通信23号

もくじ

特集1:遠隔地事情 マハグティの活動を通してみたネパール もうひとつのアローを訪ねて(福島県昭和村) 特集2:「スプーン/フォーク加工職人」熱き思いをお店に込めて おいものせなか     新田文子 ◆FTと「あおもり開発教育研究会」の活動  研究会 川村宏義 ◆新しい動き「中西ネパールから」   ◆海外の動き      ネパールの新聞から & IFATの動きから ◆地域との交流 / 学習会              高橋純子

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特集1:遠隔地事情
マハグティの活動を通してみたネパール

 2000年2月18日、19日と、地球市民かながわプラザでマハグティのスレンドラ・サヒさんをお呼びしてフェアトレード公開講座が開かれました。そして、翌日は、更に学習会が行われ、活動の詳細を聞くことができました。
 以下、そのマハグティの活動が当時如何に大切であったか、そして、ネパールの遠隔の地域にどのように貢献してきたかをお知らせしたいと思います。

◆マハグティの歴史
 マハグティは、ネパールで活動しているFTGNというハンディクラフトを扱うフェアトレード・グループの構成メンバーの一つで、一番長い活動の歴史を持っています。
 約75年前に貧困に苦しむ女性達の生活向上と人権擁護のために訓練施設を作り、その後、避難所としてのアシュラムを開きました。1984年、アシュラムの運営と販売市場の確保のためにマハグティのハンディクラフト部門が設立されました。スレンドラさんは、その「マハグティ」の運営の中心的な人物で、その15年前のハンディクラフト部門設立当初から関わってきました。

◆財政面の支援を行う「マハグティ」
 財政支援と販売市場の橋渡しを行うマハグティを設立したことにより、いろいろな変化がありました。
 まず、技術を習得した女性達が自分達で作った物を販売し利益を得るための手段を確保することが出来ました。当初はその利益の75パーセントをアシュラムに入れていました。(今は40パーセントですが、金額の絶対値は同じです。)
 設立当初は事務局スタッフ3人、生産スタッフ3人でスタートした「マハグティ」ですが、現在では事務局に25人、工房に45人、村での生産者700人を数えるネットワークに成長しています。

◆市場作りとその努力
ネパールの人で自国の手工芸品を買える人は極少数なので、海外からの観光客を除いて国内市場はほとんど期待できず、海外市場にその販路を求めて色々な努力をして来ました。しかし、そうなるまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。作れば買ってもらえる時代から、質とデザインを重要視する時代へ入ると、設備の更新、トレンドの変化が激しく、一時、売上がマイナス成長に入ったこともあります。そこで、買い手側へアンケートを出したり、直接アドバイスを受けたりと、その変化に適合する努力もして来ました。
 生産者に対しても、デザインや縫製のトレーニングを行い、市場の動きや傾向などから質の向上と生産意欲の高揚まで幅広い研修に努めています。福利厚生面では、貯蓄の推進(本人と組織が2分の1づつ負担)や薬代の補助、原材料費の前貸し、縫製や織りの道具の貸し出しなどを行っています。

◆遠隔地の支援
 遠隔地の支援としては、ダカ織り、アロー織り、民族楽器、ミティラアート、ハーブなどを中心に取組んでいます。ネパールの起伏に富んだ地形を活用して、様々な民族が多様な仕事分担をすることによって、伝統的な習慣を守りながらも現金収入を得る手段の提供に努力を払って来ました。
 14年前から、東ネパールのサンクワサバ地区
(カトマンズからバスで18時間又は飛行機で30分かけ、そこから更に歩いて3日かかる)では、
アロー製品の生産販売による僻地の女性達の自立・社会参加をサポートする活動を展開しています。
(*これについては、1999年2月発行の通信第19号の特集をご参照下さい)

 このプロジェクトは、1984年イギリスのNGOの調査が始まりで、もともとこの地域の昔からの伝統的な技術であり各家庭で自家用に作り日々使用していたアロー製の衣類やベルト、ザックなど生活用具を、カトマンズや他の国で販売することで彼らの収入向上を図りました。それにより女性の地位向上と生活安定に役立つことを願ったものです。

