第4号

もくじ

4号の発行に向けてナマステ
「ネパールで水害発生」
「暖かいセーターは如何ですか!」
「魚谷早苗」のネパール訪問印象記#4
ネパール駐在報告
ネパリ・バザーロからのお便り
ご寄付名簿
バルナムーナの学校の生徒からお手紙
編集後記

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◆4号の発行に向けてナマステ
 皆様の暖かい激励に支えられて、この会報も4号を出す運びとなりました。創刊号を発刊してから1年が経ちました。ゆっくりではありますが、着実に前進しています。多様な価値観の中で、1歩後退、2歩前進できればと思います。
 その活動の状況を、この9月の現地視察も織り交ぜてここにご紹介したいと思います。そして、皆様と共に前進できたら光栄に存じます。また、ネパールの生の姿が、たとえ一部であったとしても、ご紹介できたらと願っています。  会費制度を持たないこの活動の資金源は、暖かいご寄付と、仕事の提供と我々自身の自立を願って設立したネパリ・バザーロの力を借りたバザー活動が基本になっています。
 通信のタイトルは、「緑の学校」というエスペラント(語)を使っています。以前に、ネパールに寺子屋でも良いから作ろうと計画し、その当時の名前に由来しています。年に、3〜4回の発行を目標に進めてまいります。   
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◆「ネパールで水害発生」
 ネパールの英字新聞、ライジング・ネパールの7月25日付けリポートによると、広範な水害と地滑りにより1600人の犠牲者がでたといわれています。インドの主要な橋は大方破壊され、8月一杯は、首都カトマンズでも物価が高騰しました。経済面のダメージは大きく、10年後退したとも言われています。カトマンズ周辺には、親を失った孤児が200〜300人政府の保護キャンプにケアされていると聞きました。私たちが支援させて頂いているホームにも3人ぐらい面倒を見て欲しい旨、打診があったそうです。ネパリ・バザーロのある取引先の女性は、そのキャンプの支援に定期的に行っていました。   
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◆「暖かいセーターは如何ですか!」
暖かそうなこの動物は、ヤク。画家の「阿部修さん(北海道阿寒町 在住)」が特に、南インドを中心に旅した思いも込めて描いてくれました。ヤクは、高い山地に住む牛科の仲間で、この愛らしい動物から、大変暖かい高級感のあるセーターが出来ます。 
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◆「魚谷早苗」のネパール訪問印象記#4
 9月の中旬、再びネパールを訪れてきました。春代さんはネパリ・バザーロの買い付けでもう何回も行っていますが、私や完二さん、裕美ちゃんには、やっと2度目のネパールです。ネパールにいられるのはたった4日間という短い旅でしたが「せわしない日本人」を地でいくような忙しさで、色々な場所を訪問し、多くの人に会うことができました。ネパリ・バザーロで春代さんが関係している衣料品の販売などをしている方達からも、ネパールの経済事情、洪水の影響、教育事情、子どもたちの置かれている状況、援助に対する考え方など、貴重な生の声を聞くことができました。今号は、資金援助をしている子どもたちにお会いしたときの様子をご紹介しましょう。
 ビシュヌさんのホームへは初日の午後早々に伺いました。
 子どもたちの数は20人に増えていました。さらに、洪水のために家族を失い政府に保護された子供3人を近いうちに受け入れることになるそうです。スペース的にも金銭的にも厳しくなってしまうため、さすがのビシュヌさんも大変だとおっしゃっていました。それでも、ビシュヌさんのお人柄から察するに、今頃他の子どもたちに対するのと変わらない暖かい笑顔で家族の一員として迎え入れていらっしゃることでしょう。
昨年はゆっくり時間がとれなかったのでが、今年は十分とはいえないまでも一緒に遊んだりして過ごすことができました。ナラヤンさん(和美さんのパートナー)も来てくださっていました。今月が誕生日の子にカードを手渡しし、今回ネパールに一緒に来れなかったメンバーから預かってきたおもちゃをプレゼント。折り紙を折ったり、パズルをしたり、外で縄跳びやゲームをしたり・・・裕美ちゃんも、子供は子供同士で、何人かと一緒にトランプをして仲良く過ごしていました。私たちメンバーの中で、子どもたちが一番関心を寄せているのは、やはり同年代の裕美ちゃんのようです。
