでのことです。小学生ぐらいの男の子が、自分で造った石像を売りに来ました。必要ではなかったので断ったのですが、後から考え、もし私が買っていれば、彼の生活の足しになったのかもしれない。ただ手を出してお金頂戴。何か頂戴!! と言われることに抵抗はあるけれど、車を磨く。靴を磨く。何か作って売る。彼らの一生懸命の労働を、きちんと評価することが出きれば、それは彼らの生活の支えになるんだと。フェアトレードにも色々な考え方があるようです。私はまだ勉強中ですが、何が現地の人々の為に、社会の為に出きることなのか。そのポイントに眼を据えて行動して行きたいと思います。社会参加する仕事。ネパリ・バザーロでは、身体に障害を持つ方の施設とも協力しています。素敵なことだと思います。自分の利益だけでない生き方。出来たらいいなぁと思っています。よろしくお願い致します。


「お知らせ・編集後記」
 国際理解にお役立て下さい。通信販売カタログ

 ネパリ・バザーロでは、ニュースレターの発行、フェアトレード関連の本の出版、市民の方々の国際交流、支援の理解を深める活動も行っています。また、フェアトレードの活動に広くご協力頂けるように、通信販売カタログを作成していますので、ご興味がある方はご請求下さい。学校、教育機関へのフェアトレード商品の貸し出し、講演会、お話会など、開発教育のご協力も実施しています。お問合せ下さい。

<ボランティア募集!>
 イベントのボランティアをはじめ、様々なボランティアを募集しています。お気軽にお問い合わせください。

編集後記
●ここ1年の私達のテーマは、一人一人の幸せを願って。ここ数年のフェアトレードの動きは、ネットワーク化。どれも難しいですが、平凡な人間らしさ、生活感覚、思いやりの心を大切に進んで行きたいと思います。(完二)
●貧困・人権・教育・ファアトレード・協力・支援・・・考え出すと終わりの無い問いになりそうな中で、ゆっくりでも一歩づつ進みたい、そんな想いが私を支えているのか?と自問するこの頃です。(昌治)
●ネパールで支援先の子ども達に会ってきました。すっかり背の高くなった男の子たち、仕事に就き、結婚し巣立っていく年長の子達・・・支援を始めて8 年。年月の流れを感じま
す。(早苗)
●日頃何気なく飲み親しんでいる紅茶ですが、歴史や葉の種類などを知るうちに、人々の、お茶に対する愛情の深さを知りました。ゆったりとお茶を楽しむ時間、大切にしたいですね。(洋子) 

ニュースレターページへ戻る


  <common@nbazaro.org>
  ご意見、ご感想をお送り下さい

This page is presented by Nepali Bazaro.
All rights reserved.