 これも、最初からうまくいった訳ではなく、外国のNGOやカトマンズの関係者がその指導に通い、素材の特性と民族色を生かしながら、改良を重ねてきたものです。
 当初に比べて製品の種類も増え、材質の安定、サイズや色のバランス、計画的な生産など色々な所で改善改良がなされ今日に至っています。特に、生産のための組織体制が、センタークラブ(1つ)とサブクラブ(現在11ある)で構成され、その責任と連帯・共生を意識しており、差別や格差を無くす動きになっているのが特徴です。

 このクラブに参加して、織りを習い製品をクラブに納入して賃金を得たある女性は、「これまで家庭での発言や自分の意志表示も出来なかったのが、夫や家族(主に夫の親)をはじめ大勢の人の前でも話が出来るようになった」そうです。

 それまで自分の畑からの生産物では半年分の食糧しか収穫出来ず、後の半年分は借金(主に村の金貸し=利子が高い)をするか、出稼ぎに行くしかなかった状況が変化し、今ではその必要が無くなりました。また、生産だけでなく識字学級(大人の女性の殆どが読み書き出来なかった)の運営をし、参加者は自分の名前が書けるようになり、子どもを学校に行かせるなど大きな変化が見られています。
 まだまだ生産の安定性や品質の改善など、成すべき事が沢山ありますが、少しずつ改良、努力をしています。

 このように、遠隔地の村の伝統と民族性を考慮しながら、そこに住む女性達の人権や社会的地位の向上を目指して、「マハグティ」は出来る限りの支援をしていこうとしています。
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もうひとつのアローを訪ねて(福島県昭和村)

-福島県昭和村、酒井美智代さん宅訪問記-
         矢島万知子/編集部

 浅草から電車で3時間半、窓の外は白一色となり、ヒマラヤの峰以外に雪を見るのは初めてというスレンドラ・サヒさんは嬉しそう。私達は、会津田島駅より更にタクシーで40分の「からむし織り」の里、昭和村を目指した。
 からむしはイラクサ科の植物で、現在では昭和村と沖縄の宮古島だけで栽培されており、長さ約2mの茎から繊維をとり、布に織る。福島県でも最も山深い奥会津にあるその村は、かつては昔からの自給自足の農業では半年しか暮らせず、出稼ぎに頼らざるを得なかったが、25年程前、からむし織を村の事業として育てようという「村おこし」が始まった。
 今回の旅の目的は、同じイラクサ科のアローで布を織り、貴重な現金収入を得ている、ネパール、サンクワサバと関わるスレンドラさんに、日本のからむしと、それに携わる人々を紹介することにあった。
 2mを越す積雪で足元もおぼつかない私達を酒井さん一家は温かく迎えてくださった。酒井美智代さんは「村おこし」の織りの指導者であり、現在は自宅で糸作り、織りをされ、その作品は高い評価を受けている。白い、デリケートな繊維で織られた作
品は美しく、凛とした張りがあった。

 からむし栽培をする酒井さんのお父様達は、「各戸から機(はた)音の聞こえる村に」と唱えてこられたが、今は家で織る人も少なくなった。なにしろ着物一反分の糸を績(う)む (皮を剥いで干した繊維を細く裂き、撚り合わせながら一本の糸に繋いでいく) のに2ヶ月かかり、それを織り上げるのに3ヶ月かかる作業である。
 仕事場に飴色に使い込まれた道具がたくさん置いてあった。村のお年寄り達が、「機音が聞こえたから」と背負ってきた道具を酒井さんに託していったという。
 糸を績むところを見せていただいた。短い糸と糸が撚り合わされ、一本に繋がっていく。酒井さんのお母様や村の女性達の織りへの思いが、こうして綿々と繋がれていくのだという気がした。
 農作業や村の行事に携わり、家族を気遣う中で織り続ける酒井さん。織りが特別なものではなく、日常のことであったことに気づかされる。そしてその姿に、子どもの世話をしながら、糸を撚る手を休めないサンクワサバの女性達の姿が重なった。
 ネパールで農業をして暮らしてみたくなったとおっしゃる76歳のお父様と、別れを惜しむスレンドラさん。
 私達が帰った後に、村と駅を結ぶ峠が大雪の為に通行止めになったと聞いた。   
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特集2:「スプーン/フォーク加工職人」
ー地道に取組む人々ー
           山下亜紀子