 子どもたちの生活の様子も少し伺うことができました。お掃除をしたり、料理の手伝いをしたりと、一人一人が家の中で自分の役割を持っていて、毎日ちゃんと責任を果たしています。朝は、学校に行く前に必ずビシュヌさんに勉強を教えてもらっています。仕事に行く前にビシュヌさんも大変なご苦労と思われますが、それまで学校に行かずに暮らしてきた子どもたちにとって、毎朝ビシュヌさんに勉強を見てもらえることはとても重要なことでしょう。とりわけ十代半ばの子どもたちは、何歳も年下の小さな子どもたちに混じって授業を受けるのに抵抗を感じて登校を嫌がってしまうので、飛び級して早く上の学年に上がれるよう、ビシュヌさんも特に力を入れて勉強を応援しているそうです。
 バルナムーナ・スクールでの学費を援助しているブワン君とミラちゃんには、その2日後の朝お会いしました。朝礼の始まる前に二人とお話しする時間も設けてもらいました。ブワン君は小学1年生、ミラちゃんは3年生ですが、英語に力を入れた授業を受けているので英語でお話しすることができます。ミラちゃんはもう私などよりずっとずっと英語が上手です。好きな科目は二人とも算数だそうです。二人とも照れてしまって、何か尋ねると小さな声で答えてくれる、という感じでしたが、これから先、手紙を送ったり、お話をする機会を設けたりして親しくなっていけたらと思うます。誕生月を教えてもらったので、さっそくバースデイカードを送るつもりです。朝礼と授業の風景を拝見させてもらいましたが、他の生徒達も目をキラキラさせて熱心に楽しそうに授業を受けていました。二人は注目されてちょっと緊張してしまっていましたが、頑張って勉強していて成績もよいそうです。宿舎暮らしで、家族には月3回ほどしか会えないということで寂しいときもあるでしょうが、友達と仲良くしているのを見ると少し安心します。元気に楽しく過ごして欲しいと願っています。  ビシュヌさんのホームの子どもたちともブワン君、ミラちゃんともほんのたまにしか会えませんが、ネパールを訪れたときだけでなく遠く離れた日本からでもコミュニケーションをはかる機会を工夫して、お金の援助だけではない交流を深めていきたいと思っています。    
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◆ネパール駐在報告
 和美さんは、無事元気な赤ちゃんを産んで大忙しの日々を送っています。子どもができると、その責任をヒシヒシと感じるとのこと。その忙しい中、会にメッセージを送ってもらいました(まだ、日本ですヨ)。
 ナマステ、皆様、お元気ですか。
 私は、予定日より1週間早い6月11日、帝王切開で女児を出産しました。麻酔が充分きかなかったことや貧血などで、体力が一時落ちていましたが、現在は順調に回復しています。娘の名は愛ちゃんです(ネパール語に訳すとマヤちゃんになります)。もちろん初めての経験で、色々戸惑うことばかりですが、早いもので、4ヶ月を過ぎると首もすわり、あやすと笑顔も出、体重も出生児の2倍以上となり、ずいぶんしっかりしてきました。また、おっぱいも十分に出てスクスクと育っています。顔は、ウ〜ン、どちらかというとお父さん似でしょうか。
 さて、現在、鳥取にもネパール人が何人か住んでいますが、先日あるネパール女性が、今年7月にネパールを直撃した大洪水災害の募金活動を行っていました。直接話を聞いたのですが、ちょっとズレてるな〜、金持ちの発想だな〜というのが印象でした。(ネパールは貧しい人ばかりではありません。日本人以上に金持ちは沢山います。ましてや日本に来ることができるような人は金持ちの部類に入るでしょう。)彼女はしきりにネパールの貧しさだけを強調していました。日本は豊かだから災害が起きてもすぐ復旧できる。お米が不足してもアメリカ、タイなどから輸入できる。でもネパールは貧しいから何もできない、米を買うお金もない。だからお金をください、と。そのお金で壊れた橋や道路を直すというのです。(実はこういった工事はいまゼネコン汚職で世間を騒がせている日本企業の利益、日本国民の税金の無駄遣いにつながるのです。)私はそれを聞いてそれではまた同じような災害に直面した時はまた外国からの援助に頼るだけで自国では何もしないのか、あなたは日本企業の回し者なの、と言いたくなりました。
