満蒙開拓平和祈念館に行ってきました。@長野県阿智村

「満蒙開拓団」とは・・・
1932年に、日本の傀儡国家「満州国」が建国されました。
当時の日本国内は、経済不況に陥っていました。疲弊した農村の経済の立て直しや食糧増産を表向きの目的として、1936年「満州農業移民100万戸移住計画」が国策となりました。約27万人が満州に渡りました。
ソ連の参戦、そして敗戦により、開拓団のお一人お一人が壮絶な人生を辿られます。
逃避行を余儀なくされた方々の中には、力尽きて我が子を山に置いてきたり、手榴弾で殺してもらったという話もあります。追い込まれた人々の壮絶な集団自決も多発したそうです。シベリアに抑留された方もいらっしゃいます。
祖国日本からは何の援助もなく帰る手段はありません。難民となり、収容所生活の中多くの方が亡くなりました。
命からがら帰国した祖国日本には戻る場所がなく、未開拓の地をあてがわれました。僻地や痩せた土地、高冷地や山林など・・・
その入植地の一つに、福島の沿岸地域(飯舘村など内陸も)があります。
3.11の福島第一原発事故により、再び国策により、住む地を奪われることになってしまいます。
岩手県久慈市の野田村にも入植された方々がいらっしゃいます。私たちは、3.11震災支援の一環の「山葡萄プロジェクト」を通して、関わらせて頂きました。
同じ過ちを繰り返さないため、歴史をもっともっと学ばなければと、強く感じています。次世代の子どもたちのために、子どもたちと共に・・・
共に学びましょう!!
満蒙開拓平和祈念館
満蒙開拓平和祈念館・事務局長ブログ
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