◆迷路のような道を苦労しながら訪問
 象やフクロウの柄で人気の、スプーンやフォークを作っているサヌ・バイ・スナルさんのことは、以前に他のスタッフが訪問した時のビデオで知っていました。
 今回、その彼にお会いしたいと、その製品のマーケティングを行なっているNGO、サナ・ハスタカラのロミラさんに案内をお願いしました。
 電話でまずは道順をたずねるところから始まりましたが、結局よくわからなかった私たちを迎えに、サヌ・バイさんはわざわざサナ・ハスタカラまで駆けつけてくれました。聞けば電話をしたときはちょうど食事の真っ最中だったとのこと、本当に申し訳なく感じながらのご対面となりました。

(注)サナ・ハスタカラ:
100を超える個人や数人規模で製品作りをしている小さな生産者たちを抱えて、マーケティングや輸出業務を行っています。その生産者と私達、ネパリ・バザーロの橋渡しをしてくれています。


◆自然の淡い光で作業に取組む
 パタン市のラガンケルという地域は、水の便などがいいことから小規模産業区域になっていて、小さな町工場が見受けられます。サヌ・バイさんの工房は、ラガンケルの、通りからは少し外れた、2〜3階建ての家々が密集する一画にありました。よく晴れた暖かい日だったため、ひなたぼっこをしている女性たちや子供たちが、あちらこちらの屋上から路地を歩いてくる私たちを眺めています。
 亡くなったお父さんが残したという小さな土地に、サヌ・バイさんは3年ほど前に家を建て、その1階を工房としています。暗い部屋の中で5人の職人さんが黙々と仕事をしていました。中の2人は、サヌさんの息子さんだとのこと。多くのネパール人がそうであるように昼間は電気もつけず、窓から入る淡い光だけを頼りに、細かい手作業をこなしています。

◆こんなに手がかかるスプーン作り
 まずは、スプーンをつくる工程をサヌ・バイさんに見せていただきました。

1)最初に、これから作る1本のスプーンの見本を土に押し当てて鋳型をとります。
2)次に、土で出来た容器に原材料であるホワイトメタル(洋銀)を入れて、火で熱して溶かしていきます。
3)その溶かしたあつあつのホワイトメタルを、最初に取った土の鋳型に流し込んだと思ったら、一瞬にして固まるらしく、すぐ鋳型を開きます。
4)すると、ころん♪とフクロウの柄の小さなスプーンが転げ落ちてきました。

 シャッターチャンスを逃すまいとカメラを構える私の横で、ロミラさんが「まあ、なんて面白い!」と黄色い声をあげると、それまで静かに仕事をしていた職人さんたちが大爆笑。和やかな雰囲気になり、ぽつりぽつりとしか話さないサヌ・バイさんに代わって、下の息子さんが「1本作るたびにいちいち鋳型をとりなおすんです。手間だけれど、これがずっと私たちのやってきた方法だから、他のやり方ではできないよ。」と語ってくれました。
 一度使って壊した鋳型の土は細かく砕かれて、また鋳型を作るのに再利用されます。

5)この時点では、スプーンには鋳型に流し込んだ時の流し口の型もそのままくっついているので、それを取りのぞき、次にヤスリで全体をこすって形を整えます。
6)そして、ここでやっと文明の利器(?)、電動ローラーの登場です。ローラーに金属用の紙やすりを巻きつけておいてスイッチを入れ、猛スピードで回転するローラーにスプーンを押し当て全体をやすりにかけ、なめらかにします。
7)次に、真鍮磨きを塗った布地を巻いたローラーに付け替えて、磨いてつやを出していきます。しかも、このやすりローラーと磨きローラーは、スプーンの表用と裏用とそれぞれ用意されていて、片側を終えるといちいち付け替えなくてはなりません。
ローラーの形をよくよく比べてみると、表用のものはローラーの中央が膨らんでいて、裏用のものは中央が少し窪んでいます。作るものの形に添うように工夫してあるのです。
 「1本のスプーンに、こんなに労力がかかってるんですねえ」と、感心しつつローラーの写真を撮っていると、先ほどの息子さんが「まだこれで終わりじゃないんです。ふっふっふ…。」と得意げに何やら赤い粘土
状の物体を持って近づいてきました。
 「これは赤い真鍮磨きで、これで仕上げると、つやが出るどころではなく、ぴかぴか光るようになるんだ!」と言って、
8)ローラーにその赤い真鍮磨きを塗ってからスプーンを当てると、本当に光ってぴかぴかの美しいスプーンになったのでした。