 もちろん、何かをする場合、必ずお金は必要となってきます。ましてや今回のような緊急事態においては、のんびり構えている余裕はなく、100%外国依存に頼ってしまうのも無理はないのですが・・・。しかし、私はそれ以前に、まず自分たちで考えて行動すべきことが沢山あると考えています。例えば、今回の洪水の被害を倍増させた誘因には、1)森林伐採、2)地下水の汲み上げによる地盤沈下、3)住居のもろさ 等もあげられます。これらを解決するには、1)に関しては、植林の啓蒙、特に山岳部に住み人々は燃料の薪は必需品ですので、広義の教育、現地指導が必要となってきます。2)に関しては、上下水道の完備が必要です。井戸を沢山掘っているところでは、特に地盤がもろくなっています。また、上下水道完備により伝染病など致命的にもなりかねない疾病予防にもなり、一石二鳥というわけです。もちろん井戸さえなく飲み水に困っている究極の貧しいところ、タライ地方(インド国境)などになると、また解決策も異なり、現状では厳しいものなのですが。3)に関しては今回の洪水とは直接関係はありませんが、地震の場合、カトマンズで多く使用されているレンガ造りの家ではもろいわけで、その辺の改善が要求されるのです。
以上のように考え、さらに具体的計画案、予算案を作成し、まずネパール側で何がどこまでできるかを見積もり、行動し、その上で不足分なり必要経費なり、また助言・技術指導を「後押し」という形で、外国からの援助を請うという姿勢で取り組むべきだと思っています。とかく援助慣れしてお金にマヒし、受け身的になっているネパール側にも問題があるように思います(特に政府レベル)。また、援助する側のことを考えたときにも、同じ問題でもネパールと日本(外国)では事情が異なるためおのずと解決策も異なってきます。それなのに無理矢理自国のやり方、観念を押しつけようとしている、いわゆる「金・物主義」の先進国の援助方法にも疑問を感じています。お金は後からついてくる物、まずは思いや行動があって欲しいものです。お金や物だけの一方的な援助はむしろ自立を妨げ逆効果になりかねません。ですから私たち援助する側は容易に行動せず、じっくり長い目で考えてネパール人自身の自立への援助、さらには互いに学びあう姿勢、共存共栄の精神を持って地道に歩んでいきたいものです。そしてその課程においては、やはりまず人と人とのつながり、日本とネパールとの草の根レベルでの人間同士の信頼関係を築いていくことが大切になってくるでしょう(そしてネパール人の有望なリーダーが出現するでしょう)。結果を急ぐと失敗するケースが多いものです。急がば回れです。ビスターレ(ゆっくり)ビスターレとのんびり楽しく輪を広げてゆきたいものです。
 ということで今回は援助ということを少し考えてみました。ブワンちゃんミラちゃん、そしてホームの子どもたちの中から将来ネパールをしょって立つリーダー格が出ればと密かに願っているのですが、無理強いせず一人一人の能力を伸ばすべく暖かく見守っていきましょう。
 では、また。秋も深まってきました。私たち親子の帰ネも近づいてきました。次回はネパールからお便りします。
 フェリベローラ(また会いましょう)
                     KAZUMI    
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◆ネパリ・バザーロからのお便り
  土屋春代
 皆様こんにちは。ご協力、いつもありがとうございます。おかげさまで、今年の1月、5月の訪ネに続き、この9月も訪ネし、現地との信頼関係も少しずつですができてきました。今回も、3週間の滞在でしたが、ビジネスとしての製品企画、交渉は時間がかかり、スケジュールが遅れる分、時間不足に悩まされています。9月は、ベルダレルネーヨ(建設の会)のメンバーも2週間ずれて訪ネするので、合流することを楽しみにしていましたが、何とかブワン君、ミラちゃんの学校訪問と、ビシュヌさんのホーム訪問の時間は作ったものの、他は別行動せざるを得なく、いつも残念に思います。もちろん、協力していただいたところもあり、助かっています。
 この度の訪問は、7月の地滑りと水害の影響で、原料の入手難もありましたし、日米欧の経済的不況も反映してか、全体的に人々の印象は元気がありませんでした。ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本の不況は、遠く離れたここネパールにまで影響します。空港に到着した際も、タクシーに物乞いする子どもの数が増え、経済的状況が悪化していることを感じざるを得ませんでした。タクシーに乗れば、ドライバーにもう一人前席に乗車していて、他の契約をしていると思われるゲストハウスへ強引に連れていこうとしたり、揚げ句は、口論となり、暗闇の中に重い荷物と共に下ろされる始末となったり。河辺のプラスチックハウス(ビニールハウス:ニューヨークであったら段ボール箱の家ということになるかもしれません)もずいぶん増えたようです。