◆代々受け継がれた伝統技術
 代々鍛冶屋を世襲するカーストに生まれたサヌ・バイ・スナルさんがこの仕事を始めたのは16歳のとき。20歳のときにはお父さんが亡くなり、若くして家計を支えなくてはならなくなりました。伝統的な製品としてアーミーバッジやベルトのバックルなどを作る傍ら、銀行で硬貨を作る仕事をしている時に、当時銀行に勤めていた現サナ・ハスタカラのマネージャー、チャンドラさんと知り合いました。
 サナ・ハスタカラは、その組織が立ち上がって、支援を必要とする小さな生産者を探しているときでした。銀行を退職してサナのスタッフになったチャンドラさんから声がかかり、伝統技術を生かしながらも新しいタイプの製品作りができるようになりました。今の工房の主な製品は、ククリというネパール独特の刀を模したペーパーナイフと、スプーンやフォークです。

◆フェアトレード商品の開発
 ネパリ・バザーロが始めにサナから紹介されたサヌ・バイさんのスプーンは、もともと彼自身のアイディアでしたが、そのまま日本で販売するには大きさや形が実用的ではありませんでした。サヌさんはこちらの要望に応じて何度も柄のデザインや大きさ、形を変えてサンプルを作りなおして、ようやく双方の納得のいく製品が生まれました。発売後はすぐにネパリの人気アイテムとなり、継続的に注文しつづけられています。

◆継続的な注文が生活を支える
 息子さん2人を含めて5人の職人さんを雇っているサヌさんにとって、一番の心配事は、「いつも仕事があるかどうか」です。様々な製品づくりのできるサヌさんの工房でも、単発の注文はあっても継続的な注文を得るのは難しいといいます。「ネパリ・バザーロとはスプーンを作って以来ずっと一緒に仕事をしてきて、絶え間なく注文をもらってとても助かっています。他の仕事がなくなってしまった時は、ネパリのスプーンやフォークを少しずつ作っておくんです。また注文が来るのがわかっていますから。」とサヌさんは言いながら、ストックしてあったスプーンを見せてくれました。フェアトレードの「継続的な注文」の大切さを改めて思った瞬間でした。

◆仕事を通して生活向上
 帰り際に電話をかけにいったロミラさんを待っている間、暗い部屋の中で冷えてきた身体をあたためようと路地に出て陽にあたっていると、頭上から「そんなところにいないで上がっておいで、上はあったかいよ!」という威勢のいい声がしました。見上げるとサヌさんの家の屋上からサリーを着たふくよかな女性がぶんぶんと手を振っています。階段を上って屋上へ着くと、娘さんらしき人と洗濯物を干しているところでした。ニコニコしながら「私はサヌ・バイの妻で、こっちが末の娘。今18歳で、学校のテストが終わって休み中なの。私も夫も教育はろくに受けてないけれど、この子は10年生(日本の高卒程度に相当)まで終わったんだよ。」と寡黙なサヌ・バイさんとは対照的に、うれしそうに大声で話してくれました。隣で娘さんが照れくさそうに微笑んでいます。でも、「さっきはご飯を食べてる途中だったのに、電話で呼び出されて迎えに行かなきゃならなくなったんだよ。これだから仕事場と家が一緒だと大変だよ。」としっかりお小言まで頂戴してしまいましたが。
男の子に比べてまだまだ女の子の就学率の低いネパールで、息子さんたちと同じように娘さんたちにも学校教育を与えることができたのも、サヌさんに現金収入を得られる技術があったから。今年52歳のサヌ・バイさんが36年間こつこつと働き続けて築いた、暖かな家庭と小さな工房は、サヌさんには何にも代え難いものです。その技術は新しい製品作りとともに息子さんたちに受け継がれていくのでしょう。これからも、そのお手伝いをネパリ・バザーロが少しでもできればいいなと思っています。
   
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◆熱き思いをお店に込めて

 おいものせなか     新田文子

 特集でご紹介した公開講座の第2部では、岩手県花巻市で「おいものせなか」というお店を経営する新田文子さんが、フェアトレードへの思いを語ってくださいました。

◆会社生活で、休暇を使ってボランティア体験
 新田さんは学校を卒業してすぐは、東京で普通の会社員として暮らしていました。安定した生活に疑問を抱き、当時、第3世界にそれほどの関心や知識があったわけではないそうですが、長い休暇を取ってインドのマザーテレサの施設へボランティアとして飛び込まれました。

◆地に足の着いた生活から考える
 日本に戻ってから、第3世界のことをもっと勉強しようと仕事を辞め、日本のNGOをいくつも訪ね、現在のPA(プレスオールターナティブ)の前身のグループに加わりました。自分の価値観がガラッと変わって、日本国内で自分にできることは何だろうかと考えるうち、自然なライフスタイル、地に足の着いた生活を志向するようになりました。東京の暮らしについて行けなくなり、国内の有機農業、反原発などの現場を見て回り、アジアも回ってみようと、PAをやめて飛び出しました。北海道を周り、東北に来たところで、心ときめく男性と出会い、息投合して、旅はそこで止まりました。

◆環境と第3世界を考えて
 パートナーと暮らし始めた岩手でも、自然や環境、第三世界などと結びついて生活することを考えました。すぐにお店を始めたのではなくて、初めは地元の不燃ゴミの処分場に入って野ざらしのゴミの山の中から再生できるものを拾ってくるという資源回収の仕事を3年間続けたそうです。
「こんなチャーミングな女性が!?」と、公開講座第1部でお話したネパールのスレンドラ・サヒさんも驚いていましたが、
「掘り出し物もあって楽しかったですよ」
と新田さんはニッコリ。その仕事も、清掃センターという立派な建物ができて収集ができなくなり、背水の陣でリサイクルショップを開業することになりました。同時に、周りから「無理」と反対されながらもエコロジーショップ「おいものせなか」を併設したそうです。環境やジェンダーの問題に、まだ関心の薄い頃で苦労されたようですが、少しずつ輪を広げ、フェアトレード商品も常設しています。
「作っている人の顔が生き生きと見える手作りの素晴らしい品を売っていきたい。作っている人のことや背景を伝えて行きたい。そのためには、現地生産者と直接関わっているフェアトレード団体から、たくさんの情報が欲しい」
という言葉に、一つ一つの商品とその生産者に寄せる新田さんの思いを強く感じさせられました。
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◆FTと「あおもり開発教育研究会」の活動

 研究会 川村宏義
2000年2月6日、私たちは「ネパリ・バザーロ」の土屋春代さんも加えて地球市民セミナー「ネパールの学校から」を開催した。参加型のセミナーにしようと考えていたので、40人ぐらいの参加を想定して会場を準備していた。しかし、当日になってみると50人の参加者があり、会場は狭いと感じられることになってしまった。
始めに、ネパールの聾学校で活動してきた寺井泰子さんの報告がフォトランゲージを使って行われた。次に私が「一杯のコーヒーから」と題して開発教育協議会の教材を使ってコーヒー生産者の状況を参加者とともに考えた。そして、土屋さんの「ネパリ・バザーロ」の取り組みに関する報告がビデオを使って行われた。そのあと、ネパールから帰ったばかりのニールマルさんの話があった。
 参加者の感想を見ると、初めて「フェアトレード」という言葉を知ったという人もいて、開催の意義が大きかったことを知らされた。ネパール製品も売れた。
 私たちはあくまで参加型のセミナーにこだわっている。それは、私たち自身も参加者から学びたいと考えているからだ。土屋さんにはこのことが理解していただけたようで、前日にスタッフの研修会を持つことを快諾していただいた。このときには、素朴な疑問にも丁寧に答えて頂いた。
 私たちは、一般市民向けの開発教育のセミナーを開いたり、「あおもり開発教育つうしん」などで情報を伝えたり、学校へ出向いて開発教育の授業を行ったりしている。今年度は大学で共同研究も行うことになっているし、青森発の国際協力を支援する活動も行う。
 その中で、自分の住む地域の開発とネパールの開発やインドの開発を同時に考えることが、お互いの参加型開発につながると考えているので、青森発にこだわるのである。フェアトレードは開発教育を実践する私たちの中に自然に入り込んでいる。そして、この大切なしくみを出来るだけ多くの市民に伝えていきたい。
 これからも、自分の地域の取り組みを中心にさまざまな国の人たちとつながっていきたいと考えている。
 今年度中に「フェアトレード」に関するセミナーを開きたいと考えているところだ。   
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◆新しい動き「中西ネパールから」