 このような状況下、援助に頼らず自立することを懸命に考え実行し、またはしようと努力している方々もいらっしゃいます。女性の自立と、男性の経済的リソースも考えた幅広い視野で努力され、今年から、山の方と新しいプロジェクトを開始されたWomen's Craft Nepalmpシャンティさん(もと、WSDPのディレクター)や、私たちのスタッフの和美さんのネパールでの心の面でのご両親的立場にいる、リシーラール御夫婦(現学校経営)などです。また、取引先の御夫婦や、女性オーナーは、その従業員の働き場所を確保したり、ハンディがある片親家庭などに対し、継続的な仕事を確保したりして努力されているすばらしい方々もいます。経済的課題は、ここネパールでも大変重要なのです。無視して進むことは不可能です。継続するには、ビジネス・ライクに見ていくことも必要です。時には、困るので文句も言います。これが一番寂しく感じる時です。
 ネパリ・バザーロのグッズはこのような試行錯誤の繰り返しの中から出来上がって参ります。今年は、品質も一段と良くなり、皆様の満足の行く物がご提供できると思いますが如何でしょうか。
 セーター一つできるにしても、色々な経緯がありました。特に、今年は、災害の影響で橋が壊れたりしましたので、取引先の女性が腰まで水に漬かりながら、運んだこともありました。その成果が実るでしょうか。
 暖かさで抜群のオイル・セーターのヤクや、色鮮やかなウール・セーターを始め、手の細やかさを活かしたファッショナブルなセーター、カーディガンや、軽くて高級感のあるカシミア・カーディガンも取り揃えました。革のベストや革のバッグも好評です。手で紡ぎ、手織りしたショールも素敵ですし、定番となったクッションも日本の色調に合わせたものまで取り揃えてあります。寒い冬を暖かさで覆ってみませんか。
 観光では探せないグッズの紹介と開発をこれからも続けて参りますので宜しくお願い致します。   
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◆ご寄付名簿
 前回以降、寄付を頂いた方、以下、ご紹介させていただきます。ありがとうございます。
 大槻克美(ご一家)様、本郷小林様一同、菅沢様&ご友人一同、広田様&ご友人一同、ネパリ・バザーロのお客様、その他スタッフより。  
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◆バルナムーナの学校の生徒からお手紙
 この9月に、子どもたちの様子を見に、バルナムーナを訪問しました。ここは、カトマンズの郊外、イタリア大使館のすぐ側にあります。アメリカの青年と、オーストラリアの女性が無給で働いていました。
 ここの詳細もまたレポートしたいと思います。ここに支援している子どもたちが二人通っています。質の高い教育を受けようとすると、お金のある人は、インドへ行かせる傾向があると聞いていますが、ここは、モデル校として質の高い教育を目指そうとしています。
 去年は子どもたちと直接話ができませんでしたが、今年は、幾分英語が話せるようになっていました。先生、特に先の青年が熱心で、上級生は、米国の小学生と文通しているとのこと。
 私たちに、約30人の生徒からお手紙が届きました。興味ある方はお問い合わせください。  
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◆編集後記
 この通信に対するご感想、ご意見があれば、どうぞ事務局宛お便りをお願いいたします。
 現地スタッフの和美さんは、おめでたで、故郷の鳥取に戻っていましたが、この11月にネパールへ子どもの愛ちゃんと戻りました。慣れない土地での子育ては大変かと思いますが、幸せな人生を前進してもらいたいと思います。  リシラールさんの学校は、借地だったので、9月に追い出され、自宅を使用して対応に苦慮されていました。政府の電力省を辞め、会計事務所設立で忙しい最中でもあったので、大変であったとのこと。
 バルナムーナも手狭になり、校舎増設をしたく、合わせてボランティアの先生の宿泊施設を作りたいと計画中とのこと。  友人の協力で、購入した土地を視察してきました。生憎の強い雨で、近くまでしか行けませんでした。
(早苗・智子・完二)    
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