 ネパリ・バザーロでは、常に新しい商品作りに取組んでいます。その一つに、数年前から取組んでいる西ネパールを中心としたコーヒー栽培の促進活動があります。
 今回は、更にその奥地に位置する中西ネパールの取組みの一部を紹介します。
 西側、特に奥地になると、更に貧しい地域が多く、また政情も不安で、国際NGOの多くがその危険を避けるために都市部へと退却しています。
 そこに位置するダン地域のナリット村では国際NGOにより村の小学校が建てられていました。しかし、特に少女が下の子ども達の面倒をみるために学校へ行けないケースがまだ多いのです。そこで、ユニセフの支援を得て、保育所を建てる試みを始めています。その運営は、次年度より親が経費の半額を負担することが条件です。結局、親にある程度は現金収入がなければ、その維持、継続はあり得ません。現状からの生活向上には、収入向上が大切な要素なのです。自らの土地を持たず、小作がほとんどのこれらの村では、穀物も十分ではなく、現金化できる作物、仕事が求められています。収入向上が村の生活向上に繋がり、子どもの教育を可能にして行きます。ネパリ・バザーロでは、そのコミュニティーを大切にしつつ、しかも長い目でみた収入向上が可能な道を、現地の人々と相談しながら模索しています。   
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◆ネパールの新聞から

 「繁栄と持続」と題して、フェアトレードの役割と期待に関する記事がネパールの新聞、THE RISING NEPAL(1999年10月15日)に掲載されました。
 多くの援助がなされているにもかかわらず、なかなか生活は向上しない。特に、小生産者、小さな農民には行き届かない中、そのような点に着目しながら活動しているフェアトレードに焦点があたりました。
 現地で、ハンディクラフトを中心に、遠隔地も含めて活動しているFTGN(Fair Trade Group in Nepal)、そして、ネパールで唯一NASAAというオーストラリアのオーガニック証明機関から認定を受け、FLO(Fair Trade Label Organization)の認定も受けて生産しているKTE(Kanchanjangha Tea Estate)、そして、日本のネパリ・バザーロが紹介されました。

[参考]
FTGN:サナ・ハスタカラ、マハグティ、KTS、マヌシ、ACPなど、ネパリ・バザーロとも多くの取引があります。
KTE:オーガニック紅茶、日本ではネパリ・バザーロだけが販売代理権を持っています。      
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◆IFATの動きから
IFAT北米パシフィック・リム地域会議

  去る5月11日、12日と、地域会議が東京でプレスオールターナティブ主催のもと開かれました。日本で始めて開かれた会議です。
 IFATは、フェアトレードの活動では、生産者と輸入団体が一同に会する世界で唯一の組織で、国際労働機関(ILO)の正式なオブザーバ資格を持つ国際組織です。法人登録は、オランダのアムステルダムです。又、世界貿易機関(WTO)にも代表団を送っています。
2000年5月現在で、世界48ケ国、143団体が加盟しています。
日本で加盟している団体は、プレス・オールターナティブ、フェアトレード・カンパニー、ぐらするーつ、そして私達ネパリ・バザーロの4団体です。

 この会議では、
1)日本のためには地域会議の区分けをどのようにするのが良いか、
2)来年のタンザニアのアルーシャで開かれる国際会議での議題や要望
3)フェアトレード市場の拡大
4)モニタリング
について、主に討議されました。
 先に米国のシアトルで開かれたWTOの会議での問題点と私達の立場についても話合われました。
 最後に、北と南が協調して双方の歩み寄りをする道として、このフェアトレードは大切な活動であることを参加者全員一致で確認し、その存在意義を主張する意味で日本政府への声明文に署名しま     
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◆学習会(4月)紹介

   〜地域作業所との交流会〜
               高橋純子

 今回は、日ごろネパリ・バザーロのヘナのパッキング作業を請け負ってくださっている地域作業所の方々をお招きして、交流を深めながらの学習会でした。その目的は、ネパールを対象として活動しているネパリ・バザーロが地域とどのように関わっているかを知ること。そして、双方の活動や状況を紹介し合うことで、お互いの理解を深めることでした。
 参加してくださったのは、地域作業所「すぺーすモモ」「さんふれんど」「第2つばさ作業所」のスタッフの皆さん、利用者の方も2名参加してくださり、ネパリ・バザーロのスタッフ、ボランティアと総勢19名の参加でした。

 先ずは自己紹介。ネパリスタッフからは「ヘナ詰め」依頼のいきさつが紹介されました。
 次は体験学習「ヘナ詰めって何だ?」。参加者は2チームに分かれ、ヘナ詰めに挑戦。早く、きれいに、正確にとチームワークと技を競いました。作業所の方からは「もっと袋の空気を抜いて」「ビニールの溝に粉が入らないように」とアドヴァイスの声がかかります。各作業所では効率よく作業ができるよう工夫を凝らしていらっしゃるようです。

 この作業を通して、私達は想像力を駆使してもわからないことを知り、実際に見てみる、触れてみることの大切さを体験したのでした。私達はつい、自分の置かれた立場の「当たり前」を当然のように他に押しつけてはいなかったのか。「日本にいる時はどうして竹篭の足の長さが揃わないのか分からなかったけれど、ネパールに行ってみて初めて、生産者の村には平らな場所がどこにもなく、足をそろえることができないのが分かった」というフェアトレード商品の感想と経験を語るスタッフの話に耳を傾け、納得をしたりもしました。「当たり前」を押しつけるのではなく歩み寄ることが大切ではないかとの意見もありました。

 「私達はいろいろなタイプの人がいることに慣れていない」ということもあります。「障害のある方への施策、制度が進展するのはいいことだけれど、触れ合う場が少なくなってきているのは淋しい」という現状もあるようです。コミュニケーション不足の中でいつのまにかできあがってしまった心の壁、社会の壁についての体験が語られました。一方、就職困難など障害に対する偏見の体験から、「また差別されるのでは」「理解されないのではないか」と障害者が自ら壁を作り上げてしまうこともあるようです。バリアフリーが叫ばれる昨今、先ずは各々の心の壁を取り除き、関わりを持とうとする姿勢が大切であると深く考えさせられた学習会でした。

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* 翌月は、作業所の一つ「すぺーすモモ」の方たちと、大船フラワーセンターで交流会を行ないました。降っていた雨も園内をまわる頃にはやみ、雨に洗われたバラ・シャクヤク・スイレンなどを眺めながら、会話を楽しみました。ヘナ詰めの話題を通して、出席者の方達の仕事への思い入れ、またネパールへの愛着も感じられ、ネパリ・バザーロの新たな活動の1面を見られたように思います。

 ベルダレルネーヨは、月1回のメンバーミーティングの日に、学習会を開いています。ボランティアメンバー、ネパリ・バザーロスタッフ、協力いただいている方々などが集まり、毎回様々なテーマで情報や意見をやり取りしています。私達の活動やフェアトレードに関心のある方は大歓迎ですので、ネパリ・バザーロ事務所にお問い合わせください。
【これまでのテーマ】
「貿易ゲーム(ワークショップ)」「WSDPP(ポカラの女性開発プロジェクト)の生産者の家庭を訪ねて」「ネパール・スリランカ・バングラデシュの女性たち」「モーニング・スター・チルドレンズ・ホームの子ども達への支援を考える」「サンクワサバのアロー生産者を訪ねて」「マハグティ(ネパールのNGO)のマネージャー、スレンドラ・サヒさんとの座談会」「一杯のコーヒーから(ワークショップ)」
(編集部) 
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